見出し画像

生まれも育ちも

 80年代当時、小学生のぼくにとって、プラモデルを作るということは「あきらめ」の体験を積み重ねることだった。

 プラモデルとは、未完成の「キット」を買って自分の手で完成させるホビーのことだ。バラバラのパーツ(部品)を組み立てて、自分の手で完成品を作り上げる感覚は、他の何物にも替え難い魅力がある。

画像4

 だけど、当時のぼくには、プラモデルを作る友達がいなかった。専門誌に書かれている言葉は高尚で難しく、当時のぼくはその高尚な言葉たちを「プラモデルはキットそのままを作るものではない」という意味に受け止めていた。ワクワクした気持ちで雑誌を開き、プロのモデラーが作った作例を見て楽しみ肥えた目には、せっかく色を塗り、完成させたはずの自分のプラモデルも、色あせて見えた。

 手近にある道具といえば、園芸用のニッパーや木材用のノコギリだ。プラ板は文房具店で見つけたが、パテがない。見様見真似で切り刻んだキットは、なんとなくそれっぽい入り口には入るものの、手元のプラモデルはただのプラスチックの塊に変わり果てた。

画像3

 もし、共にプラモデルを作る友達がいれば、使う道具や使う材料の違いを教えてくれるスネ夫のいとこみたいな人がいれば、今ならそう考えることができる。でも当時のぼくには雑誌とプラモデルしかなかった。

 だからプラモデルの出来が良くなり、買ってきたキットを組み立てるだけでも、それなりに見栄えのする時代が来るまで、ぼくにとってプラモは「雑誌の向こうの幻の世界」だった。

君にもできる。

 じゃあ、なんでこの日記で書いたように、旧キットグフを改造する気になったんだ。大人になったから?雑誌に書かれている道具や材料を買えるようになったから? 違う、そうじゃない。実を言えば、20代の頃も30代になってからもガンプラには手を出して失敗していた。

 やっぱりぼくにはガンプラを作るような友達がいなくて、誰とも苦しみを分かち合うことができなかったからだ。

画像5

 物事を学ぶには、成功例よりも失敗例を学んだほうがいい。車の免許を取るには、講習で事故の映像を見なければならない。かつて野球の名将が言った「勝ちに不思議の価値あり、負けに不思議の負けなし」という言葉は真理だ。きらびやかな成功例だけを見ても手元にあるプラスチックの塊は輝かない。

 ツイッターで、ガンプラを作る人たちを見つけた。

 いろいろなやり方で、雑誌に載ってるやり方を真似して、あの当時は手も足も出なかったキットに挑んでいた。

 入門のために必要なことを教えてくれるブログにも出会った。

 なぜその道具が必要なのか、その道具を使わないとどう失敗してしまうのか。そういうことを実例付きで教えてくれる人々が、インターネットの向こうにいた。ぼくはその人たちが残してくれた情報を見て、今までどうしてうまく行かなかったのかを知った。

全部俺のもんだ! 孤独も!苦痛も!不安も!後悔も…

全部俺のもんだ! 孤独も!苦痛も!不安も!後悔も…
幸村誠『プラネテス』より

 孤独は人を先鋭化させる。

 創作をする時に、他人の顔色を伺うことほど間抜けなことはない。どうせ気をつかったところで他人の頭の中はコントロールできないのだ。だが、誰にも気を使わず、一人の孤独な作業から生まれた創作物は他人を狂わせることができる。だから創作者は孤独を愛する。

 感覚を研ぎ澄まし、自分を追い詰めて、やがて孤独に飲み込まれる。

 プラモデルを作ることもまた、一つの創作だ。だがそれは武道のように、膨大な量の先達が残した「手法」の上に立つ「道」なのだ。共に作る仲間がいて、優れた教えを説く師匠がいて、未熟な腕を晒す場があって、初めて「上達」を感じることができる。

 物真似をすること、他人と同じものを作ること、それらの孤独とは正反対の行為はやがて「自分だけのプラモデル完成品」を手に入れるための道になる。

 ぼくは自分で彫像を作ることができる。デザインナイフと彫れるものがあれば、好きな形を彫り出すことができる。仏像の彫り方を本で読んだだけで、師匠も友達もいない。その道は行き止まりだ。いつかその行き止まりでぼくは好きなものを作り続けるだろう。

 でも、プラモデルは「みんなで遊ぶもの」だ。ぼくは子供の頃から、誰かが作ったようなやり方を真似てみたかった。ずっと一人は嫌だった。

 今はそれができる。家で一人で、インターネットを介して自分の外側を見て。

画像1

画像2

 一人になるのは、もう少しだけ先でいい。

サポートしていただけると更新頻度とクォリティが上がります。