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10月末の日記

ただの日記です。10月末の三日分。

2019年10月29日
 昼からスタジオで撮影。12月にローカル地上波で放送予定の、ぼくが脚本を書いたアクションドラマに何故か役者として出演するためなのだ。ヒッチコック的なヒョイっと出てくる役を想像していたら、ガッツリセリフのある役をあててもらってしまって、ひたすら奮闘した。ぴったりな役だと思うので放送をお楽しみに(多分最終的にはアマプラで見れるようになるみたい)。
 映像の演技って、間近でみると「うまいな〜細かいな〜」って見とれちゃうので面白いけど気をつけないと変な間ができちゃう。ほんと微妙な差異だったり、呼吸だったり、技量というかなんというか、共演者の特権だなと思う(カメラはそこまで近づけないからね)。短いシーンだったので「このシーンの前の会話はこんな感じかな」など、共演者と話せたりしたのも楽しかった。あっという間に撮影が終わり、片付けをしたあともなんとなく帰り難い、部室のような雰囲気。あと残る撮影は一日、とても楽しみ。
 帰って気絶、起きて原稿。

2019年10月30日
 11月7日から上演する『アリスインデッドリースクール コネクト』の通し稽古を観に行ったぞ。上條さんの演出は本人の優しさがあふれていて、かつ「愛のある話だと思いました」と仰ってもらった通り、出演者たちが仲間を思いやり愛を分かち合ってるのがとてもよくわかる座組だった。まだ二度目の通しで不安もあっただろうけど、これから一週間で見違えていくはずだ。
 なんだかんだで稽古場は楽しい。
 WSでも何度か話しているけれども「演技のジャンル」というのは本当に自覚的になった方がいい。ぶっちゃけた話、上手いとか下手とかの基準を超えた魅力や迫力を観客に感じさせることができれば演出家や脚本家の意図など振り切ってその役者が一人いればいい状態になる。そうなれば役者一人につき、一ジャンルだとも言える。だが、そこに至らない場合、
自分の肉体が生み出す表現はジャンルで言うとどこ寄りなのか。演出家が求める「ジャンル」は何なのか。そこに自覚的になれないと「リアルに演じるとは」「普通とは」といった迷路に迷い込む。もっと楽に演技しよう。インプットした演技のジャンルを脳内で分類整理すると自分のための意味が生まれる、みたいなことを考えた。
 夜、寝ようとすると変な咳が止まらず閉口した。白い痰に血が混じっている。

2019年10月31日
 朝から熱出して寝込む。ほっそんの『カーニバル!(×13)』のゲネプロを観に行くはずが寝過ごし、夕方起きて熱が下がっている。なんなのだ。夜は劇団粋雅堂の2020年1月公演顔合わせ。役者として参加するのだ。共演者の方々とお会いできて、さまざまなSFや演劇の話をして興奮する。読み合わせカフェの話をして、作演出の神田川さんの過去脚本を一部ずつプリントアウトしてもらってきていたので、1pをみんなで回し読み。初見で声に出して先の展開も知らずに読んでいくのはとても楽しい。
 帰っていろいろする。やっぱり変な咳が出る、ハウスダストだろうか。
 日記を更新する。

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