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麻細怪談レジュメ01

 怖さ、とは何か

 ・恐怖とは、未知のものへの危機意識である 

 暗闇や、先の見えない森の中、深くて暗い海の底を恐れるのは、そこに何がいるかわからないから。しかし、まるでわからないとそれはそれで怖くない。「何かがいるかもしれない」と想像することで、恐怖は倍増するわけです。
  起こった出来事がなんであるかは不明であっても、そこに何かを想像してしまう。たとえばこんな話。

 足音 

 自分の部屋にいて、寝ようと思って部屋の電気を消す。
 すると「ぱたた」と足音がする。
  隣の部屋かな?と思ってベッドの中で横になると、また「ぱたた」と、今度は近づいてくる。
「部屋の中にいる」そう気がついて鳥肌がザワァとたった。
 電気をつけなきゃ、掛け布団を跳ね飛ばして起き上がりスイッチのところまで走って電気をつける。
 パッ、と部屋が明るくなると、当然のように誰もいない。
 ただ、跳ね飛ばした布団が、ちょうど子供がうずくまってるくらいの高さに丸くなってる、背中の丸みがわかるくらい。
 布団の下に誰かいる、と息を飲むと、すとん、と布団は床に落ちて、もうそこには何もいない。ただ足音だけが「ぱたた」と玄関の方へ駆けていく。

恐怖の擬似体験

 危機的な状況を体験すると、人間というのは、アドレナリンが出るわけです。アドレナリンが出ると血流も増えて興奮して、要は気持ちがいい。それが擬似体験であれば、危機的な状況も話の終わりと共に終わりますから、ゾワっとしたあとスーッと涼しくなる。夏に怖い話が流行るのは、科学的に理由があるんです。 

 日常会話と怪談に違いがあるとすれば、ある程度用意した話だから「あー、言うのわさ売れてたけど、あのー、この入った部屋のドアが、えーと、そうそう。赤く塗られてたんだけど」と言った後付けの設定が出てきづらい、と言う傾向はあります。なぜなら、話が前後すると、怖さが薄れるからです。その風景を体験しているという感覚がなくなり、他人事に変わってしまうからなんですね。

  ところが面白いのは「知り合いから聞いた話」や「本で読んだ話」なのに怖いんですよね。他人事なのに、体験を共有してしまう。人間が持つ感覚のバグをうまく利用しているわけです。逐次的に話されると、その出来事を疑似体験してしまう。

 幽霊が見える

 昔、幽霊が見えるって子が知り合いにいましてね。この子が飲み会なんかで「あ、いる」なんて言い出すともりあがるわけですう。合わせて「なんか調子悪い」とか言い出す子もいたりしてね、単なる飲み過ぎだろう、っていう。 その子が言うんですよ、ホラー映画、特にあの当時のJホラーですね、幽霊の出てくる話が怖くないから困る、って。そりゃ日常的に幽霊を見ているわけですし、慣れっこなんだろう、と思ったらそうじゃない。見ている最中に出るんだそうですよ、映画館に、幽霊が。
 それでその子の後ろからそっとね、言ってくるんだろうですよ。
「これは嘘」
「そりゃ迷惑だねえ」 って笑いました。
 だいたい映画を見ながら「これは演技だ、泣いてるのは嘘だ」なんて言ってくるのは興醒めしますからね。そしたらね、違うって言うんです。その子は霊に話しかけられるのは慣れっこだから、別に気にしない、って。じゃあなんで?って聞いたらね、映画の中の幽霊に、本物の幽霊が「これは嘘」「これは嘘」って言ってくる中にね、たまにあるんだそうですよ。
 「あ、これは本当」

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