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殺人者の彫像について

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 かつて作った造形物には、すべて思い入れがある。この白黒の胸像は「世界の殺人者シリーズ」としてワンダーフェスティバルというイベントや、映画秘宝の別冊で通販したり、友達に手売りした。一枚目の右側に居るのは都井睦雄、津山事件の犯人だ。彼が一晩のうちに集落の住民を殺害し自決したのが1917年。残された一枚の写真と、さまざまなルポタージュを元に彼の横顔を彫り出した。

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 完成した作品には、最初の犠牲者となるおばあの一部が同根されている。

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表紙の写真は左からエド・ゲイン、チャールズ・マンソン、アンドレイ・チカチーロ、アルバート・フィッシュ、そしてジョン・ウェイン・ゲイシー。すべて殺人者だ。(マンソンは殺人教唆だが)。世の人は彼らを殺人鬼と呼ぶ。

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 二十代の後半から三十代にかけて、ドン底だった時期に彼らを作った。悪趣味なのか、何なのか、自分でもよくわからない。柳下毅一郎氏に紹介文を書いてもらい、エド・ゲインは駕籠真太郎氏に、都井睦雄はカイコ女史に、それぞれ箱絵を描いていただいたりと、工夫を凝らしていたのは事実だ。

 ただ、出展したイベントで「次は◯◯(直前に起きた殺人事件の犯人)を作るんですか」と笑いながら言われたときには、明白に「違うな、作らないな」と思った。理由は対象と自分の間にある時間だろうか、距離だろうか。ただその◯◯の写真を見せられても、造形したいと思う要素はどこにもなかった。ただそれだけかもしれない。

 当時、殺人鬼ではなく、殺人者としたのは、呼び名を鬼とすれば、彼らがまるで人ではないように感じたからだ。人が人を殺すのだ、という事実が重要だと、当時の自分は考えた。おれたちの生きる道は血に濡れている。多数の屍の上に現代の我々の生活は成り立っている。ただ自分はまだ(直接)人を殺してはいない。それだけで殺人者を鬼と呼べるだろうか。その問いかけが「世界の殺人者」というタイトルに現れている、と今のおれは思う。

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 造形は石粉粘土、細かい部分にはエポキシパテを使った。作っている最中は何も考えていなかった。手を動かすのが早く、造形をするときは形が思い浮かんでいるので、迷いなく作ることができるからだ。そのため頭の中に浮かんでいない形はまるで作れない。依頼を受けても作れなかった造形物も沢山ある。

 数年後、機会をもらって憧れの『シグルイ』をテーマとした造形物を作ることになった。虎眼塔(シグルイタワー)の名で出展、原作者の山口貴由氏の手元にも届けてもらえた(秋田書店のチャンピオンRED編集部にも置いてあるはずであるが、どうかはわからない。ご関係者の方でご存知の方がいらっしゃったら御一報をください)。

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画像7 彼らもまた、物語の中で多くの人を斬り殺した。

 もう長い間、粘土をさわっていない。もう、昔のようには作れないかもしれない。どうだろう、わからない。ただあの頃は、どうしようもない現実に打ちのめされて、とらえどころを探して手を伸ばした先に粘土があり、殺人者がいた気がする。

 またあの頃のように戻りたくはないが、ただ少し、寂しいような気もする。

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