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映画って、どうして面白いのだろう。

【エッセイ 映画について 試論】

 映画を見ると、面白いなあ、と思う。お話がいい、とか、役者がいい、とか、映画を面白く感じた理由は色々とあるけれど、何よりも「映画」が面白い。

映画ってなんだろう。

 映画が生まれて100年と少し経った。生まれたばかりの頃の映画は、今見るとあまり面白くない。やっぱり「カットバック」や「モンタージュ」などの編集技法が現れてからのほうが断然面白い。ここで「映画」の定義を「編集されたもの」とすると、少し面白さの正体が見えてくる気がする。

 ぼくたちの日常は編集されていない。ただ目の前で起こった出来事が、何の加工もされずに延々と脳内で上映される。見たくなければまぶたを閉じて寝るしかない。夢の中では多少の編集が行われる。階段をのぼると、その先が海だったり、空を飛んで降りると知らない街だったりする。とても楽しい夢もあるし、恐ろしくて一刻も早く起きたくなる夢もあるけれど、映画よりも面白いものではない。なにしろ未加工なのでその場その場で色々と決まっていくし、描写しづらいものはごまかして見せないし、お話もあるようでいて、特にない。

 映画というのは、そもそも目の錯覚を利用している。フィルムに焼き付けられた画像をスクリーンに投影する。順番に映し出されたその画像が、あまりに早く移り変わるものだから、僕たちはそれを「目の前で動いている」と錯覚する。

 同じく、カットが切り替わる時も、映画はぼくたちの錯覚を利用して、あたかもそれらしく物事が続いているように見せている。

映画は錯覚だ。

空を見上げるぼくと空(という、二つのショットが入る)。

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 このぼくと、この空は、別々の日に撮った、別々の画像だ。場所も時間もまるで違う。静止画だから、二つはバラバラの写真でしかない。でも、もしこれが動画なら?色味を合わせて、質感を合わせて、ぼくの振り向く動きと、風景のパンを同期させてやれば、視線の先に荒野があるように見せられるかもしれない。

 本当は何の関係もない二つの画像が、関係性を持つかもしれない。

 これは、ある種の向精神薬物や、統合を失調した人の脳の中で起こる感覚の分断によく似ている。出来事から出来事へ、景色から景色へ、時間から時間へ、意識はその境目をジャンプして渡り、それらに関連性を見つけ出す。

 夢であれば、薬物の効果であれば、それは脳内でスパークする火花のひとかけら、他人には何の影響も及ぼさない。言葉にして、文章にして、その出来事そのものとはかけ離れた形態に翻訳しなけりゃならない。それはそれで意味のあることだし、何万年も人間はそうやって絵画や彫刻を残してきた。

 映画は違う。視点を客観から主観に変えたり、見えるべきでないものを見せたり、あるいは見えているはずのものを隠したりしながら、現実にはあり得ない想像の世界を幻出せしめることができる。それが何気ない日常を描いた静かな作品であったとしても、そこに映し出されるのは観客が「見たままの姿」ではない。誰かが意識して「見え方」を決めて、誰かが意識をして「見せるところ」を決めて、誰かが意識をして「見せないところ」を決めた、その成果物だ。

 映画ってのは、秩序を持った誰かの幻覚のことだ。

リモートで、配信で、映画?

 リモート会議の画面を使った映画がいくつか作られ始めている。外出を七割自粛するならば、どこかに集まって撮影することも控えなければいけない。しばらくはウェブ会議用のアプリを使い、各自の自宅で撮ったような作品がメインになるだろう。

 もちろん、これからさらに技術が発達し、カメラやスキャナの小型化、そして後加工による衣装小道具の整形が簡単になれば、役者は自宅にいながらにして大作映画を共演者と会わずに撮影できるようになるかもしれない。アバターを持ったAIが勝手にオーディションを受けにくるような未来はまだ先だろう。何にせよ、それら実現するのは多大なる資産が必要で、ぼくたちの手にそれはない。

 ウェブ会議用のアプリを利用して、様々な制約の中で技法は試されている。カメラを数台使い、スイッチすることでアングルを変更するものもある。あるいは一台のカメラでワンカットだが、まるでカットを割ったかのように、役者の方が動いて見せる作品もある。

 もしかしたら、映画の面白さが、ここでも映画を面白くしてくれるかもしれない。今、映画館では新作が公開できず、旧作がリバイバル上映されている。この機会にかつての名作と呼ばれた作品を大きなスクリーンで見るのも良いだろう。もちろん、なんらかのサブスクで自宅のiPadで見るのも止めはしない。実際ぼくだってNetflixとAmazon prime ばかり見ている。ただ劇場の素晴らしいところは、スペースキーをいくら押したってフィルムが止まってはくれない、ってところだ。圧倒的に、一方的に、暴力的にぶつけられるひかりとかげ、知らない誰かの見た妄想、秩序を持った誰かの幻覚を、劇場内が明るくなるまで椅子に縛り付けられたまま見続けたい。

 そう、映画ってのは、面白いんだ。

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