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相続された夢

リトル東京にある日米文化会館の広場にある石の彫刻。何を表現しているのかはわからなかったのですが、ノグチプラザという名前の広場であることを聞いてはじめて、イサム・ノグチを知りました。イサム・ノグチの父親は日本人詩人の野口米次郎で、アメリカ人の母親レオニー(『レオニー』という映画でも描かれました。)との間にロサンゼルスで生まれた日系二世であり、二十世紀を代表する彫刻家、園芸家でした。


イサム・ノグチは世界中にその作品を残しています。オレンジカウンティーのサウスコーストプラザには、ノグチ・ガーデンという場所があります。もちろん米国だけではなく、日本各地に様々な作品を残しているのですが、広島の原爆慰霊碑の設計もしていました。今とよく似たアーチ型のデザインでしたが、埴輪や茶室をコンセプトにした犠牲者への鎮魂の意味を持つものでした。ところが彼のデザインは不採用になります。それは彼がアメリカ人でもあったからだ、と言われています。もし原爆慰霊碑がイサム・ノグチの作品になっていたとしたら、日米を繋ぐ友好の話が、もっと世界に伝えられたのかもしれません。


そんなエピソードを知った時に、どこかに書き留めていた言葉を思い出しました。

「自分は路傍の石。置いた石は自分が死んでもそこにあり続け、そして何かに影響をもたらし続ける」

リトル東京にあるノグチプラザの彫刻の石も、永遠にそこにあり続けることで、日米の間で葛藤し、作品を作り続け、そして平和を願い続けたイサム・ノグチの息づかいを後世に伝えている気がします。


八月になると、蒸し暑さの中で汗を拭きながら訪れる原爆ドームや、慰霊碑を思い出します。なにかに呼ばれるような気持ちを抱えて、その場所だけ時空から取り残されたような空間に身を置くことで、戦争犠牲者の方々へのささやかな追悼になればと願うのです。


それにしてもこんな暑い時期に戦争は終わったのか、と行き場のない溜息が出ます。


最後に、野口米次郎の詩に、こんな言葉が残されています。

人には凡て人生の白紙を埋める夢が無くてはならない。

石の灯籠が何処に空間を満たすかを知らないとすると、園庭に価値はない。

木が影で地面を色取る芸術を持たぬとすると、木は何者でもない。

私の詩はただ白紙に過ぎないが、

私の友人は随意に来てその白紙に自分の夢を発見する。

もし私に芸術があるとすると、

それはわたしの友人を恍惚に目覚めさせる喚起の声に外ならない。

「人生の白紙」 作/野口米次郎

米次郎が詩に残した思いと、イサムが彫刻の中に込めた「白紙を埋める夢」は、時代を超えて相続されていったのだと思いました。


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