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Mさんの生き方

年を重ねるほどに資産を貯めていき、その資産を家族に残す人が日本に多いと聞きました。一方で欧米では年を重ねるほど資産が減っていき、亡くなる時にはあまり残っていないという傾向があるそうです。ずいぶんステレオタイプな見解ではありますが、まわりを見渡すと案外そうかもしれない、などと思ってしまいます。そしてどちらが良いのだろうかと思った時に、資産は何のためにあるのかという疑問にぶつかります。自分が幸せに暮らすために資産を使い果たすのが良いのか、残された家族が幸せに暮らせるように、資産を家族に残すのが良いのか。

そんな結論の見つかりそうにないことを思ったのは、長年随分お世話になったMさんが 今年急逝し、お別れ会に出席しながら彼女の生き方を考えていたからでした。

Mさんとは、彼女が主催した映画上映イベントを手伝ったことで知り合いました。Mさんは常に冷静で、的確な判断をする人でした。そして計算通りに会場を満席にしてみせました。その後、私は多くのことを学ばせてもらったのです。ある時、Mさんが主催した映画を批評した英語の新聞記事を私に見せて、

「プロパガンダだと書かれていたわ」

と一言つぶやいて、それ以上の気持ちを外には出しませんでした。Mさんの心の内を覗くと大きな葛藤があったのだと思いましたが、彼女らしい捉え方だと感心しました。

Mさんは米国に在住しながらも、千葉県のある市とLA近郊の市の姉妹都市を締結を実現しました。その後、LA近郊の州立大学に私費を投じて留学基金を創設しました。日米の架け橋として行動してきた人物だとを知っている人は、彼女がどのような気持ちで映画を上映してきたかを良く知っています。

Mさんの父親は、日本で大学を創立した有名な人でした。今でもその大学は存在し、お別れの会には姉妹都市の担当者が2名渡米して参加をしていました。日米の友好関係を愚痴も言わずに私費で作り上げた彼女の行動力や影響力は、やはり多大なものだったのだと感じました。


そして今、Mさんが言っていたことを思い出します。

「日本の若者が外国留学を経験することは、日本の将来にとって最重要です。私は一主婦なので知恵を絞って考えました。それは全財産を寄付するだけでなく、自分に多額の保険金をかけて死んだら、そのお金が自分が創設した留学基金に行くことで、いかに多くの日本の若者の役に立てることを思うと、死ぬのも楽しみになっています。」

と、本音も冗談も混ざったようなことを言っていたことです。亡くなっても、Mさんは見知らぬ他人に自分の財産を分け与えています。日米の絆をつなぎ続けているのです。 

個人的にも対外的にも多くのことがあった一年になりました。2023年が皆様にとって良い年となることを心から願っています。そして、早く戦争が終わりますように祈ります。


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