落合陽一さんとのトークセッション原稿
2021/12/11に日下部民藝館で行われた、落合陽一さんとのトークセッションのために用意したメモ書きです。当日は、ほとんど生かせませんでしたが、断片的に活用されました。普段から考えていることしか、対話の中では言葉として出てこないということを再確認した貴重な機会でした。
民藝とコンヴィヴィアリティの理解の助けになればと思い、加筆修正を加えここに残します。*長くなったので複数回に分けて投稿します。
その1・規範と規範以降の民藝。
民藝に関して、今一度考えなければいけない重要なことがあります。柳宗悦は、民藝を規範学だと言いました。経験を記録する民俗学と民藝は異なると言うのです。
規範とは、物事のルールですが、当時は民藝に規範が必要でした。なぜかと言えば、民藝は柳等が名付けた概念で、それまで名前もないものだったからです。なにをもって民藝なのかを伝えるためには、大変な苦労があったことだと思います。例えるなら、相手が知らない料理の味や作り方を、手取り足取り教えるようなものだったと思います。カレーを知らない人に、カレーを説明するのには、味の特徴や作り方を教えるだけでは足りません。「食文化」と言いますが、料理の文化や背景を伝えることも求められます。誰も知らなかった民藝。さらに言えば、それは外来の新しいものではなく、当たり前すぎて誰も気に求めていなかった身近なものの中から美を再発見する試みでした。規範を作り、それを説明するところから民藝は始まりました。
そして現代、民藝運動の同人の苦労の甲斐あって、今や「民藝」といえば、手仕事の地方のシンプルな日用品でどことなく懐かしいもの・・・という印象が周知されるに至ります。そこで新たな問題が生まれました。柳が存命中であれば、自分が作る民藝の「味」がぶれていないか柳に味を見てもらうことができました。トライ&エラーを繰り返して、徐々に認められる味を目指すことが出来たのです。しかし、柳亡き後それはかなわなくなりました。
柳の遺した数々の規範は、民藝の「設計図」となりました。設計図になると、規範は柔軟さを失い、その図面通りに作ることが求められます。トライアンドエラーではなく、設計図を理解し、その通り作ることが「正しさ」となっていきました。しかし、柳の遺したものは半世紀を経て、現代人の営みにはそぐわない設計図になってしまいました。そこに普遍性は宿ますが、そこに永続性を見るならば、例えば伊勢神宮の式年遷宮のように、オリジナルの模倣を徹底的に行い続ける必要があります。祭式儀礼は元々普遍的な物事であり、変えないことに意味があるために可能ですが、民藝のように民衆の側の変化を含む概念とは相性が悪いです。それこそ「経験学」に押し込められる危険性を孕んでいます。そして、実際柳宗悦の没後、今日まで、民藝は時代にそぐわない規範性を経験学的に語ることを続けています。オリジナルを巡って何が正当な民藝なのか?ということを語るのは、「元祖」はうちだ!「本家」はうちだ!と、老舗が揉めている様相と似ています。本来そんなことはどうでもいいことなのです。
今日の民藝は、「カレー」という一種類の名前の料理に、欧風カレーやインドカレーのように多数のバリエーションが存在しているのと同じ状態になりました。「何が民藝か」という問いにひとつの答えがないのはその為です。民藝とはなんぞや?という課題は柳宗悦存命のうちに一つの形に達しました。誰もがカレーの概要を知っているようにです。しかし、味の好みや調理器具の変化、素材の変化で、当時のオリジナルを再現することは民藝に限らず厳密には不可能です。既存の設計図をなぞる=100年前の民藝の定義を厳密に取り入れる。というのは、「日本で初めて作られたカレーのレシピ」を再現するようなものです。皆さんどうでしょう?そのオリジナルレシピのカレーは多くの人に受け入れられると思います?多分、多くの人の口に合わないと思います。 求められるのは現代に則した伝統あるカレーなのです。
カレーがオリジナルとは完全に異なった料理に変化しても愛されているように、民藝も多様に分裂をして、様々な形で愛されてきました。しかし、その意味はより親しみやすい簡素なものへと変わりました。複雑なスパイスの調合や、日本では手に入らない材料を揃えなくても、レトルトカレーやカレールーで簡単に平均的で同じ味を作ることが出来ます。今日の民藝の多くは手頃で、均一的で、家庭的です。しかし、その手頃さ、均一さ、家庭的とは、柳の定義の言葉尻だけをなぞった全く異なるものです。
その2「時代の変化が生んだ民藝」へ続く。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?