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私の成人式

(以前別の場所で書いたものを再掲しています)


成人式をやるやらないで話題になっていますね。

成人の日が1月15日で固定だった時代を知っている世代としては、もう自分に関係ないイベントだとしても毎年色んな日に成人の日になってしまうことに一向に慣れないまま、恐ろしい程の年月があっという間に通り過ぎていき。

私は成人式には行きませんでした。

当時の自分の言い分としては、会場が地味に遠いから、ということ。実家のある区は区内の交通の便が微妙に悪い。区役所に行くのに、他の2つくらいの区を通りながら電車を3回くらい乗り換えないとたどり着けない。時間がある時はちょっと遠くのバス乗り場まで歩いていき、そこからバスに1時間くらい揺られて行くこともできましたが。さらに、成人式には着物を着て行くもんだと思いこんでました。そうなると、着慣れない着物を着て、何回も乗り換えながら区役所に行くなんて不可能だわ、という結論に。大学の友人で同じ区出身だけれども私より交通の便のいい地区に住んでいる子から一緒に行こうよと何回も誘われたけれど結局断ってしまいました。

さらに写真くらいは撮るかなという話になったのだけど、私はちょうどその時歯の矯正をしていました。顎や歯に家系的な問題があったためにかなりきついガッチガチの矯正をはめていて、一生残る写真にすらこの矯正器具が写るのはなんか癪だと思い、担当医にいつ頃この矯正器具が取れるか聞くと、21歳になってからだと判明。そんなわけで写真も見送り。

それでも祖母がせっかくだから振り袖を買ってあげるよと言ってくれて、カタログをちょっと見たりはしたものの、振り袖って何回着られるんだろうという思いが離れず、さらに伯母と話していたら彼女のもう結婚した上の娘の振り袖は3回くらいしか着られておらず箪笥に眠っていてもったいないというので、それなら私はその従姉の振り袖を着たらいいんじゃないかという話に(これがまたとてもいいものでひと目見て気に入ってしまった)。

成人式行かない、振り袖での写真も1年見送り。そう決めた冬の初め、ちょっと落ち込む出来事がいくつか重なりました。今になって思えばとても些細なことで、ピアノが思うように行かないとか、大好きだった人が友達にどうやら気があるらしいとか、そんなちょっとしたことが積み重なってなんだか元気が出ない。ある日、ピアノのレッスンの後に先生と少し雑談をしていて、元気が出ないなら美味しいイタリア料理食べるとか、いや思い切ってイタリアに旅行なんてしたらきれいさっぱり色んなことぶっ飛ぶくらい元気になっちゃうよ、なんて多分先生は軽い冗談みたいに笑いながら言っていた。その場では「イタリア、いいですねえ」なんて軽く言っていたけれど、大学から最寄り駅までをゆっくり歩きながらふと強い風が吹いて上を見たら、紅葉した葉がざわわわわと揺れていて、それがあまりにもきれいで、なぜかそれを見ながら「本当にイタリアに行ってみたいなあ。」と思ったら、急に居ても立ってもいられなくなってしまった。そのまますぐ本屋に行って、当時格安団体旅行が山程掲載された旅行雑誌があってそれを買い、数日後にはどのツアーに入るかを決め、誰と一緒に行きたいかと考えたらすぐさま高校の時の友達の顔が浮かんだので彼女に連絡し、バイト代をかき集め、振り袖はいらないからと言って祖母に少し援助してもらい、あっという間にイタリアへ行く準備を整えることになった。普段腰の重い私にはものすごく珍しい出来事の1つとして今でも覚えている。

そんなわけで、生まれて初めての海外旅行としてイタリアには3月のあたまに出発し、約2週間のツアーだけれどもかなり自由に友達と2人で行動でき(というかみんながアウトレットに行く時に参加しないで勝手に観光していたからなんだけど、事前にそれでもいいか聞いたら問題ないって添乗員さんに言われた)、結果この旅行によりイタリアをもっと知りたいと思い、そこからイタリア語を真剣に勉強し、留学先を調べ、数年後に留学生としてイタリアに行き、その後日本に帰った時期もあったけれど結局イタリアで今も暮らしている。すべての始まりはあの旅行だったのだ。

イタリアで勉強したいと言った時も、夫と結婚を前提につきあっているからイタリアで暮らしたいと言った時も、そういえば家族は反対はしなかった。そこまで深いつきあいのない友達や知人に、そんな夢みたいなこと言って後で後悔しても知らないよ、みたいなことは結構言われた。普段の私は、つい周りのネガティブな意見を聞いてしまって勇気が出せなくなったりする部分がかなりあるのだけれども、なぜかあの2回だけは周りから何を言われても、私の人生だ、という謎の自信のが大きくてもちろん怖かったけれども、行かないで後悔する方のが怖いと思ってしまった。私の人生、有名人でもないし大富豪でもないけれど、イタリアと関わったという点について失敗したと思ったことが全く無くて我ながらたまに不思議な気分になる。

子供の頃想像していた「大人」とはちょっと、いやかなり違う生活だけれども、あの成人式の前後に起きた一見なんでもないようなできごとが私をすっかり変えてしまったのならば、節目だったのだなあと改めて思うのだ。


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