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学生寮の思い出

(過去に別の場所で書いたものを再掲しています)


強い洗濯洗剤の匂いと、洗濯機の回る音を聞くと思い出す。

2004年3月、雪の降った朝に私はヴェネツィアのある学生寮に着いた。

本当ならその年の秋から留学生活が始まるはずだったのに、予想外のことが起きて半年ほど出発が早まった。日本の大学の卒業は決定していたけれど卒業式より前に出発することになった上に、出発するまでにほとんど時間がなく、ただただ混乱の中音楽院の入試の合格証明でビザを取り、航空券を買い、トランクに入るだけの荷物を持って、恩師が紹介してくれた親切な方が話をつけてくれた学生寮に行くと言う事だけが確かなことだった。

当時の私は一応イタリア語は大学やイタリア文化会館の講座で勉強してはあったので、相手が言っていることは結構わからなくもないけれど、ともかく話す方の経験値があまりにも低かった。それ故に、学生寮に着き無事に部屋を与えられたものの、誰かと会話するのが怖くて部屋からそっと出て廊下を確認してから共同のトイレや台所にこそこそと、でも素早く行って用を済ませるような生活をしばらくした。ただ、それではろくな食事もできず辛いし、せっかくピアノのある寮なのにピアノのある集会所までもたどり着けないし、洗濯物も溜まっていく。

朝早く台所へ行くと、隣がランドリーだったのでいつも洗剤のいい匂いがした。そして寮はセントラルヒーティングで至る所に白くて細長い管が並んだ暖房器具が付けられているので、ほんわかといつも温かかった。学生寮には4年近く住んだので色んな思い出があるけれど、何故かこの誰もいない廊下や台所で心細いなと思いながら過ごした冬の最初の記憶は洗濯洗剤の匂いとがっちり結びついてしまい、今でもふとした拍子に思い出す。

あれからもう15年以上も経つなんて信じられない。あの時のイタリア語のできなかった私は学生寮でもみくちゃになりながら生き抜いて、ちょっと遅い青春を謳歌した。あそこには毎年男女50人くらいの出身も専攻も様々な学生がいて、基本2人部屋だったので私も4年近くで10人程の同居人と過ごしたし、彼氏がいた時期もあった。プライバシーなんて言葉とは無縁の生活で、本当に1人きりになるのはトイレの個室に入った瞬間だけ(笑)ちょっと残念なのは、少なくとも最初の1年はあまりにもイタリア語ができなさ過ぎて色んなことがわからなすぎてただただわからないままみんなについて行っていたので、その頃知り合った人との会話や物事をもう一度やり直したいなあなんて今でも思う。

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