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村上春樹 「ドライブ・マイ・カー」 について

タイトルの写真は2023年夏に撮影した能登の棚田(白米千枚田)である。昨日のニュースで再び田植えを行う人々を見た。能登半島地震を乗り越えていく人間の力を感じる。

driveには様々な意味がある。元々は「追いやる」という言葉なので、派生する意味はたくさんある。表題のように、「運転する」だけでなく、トヨタの宣伝にあった Drive Your Dream のような表現も可能である。「夢を実現する」。
名詞で使うことも多い。「運転」はよいとして、大規模な軍事侵攻のことも表す。2022年2月24日から始まったロシアのウクライナ侵攻も、プーチンが軍事力を発動したdriveであり、世界を大きく動揺させ続けている。ただでさえ不安定な世の中を混乱させている。現在のガザ地区へのイスラエルの攻撃も同様だ。これらのdriveは泥沼の様相で解決策は見つかりそうにない。
私の好きなdriveの語義は、「やる気」である。仕事をしたり、家族とともに過ごしたりするなど、多様な行動の動機であったり、そのエネルギーのことだ。何故こんなことをするかと疑問を持つ時、自分の心の奥のdriveを確認しようとする。かのロシア大統領も、内面のdriveを見つめて欲しいと願うばかりだ。日本の政治家たちにも同様の気持ちがある。裏金問題で破滅寸前の自民党は、政治に無関心な人々や無党派層が目を覚ませば破滅する。国民も政治へのdriveを見つめなおすことが必要なのだろう。

輪島朝市通り(2023年夏)

しばらく前に,村上春樹原作の映画「ドライブ・マイ・カー」が話題になった。タイトルは「私は私の車を運転できないから、あなたに運転して欲しい」と意訳できる。小説や映画の内容から考えると、「私は私の心が分からないから、あなたにどうすればよいか教えて欲しい」ということになる。
中年の男優は目を悪くして二十代の女性ドライバーに「運転」を依頼した。何日も同乗する中でお互いの心の傷を知る。男優も女性ドライバーも家族から致命的な心の傷を負っていた。互いの傷を理解していくのだが、意外にも、Drive my carは、若いドライバーからではなく年配の男優からの「私の心を動かして欲しい」という願いになってしまう。私の心の重荷を解き放ってほしいという男優の依頼に対して、若い女性の答えはさらに意表を突くものだった。
「頭で考えても仕方ありません。こちらでやりくりして、吞み込んで、ただやっていくしかないんです。」
driveは、行動の動機ではあるが、人は行動することでしか、これからの人生でなすべきことは見つけられないものだという考え方に思い及ぶ。何でもやってみなければ分からない。結局、Drive your own carしかない。まずは自分で自分の車を運転しろ。そうすれば進む道が分かるかもしれない。試行錯誤、つまり行動して考える、考えてから行動するこの繰り返しこそが大切なのだ。このフィードバックそのものが生きる術なのだ。
今、私自身、これからの人生を考える状況にある。目標を失いつつある。しかし、やるべきことは一つしかない。まずは行動してから考えることだ。きっと心の中にdriveが生まれてくるはずだ。そのdriveに基づいて再び行動する。最近始めたこのような投稿も drive(=dream) につながるかもしれない。
Drive your own car and drive your dream.
と自分に気合を入れている。
さて、次は何を書くか。

輪島朝市の奥の橋・NHK朝の連続ドラマの記念館のオブジェ(2023年夏)


能登長寿大仏(2023年夏)

Postscript
地震で破壊された能登半島を旅した。大仏様にもう一度お目にかかりたい。

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