歌詞を書きたいのだけれど
この投稿は母が亡くなった2011年12月27日の後、
2012年1月23日にアメブロに投稿したものです。
母親を亡くして1ヶ月の娘は、まだまだ悲しみのなかにいました。
忘れたくない日々
歌詞をなかなか書く気になれず、
書こうすると涙が出て止まらなくなる。
平気なように、元気に毎日を過ごしているうちに、
涙の海が心の中にたまっていたみたい。
去年の日記を読み返しながら、
どんなことがあったのか思い出して行く。
あの日々は嘘なんかじゃなかった。
なかったことになんかならない。
そして、絶対に忘れたくない日々だ。
凄まじかった闘病生活
母と過ごした時間はとても大変だった。
特に最期の4ヶ月、入院してからは、
ある時には昼夜が逆転してしまい、
夜中に淋しいと電話をかけてきては起こされるという日が続いた。
11月からは2日に一度、病院に泊まり込む日々。
簡易ベッドでうっすらとしか眠れないのに、
母は深夜に起きて私を寝かせてくれない、なんてこともしょっちゅうだった。
病室の窓の向こうに見える山の樹々が、
早朝、うっすらと姿を現し、昼から夜へ時が流れ、
夏から秋、そして冬へと季節が移り変わる中で、
太陽の光の加減で次々に表情を変えて行く。
静かすぎる毎日の中で、私はずっとそれを見ていた。
母は、いつの頃からか、外を見ることすらやめてしまったように思えた。
ただ心の内と、そして家族との絆にだけ、集中しているようだった。
死者が遺していくもの
母が亡くなった時、
ずっとお世話して下さった介助士さんが言ってくれた。
「残念だったけれど、本当に親孝行したね」
涙が止まらなかった。
苦しさや辛さは日々あった。
それでも、色んな意味で幸せだった。
今まで頭でしかわからなかったことを、体感としてわかったりもした。
人は死ぬ時、周りの人に色んなことを遺して行く。
絆や教訓や、気づき、そして、愛。
清水友邦さんの言葉
母と過ごしていた時、
ストンと腑に落ちた言葉に出会った。
わかっていても、意識はすぐに眠ってしまう。
真の目的は夢から目を覚ますこと
そして目覚めると、人は宇宙の中を生き始める。
それで、ちゃんと音楽を作って生きたいと願うんだ、
この心が、身体が。
色んな取り巻く思いや物事が、
うまく、音に、コトバに、なりますように。