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昭和いろいろ生活編

電話事情 2017/7/30

幼少期、我が家には電話がなかった。代わりにあちこちに公衆電話があった。相手とつながると、10円玉がかちゃんと音を立てて収集されるやつだ。 電話はやむを得ない時の緊急連絡用ツールであり、町の風景を彩るものではあったが、決して身近なものではなかった。 小学校低学年だった私には家と学校、地域が現実世界の全てだったから、特に必要としていなかった。友だちに何か用事があれば次に学校で会ったときに話せばいいし、仕事をしていて留守がちだった母にはメモを残しておけば事足りた。 ところがある日(確か土曜の半ドンだった)学校からの帰り道にA君が引っ越す、ということを耳にした。同級生だったのに、先生からは何も聞いていなかった。 今思えば何かオトナの事情があったに違いないが、お別れもせずにもう会えなくなるというのは、子どもごころにも納得できなかった。 A君の家は裕福で電話があり、以前番号を聞いて知っていた。家に帰り、おやつを買うために渡された10円玉を握りしめ、商店街の公衆電話へと走った。私が生まれて初めて、電話をかけた日だった。 何を話したのか覚えていない。そもそも何を話せばいいのかさえ分からなかった。ただ、引っ越すことを聞いた、知らなかったから何も言わなくてごめんね、というようなことを伝えた。A君は終始無言だった。

おさがり  2017/8/6

現在ではオークションなどで安くUSEDの衣類を売買するシステムや買取販売の店舗もあり、せっかくまだ使えるものが無駄にならず、いいことだと思う。何より選択の余地があるのが良い。子供服は「おさがり」が当然だったころには、選択肢はなかった。 最近は衣料も安くて品質もそこそこのものが手に入りやすいが、昔は衣料は高価だったと思う。成長が早く、すぐに小さくなってしまう子供服はご近所や親戚間のおさがりで回すのが普通だった。 私には姉と妹がいて、姉とは2歳、妹とは3歳離れている。姉から順番に下がってくる衣服は、妹が着るころには既に相当着古されていた。私がよく周囲から「男の子だったらよかったのにねぇ」と言われるお転婆だったせいもあり、飾りボタンはなくなり、色は褪せ、または洗濯では落ちないシミがつき、あちこち繕ったあとがあったらしい。当の本人の私は全く記憶にないが、妹はいまだにブツブツと文句を言うくらいだ。 姉は姉で長女ではあっても、ご近所の年長の子や親戚のおさがりを着ていて、全くの新品の服は多くなかった。そのせいか長じては服道楽で、半額で安くなっていたからと数万の服を買っては、たいして着もせずタンスのコヤシを増やし続けている。 姉妹とはいえ性格は3人3様、顔や体型も赤の他人よりは近い程度なので、思春期ともなるとおさがりには抵抗があった。姉に似合う服は私には絶望的に似合わなかった。私が好きな服は妹には苦痛だった。気が付くといつの間にか、我が家から「おさがり」がなくなっていた。


手拭い 2017/8/14

ここ10年ほど、夏になると手拭いを愛用している。縦4つに折り、首から下げている。
さらのものはダメで、何度も水を通して柔らかく、柄の色も褪せ、切り端が少々ほつれてきたものが肌に馴染んで心地よい。ペーパータオルのようにすぅっと汗を吸い、風も通って快適だ。
祭りにも欠かせない。法被には豆絞りの手拭いがなくては絵にならない。最近は色々な絵柄も見かけるが、持ち歩くにも嵩張らないし安価でもあり、お土産やプレゼントには最適だと思う。
何かの記念や祝い事、引っ越しや嫁入りなど、昔は事あるごとに名前や屋号を染め抜いた手拭いが配られていたと思う。その後はそれが薄手のタオルに取って代わったが、私はこれが何とも好きではない。とにかく安っぽい。見かけだけならともかく、丈夫さも使い勝手も手拭いには適わない。せいぜいすぐに雑巾に化けるくらいが関の山だ。雑巾としては薄いので絞りやすく、有能である。
昨日実家に行き、お盆の挨拶をしてきたが、台所で立ち働く母がやはり首から手拭いを下げていた。来年は手拭いを贈ろうかと考えている。

桑の実たべた 2017/8/19

私が幼稚園に通っていた頃(大昔である)通園時に通る道の脇に桑畑があった。寒くも暑くもなかったので、春から初夏の頃だったと思うが、桑の実がたくさん生った。それは幼稚園児にとって、魅惑的な風景だった。桑の実は、まるで小さな小さなぶどうのように映ったと思う。
言うまでもなく、余所様の畑である。いくら蚕のために育てていて、蚕は実を食べないとはいえ、幼稚園児が食べても良いということにはならない。確か幼稚園からも採らないよう、食べないよう注意はあったはずだ。だが好奇心と食欲のかたまりのような幼児に、通用するはずもない。
引率の先生の目を盗み、私たちは桑の実をもいだ。熟した実は、幼児にすら容易くもげた。すぐに口に入れるとバレるので(それくらいの知恵はあったらしい)おしきせのスモックのポケットに入れた。濃い茶色か紺色のスモックだったから、少しくらい果汁がついてもバレない。幼稚園に着き、園庭で遊ぶ時間になると、共犯者たちは手洗い場に集まった。いっちょまえに収穫した実を水道水で洗い、頬張る。
桑の実は甘酸っぱく、美味だった。だが濃い紫色をしている。スモックはごまかせても、ハンカチに付いた果汁は取れない。かくしてすぐに犯行はバレるのである。それでも何度か食べたから、本当にしかたのない悪ガキだった。
ちなみに昨今は、桑の実は「マルベリー」と呼ばれ、美容や健康に良いとされて人気なのだそうだ。久しぶりに食べてみたいものである。

お風呂事情 2017/09/16

昭和37,8年ごろまで、我が家には内風呂がなかった。当時は県営住宅に住んでいて、周囲もそういった家が多かったため、近所の銭湯を利用していた。なぜか銭湯内部の様子は記憶になく、寒い冬の夜の帰り道のことしか覚えていない。母から聞いたところによると、私は銭湯で溺れかけたことがあったといい、一度沈んでからのち浮かんだところを、湯船に入っていた近所のおばさんに発見されたらしい。母曰く「もう一回沈んでいたら死んでた」のだとか。
母は赤ん坊の妹を洗っている間、姉と私が一緒にいるように言っていたのに、気が付くとふたりともいなかった。慌てて見回し、姉が脱衣所から入ってくるのを見つけ、てっきり私も一緒だと思った。なのに姉はひとりきりだった。そのとき私は湯船の底に沈んでいたはずだ。幸い助かったので笑い話にできるが、目の前に子どもがぽっかり浮かんできたのを目にしたおばさんは、さぞや驚いたことだろう。
それがきっかけだったのかどうか、我が家には内風呂ができた。楕円形の、樽が大きくなったような木でできたお風呂だった。当時はプロパンガスで湯を沸かしていたが、ガス代が馬鹿にならないということで、父が手作りで太陽熱湯沸し装置を設置した。父は建築や大工といった仕事はしたことがなく、全くの素人だった。時代が許さず、学校教育もまともに受けられなかった世代の人だったが、手先は器用だった。
この時住んでいた住宅はコンクリート製で、二軒ずつが繋がった二階建てだった。屋上が平だったので父はこの屋上に木材で枠を作り、ゴム板を張り、厚い黒色のビニール袋にホースで水が溜まるよう設置した。詳細は分からないが、風呂の水道の蛇口から水が一杯に溜まるまで何分かかるか、母と一緒に試行していたのをぼんやりと覚えている。きっと素材の耐久性に問題があったのだろう、この装置は短命で終わってしまったが、初めてホースから湯船に流れ落ちてきた水が、火傷をしそうなくらい熱かったことと、父の誇らしげな顔は今も鮮明に覚えている。
父は数年前に亡くなったが、近年の「省エネ」ブームによる太陽熱発電の話を聞くたび、半世紀以上前に原型のようなものを思いつき、手作りしていた父は、もしかしてスゴイ人だったんじゃないかと感心している娘なのである。

台風の夜 2017/9/17

現在台風が通過中である。今日の午後は雨も降らず、湿気はあったが穏やかな曇りだったのが一転、唸るような風と雨の荒天となった。昨日の朝からベランダのものは片づけており、ただひたすら通り過ぎるのを待つのみだ。遠くで電車が走る音が聞こえるから、何とか交通には支障なく済んでいるようだ。

ほんの3,40年くらい前までは、台風が来るとよく停電していたように思う。いや、もっと最近までだろうか?ただ私が子供だった頃は、台風が来ると言えばろうそくや懐中電灯は必ず用意していた。木製の窓枠の隙間からは雨のしぶきが入ってくるから、ボロ布を詰めてこれを防いだ。ガラス板は割れやすかったから、テープをバッテンに貼って補強した。階段の踊り場で雨漏りがあり、雑巾を敷いてバケツを置いた。母は夕飯のご飯を多めに炊き、非常食のおにぎりを握った。防災・避難インフラが整っていない時代は、各戸が最大限の防災に努めた。
特に私の一家は、あの伊勢湾台風を経験していた。当時名古屋の、堤防が切れた河川脇に住んでいて、一家で命からがら逃げたという。赤ん坊だった私には記憶がなく、妹もまだ生まれていなかったが、三歳になったばかりの姉は、祖母の背中にしがみつき、川のようになった道を逃げたことをうっすらと覚えているそうだ。みんなで近所ではたったひとつの三階建てのビルに避難したといい、平屋だった家は家具も衣類も、全て泥水に浸かってしまったそうだ。
その後私が子供時代を過ごした県営住宅に引っ越したが、何より川が近くにないことが第一条件だったと聞かされた。また伊勢湾台風での経験から、昔から防災には熱心に取り組む傾向があった。

最近は天候の変化が激しく、台風はもちろんのことゲリラ豪雨による河川の決壊や土砂崩れが頻発している。各自で可能な防災には限度があるのだろうけど、皆さまなにとぞご無事で。安全第一でお過ごしください。


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