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お盆プレイ

お盆ですね。
みなさんご家族と過ごしていたり友達に会ったり会わなかったり色々でしょう。

ちなみに私は1人きりで縁もゆかりもない土地を楽しくぶらついています。
人にはそれぞれ事情があるものです。

私の生まれ育った家族構成は両親と姉の4人家族。両親はどちらもかなりの自由人。
社会的な振る舞いが出来ない、または知っていて疎かにしている。
年末年始のご挨拶は正月明けてから、お中元やお歳暮は受け取り専門。
母はPTA活動を放棄、父は法事に真っ赤なシャツで現れる。

そんな両親だったため、法事とは、お盆とは、一体何をする何のための行事なのか詳細を知らずに育った。
変な家族。多分一般的じゃない。
末っ子の私の認識はそうだった。

だけど母が存命の頃、ある時期から急に「お茶とう」と言って朝、亡くなった祖父母に淹れたてのお茶を供え始めた。

その頃私は他県に住んでおり、帰省した時に何をやってるんだ…?と怪訝に思ったことを覚えている。
一般的な家庭のパロディをしている。
そんな印象。

しかしそれは飽きることなく続き、いつしか昔からやってましたけど?
という私以外の家族の共通認識となった。
姉も、父も、「お茶とうした?」「お茶とうしとくね」真剣にお茶とうに向き合っている。
誰もつっこまない、大事な儀式になった。

だいたい「お茶とう」の「とう」って何?それも分からない。
私だけが、「お茶とう」なんかやってなかった頃を覚えている。

私のいない間にやった方がいいらしいからやろうね、となったのかも知れないが、母に確認したら
「は?前からやっとるくさ」
と私の入り込む余地を完全にシャットアウトされた。

最近は、そうお盆。
ふざけた母が他界し、我が家もとうとうお盆に向き合う時が来た。

両親にならい自由人だが根は生真面目な姉が長女として立派に調べ上げ、我が家の「お盆プレイ」が始まった。
なんか仏壇を派手に飾るらしい。野菜で動物を作るらしい。榊というものを手配しなければ。
父と一生懸命準備している。

気後れしているのは何故か私だけ。
亡くなった母がどうでもいいとかそういう事ではない。
お盆でなくとも、日々自宅に飾っている母の写真に手を合わせているし、母とは今もどこかで交信しているような感覚がある。

お盆の設定に、乗り切れないのだ。

お盆プレイに反対したい訳ではない。指示があれば買い出しでも何でも協力する。
それが父と姉の望みなら。

だけどやっぱりどうしても一般家庭のパロディに思えてならず、気後れしているせいかうっかりお盆の時期に旅行の計画を入れてしまう。
正直言ってお盆プレイより旅行したい。
正直言ってしまった。
そうすると心が多少痛む。

私のように後ろ髪引かれる思いでお盆を過ごしている人は多いのではないか。

お盆の時期に後ろ髪引かれるとか言うとホラーぽいね。

家族だからって、全ノリ出来なくても許して欲しい。少なからず、ふざけた母なら許すと思う。

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