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たまごが割れた話

東京のテレビ局で働いていた時、父親から携帯に着信があった。
父からの電話は珍しかったのですぐに折り返すと、母と姉を乗せてのドライブ中に交通事故を起こした、とのことだった。
詳しく聞くと父の居眠り運転が原因でガードレールに突っ込み、後部座席で横になって寝ていた母は足元に転がり落ち、シートベルトをせずに助手席に乗っていた姉は頭からフロントガラスに突っ込み二人とも病院に運ばれていた。

3人とも命に別状はなく、父は鞭打ちのみで入院の必要はなし。
「お前どうするや?仕事やろ?」
と動揺を押し殺したような様子で聞かれ、即上司に報告し地元福岡へ帰る事にした。
家族全員をいっぺんに失ってもおかしくない危機が知らない間に訪れていた事に呆然とした。

病院に着くと処置を終えた母と姉が同室で休んでいるところだった。
姉はフランケンシュタインくらい包帯でぐるぐる巻きの姿で私が来たことを弱々しく喜び、軽い打撲と小指の骨折のみで済んだ母はすがる様に泣き出した。
「お姉ちゃんが可哀想、お姉ちゃんが可哀想、お父さんを許さない」
そう言って泣いていた。
姉は短期的な記憶障害を起こしており、半年前に東京で大失恋をして福岡に帰ってきた経緯を丸ごと忘れていた。
「なんでわたし福岡にいるの?太郎(仮名)さんは?」
と眠りから覚める度に騒いでは
「太郎さんに会いたいよー」
と泣くらしい。
そんな姉の混乱が見ていて可哀想でもあり恐ろしくもある母もまた混乱していた。

姉は目が大きくぱっちりしており街角美人スナップ的なものに出たこともあった。肌も綺麗で肌荒れしているところを見たことがない。
そんな姉の顔に無数のガラスが刺さりまつ毛の並びもガタガタになってしまった。
そうして「太郎さん、太郎さん」と泣くのだった。
「泣くとガラスが出てきいいらしいよ」とも言うのだった。

姉の恋はいつでも嵐のように激しく、家族を巻き込んだ。
太郎さんの時も恋をして裏切られ気持ちにけじめをつけ仕事まで辞めて福岡へ帰るまで、全てを共有していた。
一番きついところに引き戻されてしまった姉は壊れたおもちゃの様。

「お姉ちゃんと二人は怖いよう」と泣く母を置いて仕方なく実家に帰り、私の家族と連れ立ってドライブに出掛けていた幼馴染のおじさんに電話をかけた。
「この度は迷惑をおかけしてすみませんでした」と言うと
「ほんと迷惑やったよー!」と返された。博多のおじさんらしい反応。
そのあとは色々と心配してくれて話しているうちに泣けてきた。

首にギプスを巻いた父が帰宅し、二人きりの夜ご飯の買い物に行く事になった。
こんな時だけど、娘が帰省しているのだからご馳走を食べさせたいらしい。父がすき焼きを作ってくれる事になった。
当時20代前半だった私はとっくに反抗期は終えていた。けれど父の弱さを許容できるほど大人ではなかった。
鞭打ちくらいで済んで良かったと思う気持ちと、居眠り運転なんかしやがって、という気持ちでピリピリしていた。
すき焼きの具材を買い込みスーパーの袋を持って出ようとした時、父が「お父さんが持つよ」と言って私から袋を取ろうとした。
結構な重さだったので鞭打ちの人に持たせるわけにいかないと、「いいよ私が持つから」と二人で引っ張り合いになった瞬間、すき焼きのために買った卵が地面に落下した。

自分の居眠り運転で年頃の長女をあんな姿にしてしまい、母にも怪我を負わせ、仕事を休み帰省してきた次女に白い目で見られている。
せめてものすき焼き。
そのための卵が、地面に落ちて割れた。
情けなく残念な気持ちが押し寄せてくる中、二人で流れ出る白身と黄身を見た。
世にも悲しいアンガールズのような気分。
「ジャンガジャンガ ジャンガジャンガ〜」ができたら私たちは救われただろうか。

腕の良いお医者さんだったおかげで、姉の顔の傷は時間はかかったけれど今ではほぼわからない。ガタガタになったまつ毛も綺麗に戻った。
母は、小指を骨折しただけなのに事故のせいであごが出た気がすると訴えていた。母のあごがほんのりケツあご気味なのは元々です。

父はすぐに運転を再開したし、変わらない家族の日常にそれぞれ戻っていった。変わったことは家族全員シートベルトをしっかり締めるようになったぐらい。

そういえば、それから1年後くらいに太郎の働くデパートに行く機会があったのでついでに顔を見にいってみた。
私に気づいた太郎は人懐こい顔で近づいてきた。適当な挨拶をし、姉の話になった。
「姉ちゃん元気にしてる?」
「・・・去年交通事故に遭ってね、記憶障害になって大変だった。」
「え?大丈夫なの?」
「うん、・・・まあね。大きい事故だった・・・。」
詳しく聞きたそうな太郎を置いてさっさと切り上げた。

姉の記憶障害は本当は3、4日ほどで元に戻った。後遺症も全然ない。太郎に意地悪してやったのだった。
姉はこのことを知らない。
もう太郎には興味もないから。私もどうでもいい。ただちょっと太郎の動揺した表情を見て気が済んだ。







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