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それでもあなたと、言葉や態度を交わしたい

「人の気持ちを理解する」ことなどできるのか。
それは、しばらく前から
ずっと思っている疑問でした。
 
理解など、できるわけがない。
でも、そう片付けきることもできない。
 
この件については
自分がどういうスタンスをとるかを
言葉にしておきたいとおもいます。
 
 
改めて考えても
やはり「できない」と思うのです。
自分の気持ちだって
すべてをわかることはできないのに
人の気持ちなんて、わかるわけがない。
 
むしろ
「わかる」だなんて。「理解できる」なんて
おこがましいし申し訳ない。と思います。
 
 
でも、一方で。
 
言葉や態度など、目に見えるところに
すべてが表わされているわけなんてない
ということに、無頓着ではありたくない。
 
仮に、表されていたとしたって
私が相手の文脈どおりに受け取れるか?
という話で。
そんなこと、できるはずがない、という
前提も、心に留めておきたい。
 
 
言葉や態度に表されたものから
自分が捉えられる意味合いは
ほんのほんの一部でしかあり得ない。
 
それはもう、どうしようもありません。
 
 
それをわかった上で
自分がどんな言葉や態度を表すのか?
ということを毎回毎回、考えていくしかない。
 
結果、「理解してくれた」と
相手が感じることもあれば
きっとそうでないこともある。
それは自分にはコントロールできない。
 
ということなのだろうと、思います。
 
 
「理解してくれた」という結果を
常に引き出そうとするのは不自然。
といって「理解してくれない」だけでも
それはなんだか切ない。
 
 
相手の気持ちを理解することは、できない。
必ず、自分が捉えた以外の意味合いがある。
 
そんな答えのなさ、曖昧さは
私にとってそれほど居心地のいいことでは
ないけれど
 
それでもあなたと、言葉や態度を交わしたい
という気持ちを、少しでも表すことができれば
いいんじゃないかな。
そんな気持ちを、少しでもお互いに交わせたら
いいんじゃないかな。
 
そして、敢えて「理解しよう」とせず
言葉や態度に表されたもののみから
判断することが、ときに
そのひとを、過去からのとらわれから
脱却させるサポートになることがある
ということも、わかっておきたい。
 
 
それが、いま時点の
自分のスタンスかな、とおもいます。

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