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マチネの終わりに見たもの。

最近みた映画のお話をします。

ネタばれしないように頑張ります。が、察しのよい方には洩れ伝わるかも。笑 内容明かさずに感想書けるスキル身に付け中。ですのでまだ観てなくて絶対に意地でも結末知りたくないという方は流し目ぎみで、どうぞ。笑

先に言うと、私個人の感想なので特段おもしろくも高尚でもありませんが、でも、昔から何故か映画好き。家に引きこもってた時期は、近所のレンタルビデオ屋さんで10本1000円!(新作、準新作以外)で借りられたから、気になって観てみたかったの片っ端から借りてきて、そしてその感想をノートにひたすら書く。ということをしていました。ということを、ふと聴いていたラジオで思い出しました。笑 あの映画のーとはどこにいったんだろうな?実家にまだ、あるのかな? そんな事を、また思い出して、あの頃の気持ちでまた一人書いてます。笑

映画が好き。だから、映画館で働くことを選ぶ!くらいには、すき。だった(職権乱用で映画が観放題なので、マイ人生内中、福利厚生としてベスト)もしかして映画を作る人になりたいのか?と彷徨ってみたこともあったけど、アメリカの大学の授業で選択してみて、演出や効果。としての撮り方には感心や感動という観点からの興味はあるけど「こう撮りたい!」みたいな欲は特に沸いてこない。そういうすきではないんだなぁと気付くのでした。うん。「受け手」として、作品を楽しみたい!そういう種類の好き!もあるよね。そして、そのたった数時間のストーリーを通して出会う、人や言葉。その物語の主人公たちの、人生。に出会うと感動するんだろうなぁ。そんな感動をくれて産み出した方々の、才能。技術、努力。作品。とかにも。

人生とは、人と人の出会い。重なり合って、交差しあう旅路だと思うけど。映画という作られた、バーチャルな世界だとしても。私は一つの人生との、交差だと考える。その中で、生きてる人、とのイレギュラーな交わり

今回お話する映画は、「マチネの終わりに」

平野啓一郎さんという作家さんの作品のようです。まだ、読んでないです。でも調べたらこのnote発信(&新聞)でもあるのですか?すごい偶然!!!

私は、文章や言葉が好きではあるけど、読書好きなわけではないのか?もともと作家さんの好き嫌いと、食わず嫌いがひどいです。それこそ偏見並みに何かがクッと嵌る瞬間まで引っ掛からないことが多い。自慢じゃないけど。でも、この映画は、観て、原作を読んでみたくなる。いいパターンの映画化だったような、気がします。個人的に。

正直なところは原作読んでないからわからないですけど。 原作を愛する人からすると、ギャップはあるのかもしれませんが。イメージの再現率とか各主人公達のエピソードをどれだけ骨付けしてるか、意味づけさせていくのか、って。その映画化の観点や切り口って人によって違うと思うから。。。ま、私は原作を知らない故に何のこだわりもわだかまりもなくみれました。

一言でいうと。石田ゆり子さん、と福山雅治さん。そして映画のなか一貫して流れる、音楽。の調べが哀しくも美しい。大人の、恋愛の。映画でした。

ただの、綺麗ごとの恋愛ではなく(むしろ只のキレイなラブストーリーってなんだ?笑)登場人物達は、苦悩し、孤独で、現実を生き、そして、誰かのほんの意図で、すれ違ってしまう。そんな不条理も、あり。

ストーリー展開的には、好き嫌いは分かれるのかもしれません。私はよく、映画の中の主人公達に自分を重ねて、感情移入して、一緒になって怒ったり泣いたり、それこそ傷ついてしまったりしてしまうのだけど。(だからサイコ系とかホラー映画を観ると大変です。笑)でも、この映画の最中はわりとそこまでの埋没感というよりも、程よい緊張感で見られた気がします。それは、私が大人になったのか。それかこの映画の持つ視点というか、距離感。物語性故の「共感」その悲しいまでの美しさのおかげなのかもしれません。

でも最近、本当に個人的に思うのですが、「美しさ」って要素として決して単体な穢れなきものだけではなくて、もっと何か。上記にあるような人生、生活、その総てを包括し得る、なかで輝くもの。って感じがしております。だから、この映画の(そして実際の、は。モチロン!)石田ゆり子さんは、とても美しい。

その一貫してる美しさが、原作にも流れてるものなのか、それとも映画という媒体だから?なのか。それを確かめる意味でも一読してみたいなぁ。と、思ったので、映画化としては成功なのではないか、と勝手に思うのでした。

ストーリーとしては。映画の中で、福山さんは天才と称されたクラッシックギタリスト。石田ゆり子さんは、パリで暮らすジャーナリスト。その二人が出逢い、はじまるところから、始まる物語。です。でも、想像よりずっと、しんどい。映画自体がというより、社会派というか、そういう側面も描いていますが、そちらはフォーカスしているというよりも、人生の出来事の一部で。突き詰められるのは、人、の選択。に付き纏う人生の、責任というのかな。マネージャー役で出られてる女優さんの方がとてもよい仕事をしていると思います。迷(名!)脇役であり一種の主役というか考えさせられます。

詳細を明かさずに感想を述べると、私は最初、彼女を「愚か」だと思った。その行為。という選択をした彼女を、どんな感情で見守ればよいのか、正直わからなかった。でも「恋」ってひとを愚かにさせる。ものかもしれない。ですね。なんか、惹かれあう二人を前に、壊れそうな心は、すごくわかる。でも、その行為は決して応援出来るわけでもなくて。んーーーーーーーー!笑 ハッピーエンドを望む人には、疑問しか残らないような「どうして?」が解消せず。個人的にはそれをしちゃった彼女が苦しくないんかなぁ?って心配になるような。でも、物語が進んでって、これは「愛」でもある。のか?って問いも生まれて。「そこに愛は、あるんか?」笑って聞かれたら、うん。きっと。それが欲だったとしても、限りなくエゴだったとしても。彼女も、蒔野を愛していたんだなぁ

と思ったんだけど、でも愛って、「誰かの“為”に」「何かをしたいと思う」こと思う。から。。。(すみません多分何かの歌詞です。笑)ちょっとよくわからなくなりました。笑 だからこの子に。その言動に。愛着や同情そして憎しみ?を持てる程の感情移入というか、キャラクターとして「そういう人」以外で何故そうしたのか、ってのがまだ、腑に落ちてなくて。だから、その意味でも原作を読んでみたい。そしたら少し、その理由がわかるかも。と変な角度で期待をしています。

綺麗なだけのラブストーリーでなく。翻弄される展開に毎回、首を振って心が「?」「、」立ち止まってしまいます。でも、人が生きるって成功も失敗も含めて色々あって、間違った選択も、あって。それに影響されて。でも、だからって終わらせることは、出来ないじゃないですか。その、続いていく人生のなかで。孤独を抱えて、まっすぐに、生きる。

色褪せない宝物、みたいに想えるなにかが、あるのなら。「変わらない愛」ってあるのかなぁ。って、思える。作品です。

良作。3.7/5   86/100 

P.S.  個人的に映画の中で使われている「幸福の硬貨」という曲が、とても綺麗で、すきでした。もともとあった曲でなくこの映画の為に作曲されたのなら、それも含めて大正解と、思いました。だって、文字で読んだときには、皆さんの頭の中だけで存在する。そこにしかない、メロディー。きっと清らかで高らかで、美しくどこか優しい調べを浮かべてたんだろうな。と想像するし、それがこんな音だったら、とっても素敵。だな。と思いました。(自分は今から原作読む派なので、きっとあのメロディーが浮かんでしまう!けど、先に原作読まれた方のみが楽しめる想像と具現化の大いなる遊びなので、そのギャップすらとても羨ましいです!ね!)

でも基本、映画は前情報一切ナシで観るのが好きです。笑

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