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劇団ねこのバロン第二回公演「再びの、生きがい」製作記録〜その1

劇団ねこのバロン主宰の折笠安彦(以下、私)です。
2023年4月21日から23日にかけて、劇団ねこのバロン第二回公演「再びの、生きがい」を横浜のSTスポットで上演しました。
お客様の反応も予想以上に上々で、ホッとしています。
このnoteでは、その製作記録を残し、できることならこの小さな劇団のことを知ってもらいたいと思い、複数回に渡り書きます。

劇団ねこのバロンについて

劇団ねこのバロンは、2019年4月に私と、制作を担当している鯵坂会美(以下、会美ちゃん)で立ち上げた市民劇団です。
活動拠点は横浜。横浜には名だたる市民劇団も多く、それらの諸先輩からすると無名な小さな劇団です。

私と会美ちゃんは、横浜にある劇団かに座(以下、かに座)に所属していました。
ふたりともかに座は退団したのですが、何年かのブランクの後、MAロッキーズという劇団にいる共通の知り合いである髙橋さんに客演として18年に呼ばれたことで再会し、劇団を作って活動しようということになりました。
実際はそんなに単純ではないのですが、ざっくりこんな感じです。

劇団名は、かに座に所属していた当時、稽古場敷地内に迷い込んだ猫を会美ちゃんが保護し、私が貰い受けて今でも飼っている「バロン」に由来します。

お客様が、観終わった後に暖かい気持ちになれるような作品を、できる限りわかりやすく、高い質でお届けすることをコンセプトにしています。

2019年9月に旗揚げ公演「今度は愛妻家(作・中谷まゆみ、演出・折笠安彦)」を横浜のシルクロード舞踏館で上演しました。

劇団ねこのバロンのロゴ

コロナ禍でやったこと

旗揚げ公演を好評のうち無事に終了したので、さて第二回公演の準備をしようとした時に、コロナ禍に見舞われました。
その影響は言うまでもなく、ねこのバロンだけではなく、あらゆる劇団が受けました。
しかし、黙っているのもつまらないので、ふたつのことをやりました。

オンライン作品を製作

コロナ禍では色々な劇団がオンライン公演をやっていました。劇場から無観客配信したり、ZOOMを利用して芝居をやったり。私も時々、それらを観ていました。

当時、ねこのバロンには劇団の新人が2名いました。旗揚げ公演後のバラシに参加し、公演も観て入団してくれたゆっこちゃんともう一名です。ふたりを対象にしてワークショップを始めました。しかし、対面実施が困難になり、オンラインに移行しました。
その成果を発表するのに、劇場から無観客配信するのはハードルが高く、ZOOMを使ってできるだけその場にいる雰囲気を作った芝居を作ることとし、試行錯誤しながら、ワークショップ期間含めて1年半かけて21年4月に完成しました。

その動画のキャプチャーが以下のとおりです。
いかにも隣に人がいるような臨場感を出すのに苦労しましたが、今見るとなかなかシュールで、面白い結果となりました。ただ、通信なのでどうしても間が空いてしまうなどの問題は避けようがありません。
この動画はYouTubeで限定公開で配信しています。

ワークショップオンライン公演

また同じことをやるかというと、リアルに芝居ができる今日の状況ではやらないでしょうね。手間もかかりますし、対面の方がはるかに楽しいです。

でも、当時はワークショップを進めなければならず、何とかしなければという気持ちが強かったので、オンラインという判断は間違っていなかったと思いますし、これも貴重な作品です。
ふたりにとっても勉強になったと思います。ワークショップ開始とこの作品完了後では見違えるほど進歩しました。

脚本を書く勉強をしたこと

私は劇団である以上、オリジナルの脚本で上演したいと思っていました。
しかし、その書き方すらわからないし、書くならちゃんと書きたいと考え、シナリオ・センターというスクールの通信講座に入りました。
このスクールは、映画やテレビドラマなどで活躍している著名な脚本家も輩出しています。
この通信講座では、基礎科6ヶ月、本科12ヶ月、研修科18ヶ月とステップアップしながら課題に沿って書いたシナリオ(200字詰め20枚の20枚シナリオ)を月に2回送り、添削されて返ってくるシステムです。
毎回違う課題で月に2回書くのはなかなか大変ですが、添削を通じて講師の方と会話したり、課題について考える時間は楽しく、第二回公演の「再びの、生きがい」を執筆する上で非常に役に立ちました。
考えてみれば3年間ですから、我ながらよく続いて卒業できたものだと思います。

第二回公演準備始動

開催決断

21年10月ごろから再開に向けた話を私と会美ちゃんで話し始めました。シナリオ・センターの課題作品も見せつつオリジナル脚本で行いたいことを伝えていました。しかし、コロナ禍がどうなるか見えないこともあり、具体的な進展はありませんでした。
一方で、私は、21年後半から22年秋にかけて、劇団あげ玉の朗読劇、紅月劇団ワークショップ公演、神奈川県民ミュージカルに参加する機会を得ていました。
そこでの稽古を通じて、ねこのバロンも何とか再開したいという気分が盛り上がり、22年5月に、オリジナル脚本で公演を再開することを決断し、会美ちゃんと検討を始めました。
公演をするためには、脚本、キャスト、スタッフ、会場、稽古場、予算など様々なことを決めていかなければなりません。

脚本検討

オリジナル脚本で公演をすると決めたものの、どのような本にするかという具体的なイメージはなく、手探りながらも検討を始めました。
はじめに検討したのは、決めたテーマに沿った短編オムニバスにしようとことでした。しかし、短編オムニバスで公演を成り立たせることの具体的なイメージは湧かず、悩みの日々は続き、オリジナルやめようかなとも思いました。
それが進んだのが、キャストの顔ぶれが決まってからでした。

キャスト決定

再開を決断した当時、第二回公演に参加できそうな人は、私、会美ちゃん、MAロッキーズの公演で共演して知り合い、ねこのバロンの旗揚げ公演にも参加してもらった長沢和彦さん(以下、さんちゃん)、前述のゆっこちゃんの4人でした。
もちろん4人でも公演はできるのですが、より多くのお客様に観ていただきたいので、参加してくれそうなキャストを探し始めました。

私、会美ちゃんで心当たりの人に連絡をしたのですが、仕事の都合、他の公演参加等々の理由で見つかりません。しかし、ふとしたことから幸運は巡ってきました。

当時私は、藤沢の立花プロダクションが主催していた神奈川県民ミュージカルの公演「舞台裏の幸福」に、降板となったキャストのピンチヒッターとして参加していました。芝居、ダンス、歌となかなかハードでしたが、楽しかったです。
そこに出演していた蒲ヶ原由紀さん(以下、由紀ちゃん)の、難しい機微な気持ちの表現力に注目していました。
そこで、「舞台裏の幸福」公演終了後の22年9月に、ねこのバロンの芝居作りや第二回公演の構想について説明し、参加してもらえないか打診したところ、快諾してもらえました。

また、劇団かに座で一緒だった髙橋由紀さん(以下、髙橋さん)が、当時活動していたMAロッキーズの22年11月の公演後、劇団として活動を休止する見込みで、身の振り方に悩んでいる話を9月に聞きました。もしかしたら参加してもらえるかも知れないと連絡を取り、会って話を聞きたいということになりました。髙橋さんはかに座で制作の経験も豊富でそちらの面でも助けてもらえる可能性があります。
10月に私、会美ちゃん、髙橋さんで会い、由紀ちゃんの時と同様の説明をして、参加してもらえないか打診したところ、快諾してもらえました。

この後、脚本に声だけの出演者を作ったので、何回か一緒に芝居をした松尾崇さんに声をかけ、これも快諾してくれました。背が高く、イケメンの松尾さんには
顔をだすキャストとして参加して欲しかったのですが、仕事の都合で稽古に参加できる回数が限られて断念していたのですが、声だけでも参加してもらえて良かったです。

これで懸案だったキャスト体制が決まりました。どのキャストも過去何らかの形で共演したことがある確かな人たちばかりです。

脚本構想決定

由紀ちゃんと、髙橋さんがメンバー候補に上がると、キャスト
のイメージから「再びの、生きがい」のあらすじが自分の中で浮かんできました。
髙橋さんはこの段階で参加するとは決まっていないのに、参加してもらえるというちょっと強引な前提で考えました。
22年9月末には会美ちゃんにもそのあらすじを見せ、これで行こうと決めました。
それまではなかなかイメージが掴めなかったのですが、具体的な人物、それも知っている人が目の前に揃うと、配役イメージができ、ストーリーが生まれるというちょっと不思議な経験をしました。

公演会場決定

キャスト決定や、脚本検討と並行して公演会場検討も進めました。候補に上がったのは、横浜市泉区のテアトルフォンテ内ギャラリー、港北区の大倉山記念館、西区のSTスポットです。ギャラリーはとても安くて、雰囲気も良いのですが、入場者数制限が厳しく、お客様は13名位しか呼べなくて断念。大倉山記念館はとても雰囲気が良いのですが、逆にそのために芝居内容が限定される可能性があったため、断念。結局STスポットが残りました。
会場費が他よりも高いのでちょっと躊躇しましたが、照明・音響機材、平台、箱足等の使用料が含まれており、結果的には安いということがわかりました。
横浜駅近くと場所も良いですし、数多くの劇団が公演しているSTスポットでやると何だか箔がつく感じもしました。
公演参加費、チケット収入やコストを見積もると、集客をちょっと頑張れば赤字にならず行けそうな気がしたので、STスポットに決定しました。
詳しくは触れませんが、日程も23年4月としました。

スタッフ決定

キャストの他にスタッフも決めて行きました。最初は外部への委託も検討しましたが、かつて一緒に活動したメンバーにお願いしたいと声をかけました。照明には、かに座時代一緒に活動したねこようさん、舞台監督にはやはりかに座時代から一緒で旗揚げ公演でも装置をお願いした森さん、音響とフライヤーデザインには、私が劇団あげ玉の公演に参加させてもらったときなど、かに座退団後のお付き合いである加戸谷さんにお願いしました。
いずれも最高のスタッフです。
受付スタッフには、劇団あげ玉代表の静稀さんとその仲間の八重さん、ぎばちゃん、及び旗揚げ公演で共演した道子さんにお願いしました。いずれの方も舞台に立つと素晴らしい芝居を見せてくれる方たちが受付を快諾してくれました。

こうやってキャスト、スタッフともに私と何かしらの形で一緒に演劇活動を共にしたメンバーにお願いをして皆さん快諾して集まってくれました。
こんなにありがたいことはない体制が整いました。本当に感謝です。

キックオフ

公演体制、脚本あらすじ、会場、その他制作的なことを決め、10月7日にキックオフを迎え、正式に活動を開始しました。一番懸念だったのは脚本でしたが、仮とは言えタイトルを提示することができたので安心しました。この段階ではあらすじは示しませんでした。

長く書いちゃいました。その2ではワークショップ以降について書きます。お付き合いいただきありがとうございました。