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引っ越し〜がらんどう〜【エッセイ】

引っ越しがだいぶ進んできた。

ものが減って「すっきりしたなあ」というより、寂しさを感じる。


前に実家が引っ越したときもそうだった。
引っ越しが住んでがらんどうになった家へ一人行って、泣いていた。


こんかい、出られる喜びは大きいが、やはりここにも思い出があり、振り返っては寂しい思いをしている。ハムやんと遊んだこと、脱走したクローゼット、冷蔵後の横、冷たくなっていたハムやん。
ベタちゃんのことも思い出す。病気になってうまく泳げなくなって、水槽を変えて薬を買って。いつか泳ぎだすのではないかと思って、しばらく死んでしまったことが信じられなかった。


犬は人につき、猫は家につくという。わたしもそうなのだろうかと思う。


30代前半まで実家を出られなかったのは、親に申し訳なかったから。なんとなく出て行ってはいけない気がしていた。親と一緒にいたかったからではなく、親が一緒にいたいのたと思っていた。
しかし結婚相談所へ入れられ、見合いの話を持ってこられ、どうやら結婚してほしいらしいと知ったのでその辺にいた相手と結婚することにした。結婚して引っ越して初日、自分の家でなく不安で泣いたのを覚えている。私にとっては「だれが」よりも「どこ」のほうが大きいらしい。


ここに住み続けたくはないが、家賃さえ払えるなら、ハムやんとの思い出のあるこの場所をそのままにしておきたいと思ってしまう。


物も捨てられない。だから身につけるものは高いものを買う。靴やカバンは修理して使い続ける。捨てたくないからだ。

捨てられない理由は、そこに思い出がくっつくからだ。おもいでがくっつくと、もはやただのものではない。

だから棄てたいものは、早々に捨てるようにしている。愛着が湧く前にだ。


今回も捨てそびれたものがいくつもあるなあと思う。ついつい思いが残ってしまって。いや、今回は少ない方か。日用品以外はおそらく手放せたが、意外にごみも少ない。‥これは部屋に対してものが多いということだ。これでは気も休まらないはずだ。

脱線したが、私にとって引っ越しとはそんなものである。


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