この上なく惨めな夜【ショートショート】

あたしはこの上なく惨めな気分だった。
散歩中に犬の糞を踏んで、お気に入りのスニーカーにベッタリとくっついてしまったから。
友達からもらったエスプレッソカップを割ってしまったから。
一足1800円もした靴下に、マニキュアをつけてしまったから。
仕事をクビになってしまったから。
そして、大好きだった彼氏に振られてしまったから。

「紗織?紗織じゃないー?」
仕事帰り。慣れない接客で疲れた体を引きずりながら、歩いていた。甘ったるい声で呼びかけられ、ふり返った。
こいつは、嫌いだけど覚えてる。大学の時同じクラスだった絵梨花だ。頭空っぽ、お色気絵梨花だ。
「やだぁ、偶然ー。こんなとこで会うなんてー。紗織も仕事帰りなのー?」
あたしは、こんな気分のときに最悪なやつに会ってしまった、と思った。さっさと切り上げて帰ろう。
「紗織はー?何やってるの?OLー?あたし会社この近くなんだけどー、これでも営業やってるんだー」
絵梨花は一人でどんどん話し続ける。仕事を失くしてフリーターだなんて、死んでも言いたくなかった。
「ごめん、急ぐから」
「あ、待って!金曜の夜空いてない?彼氏とご飯行く約束してたんだけど、いけなくなったらしくてー、よかったらいかない?」
……?なんであたしが?何年ぶりかに会って、しかも別に仲がいいわけでもないあたしがなんで。
「あの、彼氏がチケット買ってくれたから、お金はいいの、だからよかったら」

金欠病でカップラーメン三昧だったあたしは、誘いに乗った。絵梨花は嫌いだけど、美味しいものにありつきたかった。色々うざったいことを言ってくるだろうが、適当にあしらってやればいい。

金曜日、仕事から急いで帰ると、目一杯のおしゃれをした。綿の薄手のセーターを着て、膝丈のスカートを履き、久々にパンプスを履いた。まだ肌寒いのでスプリングコートが必要だったが持っていないので、やむを得ずGジャンを羽織り、ストールを巻いた。Gジャンは入り口で脱げばいい。
『クッチーナ シオバラ』。思ったよりもゴージャスなイタリアンレストランだった。少し早めについたので、中で待たせてもらうことにした。ボーイが恭しくGジャンを受け取るのが恥ずかしかった。

遅い。何かあったのだろうか。15分待つのになんの連絡もない。
30分。連絡がきた。「ごめんね、仕事長引いて行けそうにないの。埋め合わせは必ずするから!良かったら紗織だけでも食べて帰って❤」。
バカにして。30分も待たせておいて来られないなんて。いつものあたしだったら帰っただろう。
「すみません、二人分出してください。それからワインも」
ヤケだった。あたしは無我夢中で二人分の料理を食べた。味わう余裕なんてなかった。昼ごはん抜きで来たから空腹だったが、それでも二人分は多すぎた。
お店の人は呆気にとられていた。周りのお客さんにもじろじろ見られている気がした。
惨めだったがお腹は膨れた。
「ごちそうさま」
席を立つとまたボーイが、恭しくGジャンを持ってくる。そのとき、裏地のほつれがちらりと見えた。あたしは恥ずかしくてひったくった。
ボーイがドアを開けてくれると、外は雨が降り出していた。傘は持ってこなかった。
「傘、お貸しいたしましょうか」
ボーイはどこまでも親切に言ってくる。あたしはますます惨めになる。
酔っ払ったフリをしてボーイにもたれかかった。彼は仕事上、律儀にも支えてくれる。
あたしはボーイの唇にキスをした。
「はは、ひっかかった、あはは」
私が笑うとボーイはカッとなった。
「何すんだよ!」
「あんたなんか、あたしのこと憐れだと思ってたんでしょ、ザマーミロだ」
あたしは雨の中に飛び出した。
「なんなんだよ!変な女!」
ボーイの叫び声が追いかけてきた。
なんなんだ、はそっちだ。みんなでバカにして。どうせあたしなんか惨めな女だって、みんな笑ってるんだ。雨と涙でぐちゃぐちゃになりながら走った。
私は世界を消したかった。いや、消したいのは自分かもしれない。
神様、どうか、明日の朝起きたら、あたしが完璧にこの世界から消えていますように。そう祈った。


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さとうさくら氏のスイッチという作品の一部を、自分の言葉でしたためてみました。

尺の都合でハッピーエンドにできませんでしたが、本当はそうしたかったです(^_^;)



余談ですが、ずっとブラウザをFirefox使ってて、あまりの重さにヤフーブラウザに変えてみたら、死ぬほど軽いという…。

note開くたびにフリーズしてましたが、しなくなりましたー!

軽いって幸せー❤

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