好きを見つけること

私は重症心身障害児者の施設で働いています。

そこへ来るのは9割が寝たきりの子で、その他の子は、人の支えや装具があれば歩けるといった状態の子です。

お話も9割の子は出来無くて、かんたんな発語がある子も合わせても数えるほどです。

意思疎通も、9割の子がとれないか、ほんの少し取れるような状態です。

その子たちは、月に1から3回位のペースでそこを利用します。日中だけの利用で、お泊りはしません。

私達スタッフは、親御さんが書いてくれた予定表を元に医療的ケアをしたり、お弁当やおやつを食べるお手伝いをしたりします。

その合間に、私達が毎月考えた工作をしたり、お散歩や歌ったり踊ったり、リハビリしたりします。

私はこの業界がまだ二年で、その前は高齢者が多いところで働いていたので、初めてのことが多くこなすのに必死ではありましたが、その中でも、できるだけ、ひとりひとりの子が何を求め何に笑ってくれるのかを見てきました。

たまにしか会わないなりに覚えてくれるらしく、だんだんと信頼関係が芽生えるのはとても嬉しいことでした。

信頼関係が深くなると、笑ってくれる回数も増えるし、笑ってくれると、張り切ってミッキーの似てないモノマネなんかやったりもして、苦笑いされるのを楽しんだりしました。

甥っ子と話したとき、私が働いている施設に来ている子達のことを話したら、かわいそうだと言いました。

だからそれは違うよ、と言いました。私の伝え方が悪かったのかもしれません。

利用者さんたちは、眠かったり嫌だったりしたら泣きますが、基本は笑っています(そういった表出のない子もいますが)。

私は、心から笑っている人は幸せだと思っています。

彼らは動ける範囲が少なかったり、制限は大きいかもしれないけれど、制限のない人間なんていません。

メガネをかけないと見えなかったり、体が硬かったり、そんな制限かもしれませんが、ひとそれぞれ何かしらあると思います。それは、経済面かもしれません。

だから、制限があっても幸せでいられると思うのです。

これが叶ったら幸せというのではなく、かなっていない今も、今なりにしあわせということです。

話が逸れましたが、人より少し制限の多いその子達が、少しでも沢山笑っていられるよう、これからも頑張っていきたいと思います。



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