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尿臭【エッセイ】

スシローへ行ったときのことだった。
あとから入ってきた女性から尿臭がした。その女性は白髪をきれいにまとめ、可愛らしい洋服を着ていたように思う。つまり身なりを整えていたということだ。家族と思しき人と一緒だった。年齢的には息子さんだろうか。あとほかに誰かいたが覚えていない。

彼らは私達の少し奥の席に通された。そのとき、私達の通路を挟んで反対側の席に座る子供が「くさーい」と言った。あれだけ臭ければ、言いたくなる気持ちも分からないではないが。
その女性の家族は臭さにおそらく気づいてはいる。しかし当人は気づいていないかもしれない。

これは、お年寄りとの関わりの背景を知るものからすると非常に難しい問題である。履くオムツを女性は着用していたのだろうが、それが適切に替えられていないという可能性を私は考えたが、実際のところ、本当にデリケートな問題である。

認知機能の低下というものは、ある日突然起こるものでなく、徐々に起こっていくものである。
「私はボケてなどいない」という登場人物をドラマなどで見ることも昨今では多くなったろうが、あれはその辺に当たり前に転がっている話なのである。

家族の介護をしたことのない方はわからないかもしれない。長年共に過ごしてきた人がだんだんボケていき、苛立ったり失望させられたりすることを。

ましてや当人は自分がボケていることに気づかない。自分は昔と変わらずしっかりしているつもりである。
そして排泄の問題は、その中でもなおデリケートな話題なのである。

スシローの一件は、事物だけで言えば簡単な話だろう。親族がその女性を清潔にしてやればいい。
しかしその女性はモノではなく、心が介在する。だから家族だって簡単に手出しをできないのである。

あとこれは単なる余談であるが、臭いを放つ人が通ったからと言って、「くさーい」と聞こえるように声を張り上げるのはいかがかと思う。
この件について何が正しいとは私には言えないが、一つ言えるのは、平気で人を傷つけるような言葉には「思いやりが足らない」ということである。
こんな見方をしたくはないが、小学生くらいの子供の口からあんな言葉が当たり前に出てくるのは、普段から言ったり聞いたりしているのにほかならない。
その子にしても親にしても、いずれ通る道である。
若いからなどということでなく、日頃から思いやりを持って行動すれば、彼らの行動も違ったのではないかと思う。
今回の件で私が一番気になったのはその部分だったかもしれない。


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