実作に生かす例句の読み方(河北TBCカルチャー「楽しい俳句」第一七四二回)
はじめに(注意事項)
俳句歳時記はアンソロジー。例句は作句のヒント
今回の兼題は「枇杷」でした。
詠草を拝見すると、植物が兼題のときは苦しい詠み方が多いように見受けられます。
兼題は作句技術の修練であり、発想のヒントを得られる言葉とよく言われます。つまり兼題(言葉)から記憶や連想を広げて、身近なものから題材を探すんだよ、というわけです。
……とは言うわけですが、難しい兼題になるとお手上げ、具体的にどんなヒントが得られるのか教えてほしい、という声も。
一つの(中途半端な)答えを示しますと、兼題について調べようと歳時記を見るとき、まずもって例句を見て学ぶのが創作の刺激になります。例句を読むことが、記憶の景色やいま見ているものの中から題材を選び出すための、大きなヒントになるわけです。
歳時記に掲載されている例句は、「何を詠むか」「どんな風に詠むか」についての成功例です。
ですから、難しい兼題と思ったときには、例句を読まない手はありません。
そして、例句の発想や着眼を換骨奪胎、というと変ですが、例句を参考にして「自分ならどう作るか」を考えてみることは、句作りの修練として効果的だと思います。
そこで、問題は具体的な例句の読み方ということになります。例句はどう読み、どう参考にすればいいのでしょうか。
本記事では、今回の兼題の「枇杷」を例に、(受講生や10月期からの受講を考えてらっしゃる方向けに)私なりのアドバイスをお示ししてみます。
実作に活かす例句の読み方(今回の「枇杷」を例に)
講座の趣旨に関わる前提としてですが、良い句を覚えて、言葉だけ借りるようにしよう、ということではありません。語彙を増やすのは大切ですが、それよりも良い句をよく味わって、句の奥の心を見て、そして忘れることが、何より栄養になると思います。
ただ、俳句の芯に迫ると言っても漠然としては進歩がないので、下記では句のポイントを摑むときの見方の例を出してみます。あくまで私の場合です。
まず、どんな質感で詠まれているか。それから、どんな関係のものが詠まれているか。人間は季題にどんなふうに関わっているのか。どんなイメージのものが取り合わされているのか。そんな観点を意識して読むのはどうでしょうか。
一応の基準でしかありませんが、何かを摑む助けくらいにはなると思います。
実際に今回の兼題だった「枇杷」の俳句を見てみましょう。
① 季題の質感 (視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚、直感……)
汀女の〈枇杷買ひて夜の深さに枇杷匂ふ〉は嗅覚の句。しっとりとした質感があります。梵の〈やはらかな紙につつまれ枇杷のあり〉も同じくしっとりとした質感がありますが、「やはらかな紙につつまれ」には触覚的な情報もあります。
澄雄の〈枇杷の柔毛わが寝る時の平安に〉はやはり触覚的ですが、その感覚を直感で「寝る時の平安」に結びつけています。この直感の働きが、良いですよね。
麥丘人の〈びはすする夜空ちかちかありにけり〉。こちらも直感の句ですが、どうして夜空に結びつくか。きっと枇杷を啜ったときにクラクラっと来るものがあったのでしょう。「ちかちか」が理屈でなく、枇杷と夜空を結びつけていると思います。
総じて、モノの質感を媒介にして、何か別のモノを結びつけています。夜空と枇杷、紙と枇杷、枇杷の柔毛と眠りに落ちる感覚。一つのポイントになるかもしれません。
② 季題の周辺のもの (季語とどんな関係のものが詠まれている?)
〈難しい葉も添へけりな市の枇杷〉。「難しい葉」といいますから、まずもって枇杷の近くのものを焦点化しています。そのうえで、「市」を広い場所へ視点を切り替えていて、そこに読むときの楽しさがあります。
〈マリア観音面輪愁ひて枇杷青し〉も屋外の景。観音像の愁いと、青い枇杷の若さがオーバーラップされて印象に残ります。
〈枇杷の種親しき人の映りゐる〉と〈船室の明るさに枇杷の種残す〉はどちらも屋内の景色。種を詠んで、そのままのものと、変化して残ったもの、という関係があります。
樽一句は、枇杷の乗っていた皿の反射を、白虹句は、その皿に反射しているであろう、枇杷を食べる前と変わらない部屋の明るさに、種だけになった枇杷の姿が対比的に浮き上がります。
枇杷の種を詠む場合には、残ったものとそのままのもの、という逆の志向性をもったものが合うようです。
③ 季題に向かう人間の姿 (どんな距離感? どんな動作?)
〈枇杷の実を空からとつてくれし人〉の「人」はとても優しそう。
〈枇杷むく妻へ一流氷のごと帰る〉に出てくるのは、愛しい人と自分です。妻恋の句ですね。
〈手首まで甘く枇杷の実啜りけり〉に出てくるのは自分自身。食の動作が艶やかに表現されています。
どの句も、季題に対するその人の動作を通して、その人の姿や表情がイメージできるようになっていると思います。
嫌いな人はでてこない、というのもポイントかもしれません。
④取り合わされるもののイメージ(明/暗? 大きい/小さい?)
〈鳴動の山を力に枇杷熟るる〉に出てくるのは「山」。大きいものの力が枇杷を熟れさせています。〈枇杷熟るゝ夜を繫がれて白き犬〉に出てくるのも、やはり「夜」という大きなものです。白い犬が闇のなかに鮮烈です。茫漠としたものの中から主題をすっと浮き上がらせています。
〈枇杷啜り土佐の黒潮したららす〉の場合は「海」。こちらも大きいですね。
小さな枇杷に大景を取り合わせる、というのも基本的なパターンのようです。
……と、こんな程度のざっくりした読み方で十分なので、ポイントを摑むことを心がけると良いと思います。「枇杷の明るい色とは対比的に夜がよく合わせられている」とか、「人の動作としては「啜る」を入れておけば間違いがない」とか、「落ち着いた雰囲気の句が多い」とか、そのくらいのイメージを摑むことが、まずは大事です。
一歩前進するために:例句の発想を借りて、自分ならどう作るか考えてみる
上記のような仕方で俳句を読んでみると、たとえば次のような作り方もできるのではないでしょうか。
同じ発想・景色で、見方を変える(プラスに見るか、マイナスに見るか)
焦点の当て方を変える(一句の主役を変える)
句の雰囲気を大事に、自分の身近な景色に置き換えてみる。
句の中に描かれている空間の外側や見えない場所では何が起こっているか、時間的な前後に何があるか、想像を広げて詠んでみる。
そうすると、作句の練習ができそうな気がしませんか。
「汀女の句では、夜が詠まれている。ここは夜と言わずに、夜っぽい雰囲気をだそう。小道具に何を使おうか。そうだ妻を登場させよう。いや、黒潮という句があったから、波音とか、川のせせらぎを登場させるのはどうだろう」
「瑞季の句では、枇杷を食べている自分の動作が主役になっている。では、この枇杷は誰と食べているのだろう。一人? 誰かと? いつ食べているのだろう。朝? 昼? 夜? どんな枇杷だろう。大きい? 小粒? 何かをした後のおやつ?」
句の表面ではなくて、目をつぶって句の奥を想像してみましょう。自分の経験と結びついて、連想を広げるきっかけになるのが例句です。慣れてきたら、句会や雑誌でいいなと思った句について、自分ならどう作るか考えるようにしてみるのも良いと思います。自分の俳句を鍛えるための、格好のトレーニングになるかと思います。
まとめ
冒頭の繰り返しになりますが、上に示したような仕方で例句を読み、俳句を作るのは、あくまで勉強法の一つです。こういう作り方を「推奨」するものではありません。ましてや、「良い俳句」を作る方法でもありません。「私感性が鈍っちゃって」と思ってしまっている方が、俳句的な感性を磨くための方法です。
というわけで、「例句を分析する」「例句を参考にして句を作る」というやり方は、世界を俳句という形で切り取る際の俳句の眼を鍛える基礎鍛錬です。
初心者の受講者の皆さんには、この種の例句の読み方などいち早く忘れて自分のものを作れるようになるために、(逆説的ながら)どしどし例句を読んで、試作してみて、俳句の呼吸を覚えてほしい、と思います。
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