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成功を「最短で」手にするセンスの身に付け方

先日スタッフミーティングの時に代表が、
「どれだけ正確な情報に『最短で』行き着けるか。
 麗華はそれがものすごく上手い。
 そのセンスを身に付けていけるかどうかが、この先あなたがワンランクもツーランクもレベル高いセラピストになれるかどうかのポイント」

と言っていた。

へー、代表は私のことをそう見てるのか〜
と内心思ったが、

その場では私にとってはあまり意味がわからなかった。

(知りたいことがあったら単純に知ろうとするだけじゃん?)


けど、さっそくそれに気付く出来事があったので記す。皆さんの気付きにもなるはず。

最近家に、重ねて保管したために微動だにしないほど外れなくなってしまった2つのグラスがあった。家事代行さんがやったことなのだけど。夫の力をもってしてもてんで離れない。(っつかなぜ重ねるー!!!!!)


代行さんに外させようとしたが
外せない。ごめんなさい、で特に対処せず。

「こんなにがっちりハマっててはもう諦めるしかないね」で放置。何日間か、キッチンにそのままあった。
ロックグラスは夫がプレゼントに頂いたものなので残念すぎる。


けど私は知っていた。
重なって外れないそのグラス達を見付けた瞬間、

「重なったコップ、外し方」
でネット検索。いくらでも情報は載っていた。

放置され1週間。おもむろに決行。
簡単に外れた。

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今の時代、ネットに何でも載ってる。
載ってないことを探す方が不可能なほどだ。


私は高学歴でもないし、一般職に就いた経験は二十歳からの2年間しかない。
その唯一2年間のOL時代は車を運転する外回り。とにかく物を運んだり回収したりの単純作業なので何かスキルを身に付ける類の仕事ではなかった。(運転はバリ上手くなった!)

事務作業なんてしたことない。
書類なんて作ったこともない。

しかも2年のOLの後の約5年間は「主婦」。
夫が結婚直後に末期癌ときたもんだから、ずっと看病で仕事はしてない。

そして死別後、27歳から31歳まではフリーター。
バーテンダーやセラピストもしたが、時給1000円のバイト。

私の職歴、そんなです。
これ、勝ち組か負け組かで言うと完全負け組の方ですよねぇ。しかも未亡人だし!!

友達も1人もいませんでした。
前夫の闘病生活時に人里離れすぎて。

よく、「麗華さんは日本一予約の取れない整体師というだけあって、もともと人脈がすごいんでしょ。私は人脈もないし、友達もいません」
などと言われるが、飲食バイト仲間は私が個人サロンとして独立後、1人もお客様ではないし、セラピストバイト時代のお客様は1人も引き抜いていない。

というわけで、
私はもともと武器も知識も何もないわけです。


そこへセラピストとして独立することになった。
今までやらなくて済んでいたこと、セラピストなのに施術に関係のないことでも、さっそくすべて自分でやらねばならない。

お客様とのやり取りだけでなく、
雑誌社、メディア、各業者の方とメールでのやり取り、ビジネス文書、社会人的常識、フォーマルな物言い、etc、

元々ひとつも身に付いていませんが、
ネットや本ですぐ、簡単に調べられました。

ビジネスメールを書く時も、
もちろん一行もまともな文章力はありません。でも、
「依頼 メール 例文」
とかって調べれば簡単にまともな文章は作れます。


そんなこんなでさほど労力かけずに多くは事なきを得てきましたが、

世の中にはほんと、おかしな文章を書く人が多いこと多いこと。(もちろん私も完璧ではないですが)

過去のスタッフたちも、これが出来ない人が多くて。時には
「私が1時間かけてもろくな文書かけないのに、麗華さんは施術の合間のたった5分でさらっとすごいメールを作っていく…。私はなんてダメ人間なんだと感じてしまいます」
などとも言われた。

それが私は不思議だった。
(私こそ何も知らないゼロスタートだけど、なんならみんなの方がよっぽど社会的経験あるしお勤めもしてたり大学行ってるのになぁ)


社会的マナーやメール文などはネット検索で充分知れる。それで済む事は存分に活用すればいい。

しかし、私達の業界のように、技術者、職人業となるとネットや本だけでは片付けられない部分は多々あります。ネット検索では済まされない領域がある。

私の場合、心底「この人は!」と思う人からのみ、技術を享受しているので、

習う→実践→疑問→質問→実践→報告→実践

です。単純です。
技術とは、
習ったまま、学んだまま、
知識として入れた段階ではなんの役にも立ちません。

私はそれを即、実践するだけ。
お客様か、お客様に試すレベルにないまだ浅はかな段階の知識であれば家族や友達に。

実践しないままでは疑問も質問も具体的に出ないもの。たくさんのセラピストを教えてきて、接して来て思うのは、

質問力がない人が多い。
疑問を見つける!という視点がないんですね。

それは、単純な話。
実践していないだけです。実践していけば必ず疑問や問題にぶつかります。

同じ技術が、すべての人やすべての事柄に通用するわけがないからです。

例えば、新しい技術を習った、知ったとする。
それを実践してみると、
10人には通用したが、11人目には効かなかった。この人にはなぜ効かなかったんだろう?

その技術を教えてくれた先生のテキストや実習時のノートを開く。解決しなければ、先生に質問する。

答えが出る。
→また実践→解決?まだ難航?→報告

(先生!できました!)
(先生〜、イマイチでしたー、こうやってみたんですが、、、)

私にとっては単純な話で、これが
「センス」
なんて考えもしなかった。


しかし、答えは明確。
本来、誰だって最高の情報には最短で到達できます。それをこの後、明かします。


冒頭の話に戻す。
重なって外れなかったグラス。

「優先度」の問題だけ。

もし仮にこのグラスが、
国王からもらったひとつ300万円する超貴重な家宝だったら??
→我々は何がなんでも「最速で」解決策を探しただろう。その道のスペシャルな業者(ガラス職人とか?)を探したかもしれない。1週間放置できたのは「急」を要しなかったから。

グラスをダメにしてしまった家事代行さん、もしこのグラスを元に戻せないことで、うちだけじゃなくすべての仕事を失うとしたら?
→必死で解決策探すよね。ネットでも友人でも他の仕事仲間にでも聞いただろう。自分で解決策が見出せなければ、自腹切ってでも直せるプロに頼んだだろう。


単純な話です。
行動は優先度次第。時間の制約があればすぐ動くだろうし、必死になれば誰だって何だって絶対どうにかしようとするはず。

このグラスがすぐに使えなくても困らなかったこと、
このグラスを元に戻さなくてもいいやと思えてしまう、我が家に甘えてる家事代行さん。

私が今回解決したのは、
このグラスを「ゴミ」にしたくなかったし、1週間キッチンの料理スペースにあるままだと不都合で、そろそろ片付けたかったから。


上に書いた仕事に対する姿勢も同じ。
メール文やビジネス文書なんて、いくらでも情報を拾える世の中にもかかわらず拾おうとせず、おかしな文言でもメールを出せちゃう人は、

自分の送るメールで勤めている会社や組織の印象がどうなるかより、自分が仕事をこなす事の方が優先度が高いだけ。はたまた、個人事業主や自分が代表でもそうしてしまっている人は、単純に相手より自分の方がかわいいだけ。

だって、恋人にしたい人に送るLINEは何て送るかめちゃくちゃ考えるよね(笑)


知識や技術も同じ。
習得した知識や技術をどうしたいか。

私は「亡き夫のように、ひとりでも死ぬような病に至る人を減らす!」
ためにやってるから、それに伴う意識と行動になる。私の学ぶもの全てはその視点になるし、私の施術は一押し、一触れ、すべてにそれが現れる。

もしこれが、同じくセラピストやエステティシャンであっても、
「まずは私がキレイになりたい♪」
だと、それを他人に活かせる視点、意識にはなりづらい。

はたまた、
「なんとなく、手に職!で選んだ仕事〜」
なんかだと、この職に就いた目的が不鮮明が故に実践力に乏しく疑問も湧かなけりゃ、結果も出せない。

ベクトルが自分に向けばむくほど視野は狭く、
ベクトルが他者に向けば向くほど視野は広く、
ベクトルが人を超えて社会に向けば向くほど行動や影響力が広がる。


結論。
要は、

原点は何か。

です。
あなたの目の前のそれは、
なんのためにするのか。

私の強みは、
「亡き夫の様に、死に至る病にさせない」
という、常に立ち帰れる原点があるから。

最高な情報に最短で行き着くセンスとは、決して要領じゃない。

原点。

次第です。

私がこのセンスが良いとされたのは、
何事にも原点を見出して取り組むから。

セラピストとしてのみではありません。
私の生き方として、
仕事だけでなく生活から日常からすべてにおいて、何事にも、
「なぜ」
を持つから。

なぜ、これを選ぶのか。
なぜ、ここに行きたいのか。
なぜ、こうしたいのか。
なぜ、これは嫌なのか。

方向を見失いそうになっても、
常に立ち帰れる原点があれば心の軸はブレません。そうすると、行動もブレません。


あっちにフラフラ、
こっちにヨタヨタ、
言ってることがコロコロ、
気持ちがブレブレ、

な人を見ると、すぐわかります。
「原点ないな」

もしくは、その原点が立ち返るほどのものではないんだろうな、揺るぎないものではなく、簡単に揺るいじゃう程度のもんなんだろうな、って。

要は『覚悟』の問題でもある。


もう一度言います。

原点がある人は強い。

最高に最短で行き着く方法論でした!!

「緩和ケア」と「産後ケア」。一見対極な存在と見られがちですが、両方を経験しそれらは近い存在であり、両方の重要性を心から訴えたい。これらの在り方捉え方の啓蒙、それらにお役に立てる活動をすることが私の将来の目標です。頂いたサポートはそのために使わせて頂きます!