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運命を変えるアサイゲルマニウム8 (ビレモ永田憲ちゃん)



第9回アサイゲルマニウムセミナー&交流会@熊本

2024年2月10日(土)を直前に控える今日7日。しばらくnoteを更新していないなぁ。と感じたので、今週末のことについて少し触れつつ、今回は友人というかなんというか・・・憲ちゃんのことを書きたいとおもう。

今回の熊本での開催は、憲ちゃんのためでもあるのだ。憲ちゃんって誰かと言うと、アサイゲルマニウムを健康食品として最も早く製品として扱った株式会社ビレモの取締役副社長である永田憲一郎氏である。
先程、今回のセミナーの資料のベースが出来上がった。きっと、直前までホテルなどで修正や追記など行うだろう。今回まで説明・交流会のときからで通算9回目となる。アサイゲルマニウムを伝えたいという思いから、直接エンドユーザーに会って、その間違いのない機能と『なぜ作用するのか?』を含め、皆さんの持つ疑問に答えていこうという企画だ。これは、ぼくが過去に、とあるアサイゲルマニウム販売会社の社長を務めていた時に、交流会が非常に素晴らしい会であり、実体験した方々が自然にお互いの使用法を伝え合い交流する様子が目に焼き付いていたから、何らかの形で復活させたいと思ったためだ。

明々後日のセミナーのフライヤー

サプリメントやコスメは、基本的には生理作用についての機能性を訴求することができないことが薬機法で定められている。効能・効果を販売者が伝えてはいけないわけだ。これでは世界一有機ゲルマニウムの生理作用について詳しい(自称)というぼくのスキルは販売者である以上は封印される(笑)だから、ぼくは販売会社の人間であってはいけないのだ!(言わなければいいんだけど)研究で知ったノウハウ。これほど生理作用を持って生体に働く分子なのに、それを伝えられないのは変な話だ。本当なら辛い思いをしている方々に作用をしっかりと伝え、理解して使ってもらうべきなのに、それを禁じられているわけだ。一般の消費者には、その辺の事情は分からない。知らないから、「何にいいんですか?どんな効果がありますか?どのくらい飲めばいいんですか?」などと無邪気に聞いてくる。ぼく「いやぁ、何に効くとか・用法用量とかは薬機法で禁じられているんで言えないんですよ・・・」。てな具合のやり取りは毎回のことである。高いものなのに、どれだけ良いのか言えずに売るという困難がつきまとう。
たとえば、車を売るのに、セールスマン「この車は人を載せて走ることができますよ!運転手ひとりに、その他4人も乗車できます!」、客「他のメーカーの車とどう違ってどのような点が優れていますか?」、セールスマン「いやぁ、お客さんにメリットがある点は伝えちゃいけない決まりなんですよぉ。でも安全に走ります・・・」というやりとりだったらと想像してほしい(笑)まず、だれも買わないだろう。そういう状況だけど、販売者は効能・効果を謳ってはいけないが、実際に効果を得た人たちはこれを伝えたくて口コミ的に話すだろう。それは流石に禁じられない。もちろん、作り話や販売者がお膳立てして話をしたその場で販売するなら、この限りではない。

そんなこんなで、ぼくはアサイゲルマニウムセミナーで一切セールスしない。そもそも販売会社は辞めている。今は素材メーカーの研究を統括する立場で素材のもつ機能研究の紹介をしているのだ。
ぼくが社長をしていたころ、憲ちゃんと親しくなった。これに関しては後に改めて述べるが、ぼくが説明・交流会を始めるに当たり、最初の地をどこにするか悩んだ時に”熊本”は最大の候補だった。本来は一昨年の11月に熊本で産声を上げるはずだったのだ。なぜ、そうならなかったのか・・・それもまた憲ちゃんだ。

He is Ken-chan.

いずれにしても、一年ちょっとの時を経て、今回、9回目にして熊本で最初となるアサイゲルマニウムセミナーに漕ぎ着けた。初回なので、今回もぼくからはアサイゲルマニウムの概略を一通り話す予定。①アサイゲルマニウムについて(ゲルマニウムのさまざま)、②アサイゲルマニウムが作用する分子メカニズム(作用する理由)、③アサイゲルマニウム作用研究、④アサイゲルマニウムの老化赤血球除去に関する最新論文の紹介(ゲストプレゼンター武田研究員より)、⑤最近の研究概略紹介、⑥アサイゲルマニウムのヒト摂取試験の免疫への作用データ紹介、といった内容。そして第二部は参加者の皆さんからの質疑/応答と、ご利用者どうしの懇談を含む交流会になる。実に盛り沢山だ。別途、懇親会ではざっくばらんに近くにいる方々と使用経験などを語り合って楽しんでいただくのが通例だ。今回は、まだ行ったことはないが、憲ちゃんが予め調査して見つけてくれた良さげなお店が懇親会にセッティングされている。憲ちゃんは、函館で開催した第6回を除いて毎回の受付や司会を協力してもらってきた。既にアサイゲルマニウムセミナーのコーディネータとして円熟してきている(笑)

憲ちゃんとの出会い

さて、今回の主題はアサイゲルマニウムによって運命が変わった人たちを取り上げるシリーズなので、セミナーのことは一旦置いておこう。
ぼくが憲ちゃんと出会ったのは、既に15年くらい前のことだったように思う。会社の函館研究所の飲み会に当時副社長だった佐々木さんに連れられてきて、ビレモの新しい営業マンとして紹介された。つまり(B to B)のお得意様の営業マンだ。彼は函館研究所のおとなしい面々とは明らかに違ったテンションで、明らかに場にふさわしくないネタを大声で話しまくり、ぼくらをドン引きさせていた。そして、ガンガン酒を飲み、しばらくするとトイレに篭って・・・しかしトイレのドアは開けられたままで、中から嘔吐する嗚咽が聞こえてきたのだ(汗)ぼくは、こういうやつとは絶対に仲良くなれない!と思いながら、冷ややかな視線を送っていたのを忘れられない(笑)
つまり、出会いは最悪だった!

その後、後輩の武田くん(今回のセミナーでゲストプレゼンターになる)が入社2年目で薬学会にて研究発表するということになり、熊本での学会開催だったので二人で熊本大学を訪れた。熊本はビレモの本拠地で、憲ちゃんがぼくらをアテンドしてくれて、ホテルや学会の会場に連れて行ってくれた。他にもちらっと会うことはあっただろうが、この時は二度目の深い付き合いになった時だ。実は、本シリーズのその4で登場した志柿松作会長が作った会社が株式会社ビレモである。そして、この当時は代替わりし、長女である貴子さんが社長で、貴子さんと結婚している憲ちゃんが副社長であった(これは今も変わっていない)。
武田くんは過去のnote記事『血中酸素とアサイゲルマニウム』で登場するが、なかなかの口達者だ。

この話の中では「中村さんの研究は穴だらけですね!」と言ってのけたが、実は入社直後(おそらく4月に入社して数ヶ月経った夏)にキャンプに一緒に行き、ぼくが「会社に慣れてきた?やっていけそう?」と聞いた時に、「会社に望みがなければ直ぐ辞めます」と即座に答えたのだ。それだけではなく、まずいことに一緒にキャンプをしていた入社2年くらいだった輪島周平くんが「僕も望みがなければ辞めます」と同調したのだ。
ぼくは生来温厚な性格だが、あの時は頭の中で”プチーン”という音が聞こえたのではないかと言うくらい腹がたった。「いやいやいや、何言ってるの君たちは!会社は君たち若い人たちが作っていくんだよ。望みがないとか、自分で出来ないのを人のせいにすんじゃないよ!何なんだ一体!」というような事を話したように思う。
それから、一年くらいだったのではないかと思うが、まぁ、ぼちぼち仕事を一緒にする中で関係性は出来てきた。信頼関係が十分築けたかは分からないが、それなりに頑張って仕事をする武田くんに一定の期待を持つに至っていた(彼の側がどうだったかは知らない)。そんな中、その時の話を憲ちゃんにしたのだろう。憲ちゃんは大受けしながら、「武田さん、石の上にも十三年ゾォ!」と言ったのだ。武田が素っ頓狂な声で「石の上にも三年じゃないんですか?」というと、「わかってるって!冗談だけど、そのくらいやらんといかんでしょ!」

その後、なぜか植木温泉にぼくらは置き去りにされた。「ここの家族風呂はいって待っとってください!1件仕事してきますんで、二人で身体洗いっこしててください!」と訳の分からないことを言って行ってしまった。
ぼくらは脱衣所で服を脱ぎ、貸し切りの家族風呂で向き合って温泉に浸かりながら、研究のことや様々な話をしたが、販売の現場は研究の成果を求めていること。その成果は実際に人(顧客)が摂取した時に感じる有用性(身体の変化)とどのような繋がりがあるかといったことが重要であること、憲ちゃんが言ってくれた十三年しっかりと取り組んで初めて結果が出てくるものであること等を話した気がする。
ぼく「ビレモのためになるような研究成果をしっかり出さなくちゃな!」武田「はい!」
こうして裸のつきあいは、それなりの効果を示した。既に武田くんが入社して10年以上経ったのだ、13年過ぎるのももうすぐだ。

憲ちゃんの営業

憲ちゃんは、元々は佐々木さんや大西さんといった浅井ゲルマニウム研究所の役員たちから営業のためのアサイゲルマニウムに関する様々なことを聞いて、営業に活かしてきた・・・はずだった。ぼくが関わるようになったのは、それこそビレモ入社(すなわちアサイゲルマニウムとの関係をもって)から10年近くが経過し、営業スキルは十分上がった頃だった・・・はずだった
憲ちゃんは、度あるごとに「中村さぁん、一緒に沖縄いきましょうよ!おれ、沖縄に営業先あるんで一緒に行ってくださいよぉ」と言っていた。いまから6年と少し前、ついにその時が来た。
というか。ぼくは、2017年にぼくの父親の軽い脳梗塞の脳機能異常に対するリハビリを兼ね、両親を沖縄に連れていくことを提案したのだ。たしか3泊4日での沖縄滞在だったが、既に実家を離れて28年近く経っていたぼくには両親と4日間ずっと一緒に過ごすのは耐えられなかった。そこで、中一日を仕事をするという名目で親をリゾートホテルに置き去りしたのだ。「仕事仲間の永田さんに営業先に一緒に行ってほしいと言われてたんで、一日アメリカ村とか行ってゆっくりしてて」と言い残し、憲ちゃんの運転する車で比較的しっかりした地元の薬局さんへ訪問した。憲ちゃんは常務さんに世間話を始めた。しばらく時間が経ったとき、「永田さん、きょうの要件はなんですか?」と・・・、そして続けてぼくに「永田さんっていっつもこんな感じで要件話さないんですよ。世間話するばっかりで、ゲルマニウムの話はしないから」と真顔で言われた(汗)
ぼくはとっさに理解し「今日はアサイゲルマニウムの機能について説明しに参りました。食品として摂取した時の作用などをまとめて機能性を記した冊子がこちらです」と切り出した。最終的には常務さんから「やっとゲルマニウムの話を聞けて理解できました。面白いものなんですね」と言われて、その場を後にしたのだ。
事務所を出てからは大笑いして、「永田さん、だめじゃん!」「いや、おれ男芸者っすから!永田さんの人柄に惚れてるんだっていう人が買ってくれるんすよ!」「・・・・」、おれ男芸者っすから!以下のくだりは過去に幾度も聞いてきた。しかし、その実態を目の当たりにしたのがこの時だった。
それから、ぼくと憲ちゃんの関係は大きく変わったのだ。

沖縄での初の営業の後で


憲ちゃんの変革

ぼくの仕事の一つとして、憲ちゃんの営業スタイルを変えなければならない。憲ちゃんは、最初に思ったような只々困った人ではない。むしろ心優しい、弱っている人や苦しんでいる人に寄り添おうと頑張っている人だ
アサイゲルマニウムを使っているエンドユーザーさんは難病や癌を患っている人が多い。それは、ぼくらが売り込んでいるからではなく、口コミや過去の研究を調べ上げた方々が、自ら求めてこられ、今どき(といってもすでに7年から10年前)電話で問い合わせて、古いスタイルでの通販的な買い方で(支払いは銀行振込)購入されるのだ。当時、そんな販売スタイルを続けていたら売れるものも売れない。それはさておき、そんな大変なお客様の問い合わせに寄り添い、苦しい症状を聞くが、なんとかしてあげたいけど高額すぎて苦しんでいるお客さんが購入を続けられないと断ってくる。そんな状況に憲ちゃんは悩み、ひとり辛さを抱えていたのだ。奥さんの貴ちゃんは、そんな憲ちゃんを愛し、励まし続けていた。
こんな二人を、ぼくは助けたい。以前武田くんに「ビレモのためになるような研究成果をしっかり出さなくちゃな!」と言ったが、ぼくこそ「ビレモのためになるようなことをしなくちゃな!」と自分に言わなければならなくなった。
そもそも、薬事法違反によって終わりかけた(本当に潰れると僕ら社員は思ってました)浅井ゲルマニウム研究所を救った会社がビレモである。当時の社長であった現志柿会長が自分の会社であるビレモの暖簾の下に(厚生省からの指導で名称変更した)ビレモサイエンス(元および現・浅井ゲルマニウム研究所)として保護してくれた。ビレモの研究部門として生き延び、ビレモの販売網として現在の販売者の一定の部分は始められたのだ。そんなビレモのために、ぼくはなんとかしたいと思う。また、永田憲ちゃんの辛さをなんとかしてあげたいと思う。憲ちゃんは「中村さぁん、〇〇に(営業に)行かなきゃならないんすけど、一緒に行ってくださいよぉ」と、ひと月とあけずに電話してくる。ぼくは行くべきときとそうでないときを判断する。大抵は「ヤダ!行かない」と即答する。常に一緒に行って、ぼくが話しているなら憲ちゃんの仕事にならず、スキルアップしないからだ。「とにかく、丸暗記でいいから一通りの説明を覚えて営業しようよ」「おれ文系なんすからぁ・・・」「文系関係ないから。文系の営業マンいっぱいいるよね?」と繰り返し、数年経つが、今は最初の営業には問題がなくなっているように思う。初回は一人でいって、なんか言われたら「今度、もっと詳しいものを連れてきます!」と言ってください!

運命が変わった憲ちゃん

永田憲一郎さんは、大学卒業後は商社マンとして勤務したという。志柿貴子さんとは高校生からのお付き合いで、本当にすてきな夫婦だとぼくから見て思う。海外を旅するのが好きな二人が、貴ちゃんの父親の事業であるアサイゲルマニウムに翻弄され、憲ちゃんはやがて貴ちゃんを助けるべくアサイゲルマニウムの営業マンとしてビレモに入社。一般的な商社とは全く違う、健康に関与するアサイゲルマニウムを"別に売りたいわけではないのに"売り子にならなければならない。それは、どれほど辛く、大変なことだったろうか。ぼくにとっても、入社当時は訳の分からない難しい物質だったアサイゲルマニウム。「おれ文系なんすからぁ・・・」と言って逃げたくなるのもよく分かる。でも終いには役員として副社長になってしまい、逃げることもできなくなった。ただ、営業相手のお客さんたちは、様々な病気で苦しみ、悩み、場合によって(というか度々)亡くなって葬儀に行かなければならないことも。でも、体調が良くなる方々を目にし、葬儀に行っても遺族から「苦しみが少なくてすみました。ありがとう」と感謝されることもある中で、アサイゲルマニウムの凄さを確信し、なんとかしたいともがいてきたのだ。
そのようにして、自由気ままに海外を旅していたい憲ちゃんが、アサイゲルマニウムに関わり、アサイゲルマニウムを「なんさま凄かもんですけん!」と人々に勧める者に変えられていったのだ。まさに運命が変わったと言って間違いないだろう。
ぼくは販売会社の社長という立場だったとき、憲ちゃんの苦しみがよく分かった。何も言えない(良さをエンドユーザーに説明できない法的規制)辛さ、本当は凄いのに伝えることが封じられている(憲ちゃんの場合はスキルの問題もあった)という、八方塞がりの状況。さらに、ビレモは普通の健康食品の原価率で製品を作ってスタートしたため、他社の利益率を削った会社に価格面での競争力で全く刃が立たない。といった状況も抱えていた。当時は、ある意味でぼくこそが最悪の敵対会社のトップだったのだが、どういうわけか一緒に寝泊まり(ぼくの東京での単身赴任先のワンルームマンションの一室;築60年くらいの会社所有)して、様々なことを語り合った。憲ちゃんの苦しみもよく理解できたし、彼が足を泥に漬けるような状況で営業しているようすを目にしてきた。だから、勝手な提案をたくさんした。「価格を変えて、利益を減らして沢山売るようにしちゃいなよ」「ECサイト作ってネットでも買えるようにしなよ」「うちで合わない仲卸希望のお客さんはビレモに紹介するから掴みなよ」「研究の人間を派遣するから勉強会やってファンを増やしなよ」などなど。
やがてぼくは販売会社の役を辞して、製造メーカーの研究部門のトップに専念するようになり、より明快に支援することができる立場になった。ぼくは憲ちゃんの良い面も悪い面(ちょっと問題のあるところ(笑))も知っている。だから良い面を活かすように協力をし続けている。ぼくのアサイゲルマニウムセミナーの協力者として、憲ちゃんは最適任者だ。なぜか、それは参加者が困った時の相談に、どこまでも寄り添ってくれる人間だからだ。
所詮客だから・・・とか、めんどくさいことをいう客だなぁ…知らん、とかにはならない、できる限りの手助けをする。時には経費を考えずに利益度外視で顧客の元へ飛んでいってしまう。そんな男芸者気取りの粋な部分をもっているのが憲ちゃんなのだ。

ハンモック大好きな憲ちゃん


憲ちゃんと会おう

今後、必ずアサイゲルマニウムセミナーに憲ちゃんがスタッフでいるかは不明だ。彼はやる気満々だろうけど(笑)
とりあえず、直近の2月10日の熊本でのセミナーは地元開催ということもあり、気合が入っている。憲ちゃんと知り合って、サポートを期待する人は是非アサイゲルマニウムセミナー開催のチラシを見た時に問い合わせてほしい。というか、ビレモに直接電話すれば済むけど(爆笑)

最後に、アサイゲルマニウムセミナーが初回熊本でなかった理由について・・・。憲ちゃんはぼくが無類のアウトドア好きであることを知っている。キャンプのときだったか、グランピングの時だったか、セミナーの構想を話し、熊本で初回やりたいと相談した。その時は、「こんな屋外で焚き火しながら懇親できたら最高だなぁ。セミナーだけ屋内でもセミナーも屋外でもいいけど、そんなの出来たらいいな」と夢物語だった。それを真に受けて、憲ちゃんは、ぼくの希望を叶えるために第一条件がアウトドアオプションが付いている場所だったのだ(汗)、それじゃ会場は見つからんよね(呆)
初回の神戸セミナーの懇親会で、憲ちゃん「いやぁ、こういう形式で良かったんすね!おれはてっきり野外での懇親会場じゃなきゃダメだと思ってましたよ!」
ちなみに、神戸の懇親会は中華料理屋の2階の半分を貸し切りでやりました。実に、愛すべきキャラの憲ちゃんなのだ。今後もアサイゲルマニウムのために尽力し東奔西走しつづけることだろう。

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