京都 徘徊つれづれ 5日目 その2
■晴明神社は行ってみたかったところだった
さて、京都駅から地下鉄に乗って向かった先は、同志社キャンパスのある今出川駅。でも本日の目当ては大学ではなく反対側、西方面である。ここに晴明神社があるのだ。
安倍晴明を初めて知ったのは荒俣宏の『帝都物語』だったと思う。魔人加藤、陰陽道、式神、安部晴明…。架空の人物に歴史上の人物がからみあってなかなか面白く、陰陽師の存在を知ったのもこの小説からだった。でその安倍晴明を祀る神社があるのは知っていて、この際だから覗いてみようか、というのがこの日の寄り道だ。
行ってみるととくに時代もついておらず、こぢんまりと控え目だったけれど、参拝客もそこそこで賑わっていた。ドーマンセーマンの籠目は至るところにあって、なんか効き目がありそう。その籠目シールも売ってたけど、それを欲しいと思うほどのファンではないのである。
帰路はまいどな感じで横道に入り、変な看板とか探しながらくねくね。今出川駅からは再び地下鉄に乗って烏丸御池までくだり、コインロッカーからリュックを取りだした。ふたたび荷の重い人に戻りましたとさ。
■DEAN & DELUCAでやっとコーヒー休憩
烏丸御池駅から烏丸通りを少し南下して、レトロなビルに入っているカフェDEAN & DELUCAへ。ちょうど席も空いていて、やっと座って人心地。とはいってもなんか落ち着かない。席の場所が奥まった、人目に付かないところ、ではなかったからなのか。ミドルサイズのコーヒーも少し残してしまい、30分ぐらいで出ることにした。というわけで本日の宿がある新京極方面をめざして、さあもうひと踏ん張りだ。
三条通りと錦市場のある通りとのあいだぐらいの道を東に向かってたらたら。あ、よさげなベトナム料理の店があるな。とか道すがらに思うけど、宿泊先であるホテルからここまでやってきて、また戻るってのも苦行だな。なんてね。飯屋を探しつつも、いろいろこちらの都合はある。宿はたしかMOVIX京都の近く。さて、どこだ…。と、うろうろ。でもこのあたり、繁華街でしかも道も店もぐちゃぐちゃしてて分かりにくい。ホテルっぽい建物も見つからず、そこらの店舗のおじさんに聞いたら「そこだよ」というのでそっちの方へ行ってもよく分からずうろうろしてたら、こっそりあった。なんか秘密の裏口みたいな感じだな。こりゃ分からんはず。
本日の宿は朝飯なしの素泊まりで6200円。繁華街ど真ん中でロケーションは抜群なんだろうけど、それはこっちには関係のない話。飲み食いして深夜まで遊びほうける予定はないからね。それに本日もすでにここまで22000歩も歩いていて、バカだろ毎日、なレベルになっている。近場で夕飯の場所がうまく見つかればいいんだけど。
■夕飯探してうろうろ新京極あたり
というわけで7時前頃ホテルを出て、周囲をウロウロ。でも、さっきのベトナム屋までは行きたくない。しかし、東京でもそうだけど、夕飯探しはなかなかやっかいなんだよね。とくに、飲まない場合は可能性がラーメン一択になる可能性が大。フツーにご飯とおかずと野菜と添え物があるような、ランチで供されるような食事をコスパよく採るのはなかなか難しい。あちこち、うろうろしてると歩数ばかり稼いでしまうではないか。なところに、京おばんざい を比較的お安いお値段といっても千円超えてしまうけど、で食べられそうな店をみつけた。おいしそうかというと、そけれほどでもないような感じなのが不安材料だけど、贅沢をいっていたら死ぬまで見つからないかも知れないので、このあたりで手を打つことにした。
おかずは牛すじ、竹の子、ゴボウなどなど。うーむ、やっぱいまいちかな。斜め向かいの席では若いカップルが楽しそうに食べてるけど、勝手にしやがれ。で1188円也。
のあと、近所のセブンイレブンで明日の朝食になる予定のおにぎりと野菜サラダを調達して、さっさと宿に戻った。京都の夜、貧乏旅行で酒も飲まないし1人だし、遊ぶことなんてないでござるよ。ここも、カードキーをかざさないとエレベーターは動かず、部屋のある階にしか止まらないシステムだった。
さて、お風呂に入ったんだけど、ちょっとおどろいた。シャワーヘッドの位置が変だなとは思ったんだけど、なんとバスタブにシャワーカーテンがなく、浴室全体にお湯がまわるではないか。っても、フツーの家庭のお風呂と同じだけど。あ、そうか。そういえばここ、トイレが別だった。なるほどそうか。その意味では贅沢なつくりなのかも知れないけど、バスマットをお風呂の外に敷き直したりして、ちょっくら焦ったよ。
テレビは相変わらずつまんねえなとチャンネル変えてたら、どこか知らないチャンネルでなんと『エール!』が映った。
これ、今年のアカデミーで作品賞を受賞したリメイク作品『コーダ あいのうた』のオリジナルだよ。これはなにより。もちろんすでに見ているので話は知っている。なので途中からだけど流しっぱなしにして、京都最後の夜は更けていくのであった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?