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私が暮らしを書き記す理由。心に住まう富士日記を思い出して。

こんばんは、あさひしおりです。
早いもので、8月も下旬。まだまだ暑い日が続きますね。

なんと来月の9月を終えれば、noteを始めてから1周年になるということで、時の早さに驚いています。

ここ最近は、旅行記やレシピやひとり言などを、ぽつりぽつりと綴っているのですが、節目を目前にした今、私が日々の暮らしを書き記す理由を改めて振り返ったところ、当初は以下のように考えていたことを思い出しました。

いまでもこの言葉に変わりはないのですが、「暮らしを書き綴りたい」と思った原点に思いを馳せると、大学生時代に読んだ「富士日記」が思い起こされます。

もう10年ほど前に読んだため、細かい内容までは忘れてしまったのですが、富士日記は随筆家・武田百合子さんが書き記した、上・中・下の3巻からなる日記です。

夫、武田泰淳と過ごした富士山麓での十三年間を、澄明な目と無垢な心で克明にとらえ、天衣無縫の文体で映し出す。田村俊子賞受賞作。

富士日記 上巻 改版 におけるAmazon本の概要より

この作品は、文字通り「日記」であり、特別な日も、そうでない日のことも、筆者やその周りに生きる人々の暮らしが、ごく淡々と書き綴られています。一方で、静かな湖が、時に風に波立ち、時に降り注ぐ陽光できらめいて見えるように、筆者の" 特別ではない日常"の出来事が、かけがえのない一瞬としてキラキラと輝き、時に心を震わせ、時に心を温めてくれる作品でもあります。
うまく言語化できないのですが、読み進めながら、何故だか「透き通った心」にさせてくれる作品のように感じます。

とりわけこの日記の中で、些細なことではあるものの、私の中で面白く印象に残っていることは、筆者のお買い物の記録です。日記の中で家計簿もかねていたのでしょうか。今日買った食材や日用品の品目と価格が所々に書き残されているのです。
(勿論これ以外の日記全体を通して感じ取っていることではあるのですが、)書き残されたモノとその価格を見ると、現在と大分違うことに驚き、その時代の人々の暮らしがなんとなく見えてくるような気がします。
当時は日記だったもの(メモ程度のものだったかもしれない)が、今読むとちょっとした歴史書のようにも見えて、なんだか面白いなと思ったのです。

私の生きる毎日も、1日1日は何の変哲もない日常です。
ただ、そんな日常の中にこそ、波立ちやきらめきや気づきがあるのだと思うと、この何気なく尊い日々を書き記しておこうと思うのです。
そんなちいさな私の宝物を見て、あわよくばどこかの誰かが面白いと思ってくれたら、なんと贅沢なことでしょう(笑)

100年後、200年後。いつになるかは分かりませんが、人の命は有限です。
たとえ私がいなくなった後でも、私の家族や子孫や、はたまた全く私のことを知らない何処かの誰かが私の日記を読み、「当時はこんな暮らしをしていたのだなぁ」「こんなことを考えていたのだな」と面白がってくれたらいいのになと思います。

生きてきた軌跡を残したい。
これが私が日記を書き続ける理由なのかもしれません。

それでは、また!


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