タトゥーと自由。そして多様性

まず前提として、私は決してタトゥーを入れるという行為を否定したいわけではなく、ただタトゥーの話を通して自由について話したい。書き連ねてみたかった結果である。ということを踏まえた上でこの文章を読んでいただきたい。


 まず、最近よく聞くのは「タトゥーはファッションである」という主張。もちろんファッションの一環として入れる人もいれば集団での決意表明として入れる人もいるし、はたまたリスカ痕を隠したくて入れる人もいる。まぁ入れる理由に対してはどうでもいい。興味が無い。

ただ私は何について言いたいかというとだから隠せはおかしいだろはおかしい。

 タトゥーを入れることが自由ならばそれを見た側が何も思うかは自由であるべきだと思うんだよ。私もタトゥー入れてる友達はいるし、タトゥーのデザインも自分で考えた!ってのを聞いた時はかっこいい!って思ったけど、タトゥーを入れてるのをみた時はちょっとびっくりした。

 多様性が叫ばれる世の中で多様性多様性言うのは構わないけど何でもかんでも良いものとして捉えろっていう風に言ってるように見える。そんなの無茶でしょ?

Twitterでも言ってたけどタトゥー入れてる人自身だって好きなもの嫌いなものあるでしょうよ。どうしてそのタトゥーがたまたま他の人間の嫌いにはいったら文句を垂れるのさ。嫌われたくないからだろうけどさ。

 どんな人間だろうとすきなものきらいなものあるし、好く人嫌われる人はいるでしょう。


 まぁでもタトゥーを入れてるから銭湯に入れませんってのは気の毒な気もするけど、どうしてかって気性が荒い人に見えちゃうからです。だからタトゥー=気性が荒い人っていう印象がなくなるといいなとは思うけど。

 知らない人から見たらやっぱりバチバチにタトゥー入れてる人はちょっと怖い。だから本当はタトゥーがあっても入れる銭湯、入れない銭湯がもう少し増えるのが理想の世の中なんだろうなって思います。海やプールはちょっと難しいとこあるけどね。


今回のお話をタトゥーと自由、そして多様性という面からまとめると

タトゥーをするのは自由だけどそれを見てこちらが何思うかもこちらの自由であるべきだと個人的には思う。そして互いがどういう主張にせよ、上手く住みわけられる世の中になって欲しいという願望。

あくまで個人の意見ですよ。

ご拝読ありがとうございました。




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