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一章「在野のわたし」

 先日、上司と職場復帰に向けて話し合いを行った。
 どう復帰していこうか、という前向きな話をしたかったのだけれど、私の準備不足もあって漠然とした不安の話になってしまった。

「復帰してまた休むことになるのかと不安」
「どういうフォローをしていけば貴方が助かるのかわからない」
「もっと貴方に会う仕事があるのではないか」
「次に休むのが三日後か三年後かわからなくて不安」

 いや、その不安めっちゃわかるっていうか、私がそれだよ。
 私もそれだよ!!
 何にもわからないからこそ、困ってるよ!!

 と、思いながらも、心配してくれてるんだというのもひしひしと伝わってきて。一緒に楽しく元気に仕事できたらどんなに幸せだろうと、お互い思っているんだろう。私に、楽しく元気に生きてほしいと思ってくれているんだろう。

 それは、嬉しかった。

 だからこそ、今、しっかりと考えようと思う。
 どういう生き方をしていきたいのかを。

 そこでふと、最近読んだ荒木優太編『在野研究ビギナーズ』2019年(明石書店)を思い出した。たくさんの人が在野研究について語る本なのだが、その中の逆巻しとねさんの締めの文章がとてもよかったのだ。

 アカデミアがすべてではないし、学びの全体ではない。だから不完全な「わたしたち」が未知のものと出会い続ける営みにはどのような身分であれ正当化される。なにかおもしろいことが生まれる可能性はアカデミアのなかにもあるだろうけど、在野や世間にだって同じぐらいある。その区別も今となってはどうでもいい。僕はどっちにも存在している。学びはどこでもできる。何度でも始めなおせばいい。僕は楽しいからそうする。

荒木優太編『在野研究ビギナーズ』2019年(明石書店)p.231

 これに、尽きると思う。

 私は大学を卒業するときに、大学院に進学するか迷ったことがある。でも本当にしたいことやりたいことを考えたとき、それは一般的な大学院生としての研究でなくていいと思ったのだ。もっと自由に、楽しく好きなことを学んでいけばいい。

 種の起源を読んだり、平家物語を読んだり、小説を書いたり、演劇をしたり。
 やりたいことを、楽しくやっていきたい。

 そう思ったとき、あれ、私、在野の小説家になりたいのでは。と思った。
 いや、在野の小説家って何って感じだけどw

 ネットに投稿したり、文フリに出てみたり。
 別にすごくなくていいし、有名じゃなくていいから楽しく書く。
 アマチュアを楽しむ。それも、すっごく楽しいんじゃないかな。

 それは趣味だけじゃなく、仕事もそうで、楽しくないとやってらんない。
 じゃあそれらも全部考慮して、復帰計画を立てよう!

 自分がどうやって復帰していきたいのか。
 自分がどうやって生きていきたいのか。
 しっかり、考えてみたいと思う。

 私は、楽しく生きていきたい。



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