おいしいお店というテーマから考えました一応。
大戸屋。
間違いない。
知る人ぞ知る名店とか、好きなメニューで個性が出るチェーン店とかいろいろあれど
私は本当にレパートリーが少ない。
あまりに狭い地域性のあるお店はあえて外してるとはいえ、それにしたってラインナップが少なすぎる。
こだわりのなさの表れが自分でも笑えるくらいだ。
この辺でおいしいお店知ってますか?と地元民である私に聞いてくれているとわかっていながら最適解が見つからない。
だって、どこにでもあるお店にしか行ってない。
少なくとも、こだわりがないとはいえ好んで行っているのは確かで
『うまくなもないけど行っている』お店はない。
うまいところばかりでありがたい。
ばくだん丼は最高だ。
なんか流れでサイゼリヤ論争思い出した。
初デートでサイゼリヤは許せるか否か、みたいな。
確かにどこにでもある安すぎてうますぎる店だからなんか特別感がないみたいな?女性側の意見だとこんだけしかかけられない女なんだ私ってって思っちゃうって書いてあって、はーなるほどねえとなったし
別にどこでもいいじゃんすきな人と行けるんだからさっていうのもそうだよなあってなるし
じゃあ自分はどうだろうって考えたときに
一緒に行ってくれる人がいるだけすごいというところをひとまず置いておいて、味や値段どうこうじゃないんだよな。たぶん。
サイゼはうまいという大前提があっての話だけれど
『サイゼじゃなくてもいい』ってのが正直なところでしょうか。
自分が相手に好意があるというか、どちらかというと会うことにプラスの気持ちが大きかった場合気にならないんだろうけれど
乗り気じゃないときの初手サイゼはなんか苦しくなると言うか
1人で来たかったって思っちゃいそう。最初からネガティブになんなよって話なんだけれど。
もうサイゼの思い出としてそれが一個刻まれてしまったわけで、
こんなにパンプキンスープはうまいのに緊張とか不慣れさとかなんやかんやでちょっと余計だなーってなるみたいな。
全然知らん店とかだと美味しかったらこんな素敵な店紹介してくれてありがたいってなるし味や相手との相性が微妙でもまーそこは二度と行かなくていいわけで。
でもサイゼはもう、お隣さんじゃん。
いつもそばにいてくれるじゃん。
大戸屋先輩もそうだけれど。
心のよりどころに影がかかるかもって思うと、じゃなくてもいいのかなって思ってしまうな。
割とだから賭けな気がするけどな。もちろんこっちからの提案だとしてもね。
自分で何を言いたいのかわからなくなってきた。
ちなみに今めっちゃ眠いしコンタクトの度が合ってなさすぎるのか全然見えない。めっちゃストックあるんだけどなーくそー。
まじ眠すぎていつも以上にまとまりもクソもないのでは。
あとタグ利用に限界がきているのでは。
なんかサイゼめっちゃ行きたい。ウワー食べてーサイゼ。
パンプキンスープとコンポタ?でおなかたぽたぽにしてえー。
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