人の話をする話


私は友だちと話をするとき、自分の友だちの話をしてしまう。
例えば、私の元バイト先の後輩Aは、就活終了後、大学卒業前に親に頼み100万を借りて、バイトも早々に辞め学生最後の休暇を楽しんでいた。マジで入社前に使い切るほど遊びまわったらしい。私にとってはポンと100万を貸してくれる親も、その考えに至るA本人もすげェおもしろいと思った。
その話を友人Bにしたりする。すごくない?おもしろくない?おもしろいやつなんだよ!と。

もちろん話してはいけない内容はわきまえているつもりだ。
本当に個人的な話だったり、悩みだったり、そういった類のものは無闇矢鱈とべらべら話すもんではないと承知しているけれど
最近はそれって結局私の基準だからたとえ知らんやつだったとしても話されるのってイヤなのかな?と思い始めてきた。

実はその判断ってめっちゃ難しかったりする?


大前提私は関わりのない人にはなんと思われてもいいと思っていて、そりゃあおもしろいと思われたら嬉しいけれど、私がしたことでマイナスな印象を持たれたとしても気にならない。
あとは過去に関わりがあって今は疎遠になっている人とかもそう。今後付き合っていかなければいけない人じゃないのであればどう受け取ってもらおうが構わないと思っている。
私の知るところじゃないしなァみたいな。

さっきの例で言うと後輩Aと友人Bにつながりはない。私が間を取り持ったりしない限り、少なくとも3人をつなぐ何かはない。
だから仮に、(あくまでも最悪の場合)BがAに何かマイナスな印象を持ったとしてもそれって尾を引く話ではないというか…
そもそも私はおもしろいと思って話をしているから悪い印象を与えようなど微塵も思っていないんだけれど、"伝え方がよくない可能性があることをふまえる話される側"からしたら気持ちのいいものじゃないんかなって…


つまるところ個人の感じ方によるものだとは思う。
いい人もいればイヤな人もいる。
でもなんか、もしかして私って、それにしても喋りすぎなのかもと考えるようになった。


というのも、最近SNSの話を友だちや職場の人としたときに
もう会わなそうな人でも何してるか気になるし、向こうにも見られてるし話されているかもしれないと考えると聞いたからだ。
職場の人はとくに、どんな話題でも自分のことを話されていたらすごくイヤだとまで言っていた。ものすごくびっくりした。
私はもう会わないであろう人はどんどんブロ解をしていくと言ったらすごく驚かれたし、そんなのさみしいとまで言われた。ものすごくびっくりした。

つい先日久しく会った後輩にも同じようなことを言われたので
それってつまり、
"かつての友だちや知り合い、もしくは会ったことのない他人が自分の知らないやつと自分の話をしている状況がイヤ"
ということだろうと思ったときに、だとしたら私のようにおもしろエピとしてだったとしても話されたくない人が割合的に多いのかもしれないと思った。背筋が凍った。

正しい伝え方ができていないとかではない、それ以前の問題だ。
そのへんの価値観というのか、恐ろしくデリカシーがないんじゃないかと。


いや、まあ、正直、正直に言うとだからなんだと思っているところもある。そんな自分から伸びる半径外の話なんてコントロールできるわけなくねと、思っているところもある。
そこも全て含めてデリカシーのなさだとしたら、気をつけていかねばならない状況が今後現れるのでは。
となると、この話友だちにしていい?と逐一許可をとるか、もう話さないかにならないか。
えーーーー??まじ??

今も、今後も、付き合いを続けていきたいと思っている人たちにはデリカシーがないとはできるだけ思われたくない。直せところは直していきたいと思ったのも本当だけれど、あまりにもあまりにもだった場合はあまりにもかもしれない。なんか吐きそうになってきた。


一旦デリカシーがないと思われても別にいいと思う人らに調査すべき内容かこれは。
自分の隣か、半径外かだな。
でも半径外は話す機会なんてないな。隣人がいいか。



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