自分がわからなくなった時には
みなさん「自分って一体何だろって」なる時ありませんか?僕はしょっちゅうそんなことを考えます。
頼まれた仕事を断れなくて残業している時、友人におすすめされた映画や本が面白いと思えない時。
趣味と言えるほど熱中できるものがない。どんな人が好きなのか、何をしている時が楽しいのかわからない。
水面を漂う水草のように流されて23年間生きてきた僕は今自分というものを強く意識するようになりました。
お前は何者なんだと心の中でもう一人の自分が強く訴えてくるのです。あれこれ考えてるけどじゃあお前はどうしたいんだと。
これと言って苦しいとか辛いことがあるわけでもない。鉄板の上でジリジリと少しずつ焼き目をつけられているような。
何かするなら今のうちだし、逃げるなら今しかないぞと。逃げるって一体どこへ?
内的世界の僕は外側に向かおうとしていてもっといろんな人と関わっていきたいし、もっと色々表現したい。それが僕なのかもしれないと。
取り止めのない話をダラダラとするのも好きだし、人生について語るのも好き。
自分は凄いと今まで根拠のない自信で他人との間に壁を作ってきたけどそんなことをしても何にもいいことはないし、第一人生が面白くならない。
バイト先に田舎から上京してきたばかりの18歳の大学生が入ってきた。18歳とは思えないほど落ち着いて人生初のアルバイトなのに仕事もそつなくこなせていて驚いた。
僕が上京したての18の頃の初バイトは国分寺のファミレスだった。当時の僕はかなりビビりまくりでちゃんと仕事ができてるかとか、失礼な態度になっていないかとかいろんなことを考えてアタフタしていた。
でもよくよく当時を振り返って見ると僕自身もよく先輩社員に「落ち着いてるね、本当に18歳?」とよく言われていた。
人の評価というのは全く当てにならないもので場所や状況によってもその人の評価なんて360度変わってしまう。
だから僕はできる限りどんな人とも同じ目線で話したい。もちろん立場や上下関係をわきまえた上でその人を知る努力を怠りたくない。
退屈で繰り返しのような毎日をほんのちょっと面白おかしく。発見と変化と笑いの日々を作りたいですね。
自分がわからない時には本を読んでとにかく人と関わるに尽きる。という結論です。
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