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今日はバカヤローの日 吉田茂とは何者だったのか?
本日、2月28日はバカヤローの日。1953(昭和28)年のこの日、当時の首相であった吉田茂氏が、衆議院予算委員会の席で、西村栄一議員の質問に対して「バカヤロー」と興奮して発言したことが由来となっているそうだ。 この発言がもとで内閣不信任案が提出・可決され、この年の3月14日に衆議院が解散した。吉田茂とは何者だったのか? 保阪正康さんの著書『吉田茂 戦後日本の設計者』(朝日選書)を紹介する。
![保阪正康著『吉田茂 戦後日本の設計者』](https://assets.st-note.com/img/1645596057061-KZ2gqZbp6d.jpg?width=1200)
敗戦後の日本はGHQ占領下で軍事組織を解体し、経済的自立を目指した。反共理念を明確にして西側陣営の橋頭堡となる道を選んだが、それは時の首相であった吉田茂の歴史観の反映そのものであった。
吉田は占領下でマッカーサーと巧みに接触しながら、ついに1951年のサンフランシスコ講和条約によって主権を回復し、占領状態を終わらせる。しかしそれは東西冷戦下における日米安保条約と対になっていた。
「天皇」と「日本国憲法」と「徹底した対米追従」。
吉田が作り出した戦後日本は、現在も多くの矛盾と歪みを内包したままである。吉田は明治の元勲たちを尊敬し、昭和6(1931)年の満州事変から太平洋戦争終結までの軍事指導者たちが暴走した15年間を日本の「変調」だとみなしていた。
だからこそ本来の日本に戻す「再生日本」を成し遂げ、昭和5年からの日本の延長という国家像をつくりあげることを自らの歴史的使命だと感じていた。
そのような吉田が考えていた「日本の進むべき道」とはなんだったのか?
戦後最大の宰相の功罪に迫る著者渾身の大作。
■目次
序章 エリート主義と庶民性
第1章 三人の父親(実父・養父・岳父)の精神とその継承者
第2章 外辺に立つ「宮廷官僚」の反枢軸路線
第3章 日米開戦前後、焦慮と敗北の日々
第4章 戦時下の孤独な終戦工作者
第5章 再生日本の守護者という道
第6章 「吉田時代」、その戦いの前史
第7章 歴史に呼ばれた政治指導者
第8章 占領政策とワンマン体制
第9章 独立の回復ともう一つの現実
第10章 老指導者の弧影、その実像
第11章 「昭和」の清算と託された歴史意思
終章 「私」と「公」、そのふたつの死
主要参考文献
吉田茂年譜
吉田茂系図
保阪正康
1939年北海道生まれ。同志社大学文学部社会学科卒業。ノンフィクション作家、評論家。「昭和史を語り継ぐ会」主宰。独力で『昭和史講座』の刊行を続け、2004年、第52回菊池寛賞を受賞。2017年、『ナショナリズムの昭和』(幻戯書房)で第30回和辻哲郎文化賞受賞。著書多数