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「オカアサン、シンダヨ」難民の一言から始まった言葉の交流 人権なき日本の外国人政策に静かに抗う人々の物語

 病死・餓死・自殺が相次ぐ入管の過酷な実態、時給400円の縫製工場、戦前の「特高警察」の流れをくむ暴力、繰り返される実習生への性的虐待、ネット上にあふれる偏見と嘲笑の視線……。日本は外国人を社会の一員として認識したことがあったのか――。日本社会が内側に抱える「差別意識」の正体に迫った『外国人差別の現場』(朝日新書、安田浩一・安田菜津紀著)。著者でジャーナリストの安田浩一氏が、この国の政策に翻弄され、強制退去や入管収容の恐怖に脅える在日外国人の現実を描いた「あとがき」から一部抜粋してお届けします。

安田浩一・安田菜津紀著『外国人差別の現場』(朝日新書)

 木漏れ日が揺れる。新緑が映える。

 休日の公園。芝生の上でボール遊びに興じる子どもたちを横目に見ながら、恒例の“青空教室”が始まった。

 この日の出席者は8人だ。学生、会社員、そして私のようなライターや写真家も。職業も性別も年代もバラバラな人たちが、公園の一角、日差しを遮る東(あずま)屋やのベンチに腰掛けた。

「ムボテ!」(こんにちは)。まずは挨拶から。この日が初参加で“新入生”の私も皆にならって唱和する。

 こうして恒例のリンガラ語レッスンが始まった。

 先生を務めるのは――コンゴ民主共和国出身の通称ジャックさん(43)。リンガラ語はコンゴで使われる地域語のひとつである。

「数字の1はモコ。2はミバレ。3はミサト」

 ノートに書き込み、そして復唱。モコ、ミバレ、ミサト。遠い国の知らない言葉。口にするたび、何かが弾ける。学んでいるのではなく、まだ見ぬ風景に近づいていく感覚。

「いいね、ヤスダ!」

 ジャックさんが私の発音をほめてくれた。嬉しい。ボトンディ!(ありがとう)。

 コンゴの独裁、それに続く強権政権に反対し、民主化のために闘っていたジャックさんが、弾圧を逃れて日本にたどり着いたのは2012年のことだ。来日後、故郷に残してきた両親が政府関係者に殺害されたことを知った。これでもう帰国の道は完全に閉ざされた。

 本書で何度も強調しているが、日本は世界有数の難民鎖国である。民主化闘争に参加し、家族が犠牲になったというのに、日本はジャックさんの難民申請を撥(は)ねつけた。

 現在、ジャックさんは申請不認定の決定取り消しを求め、日本政府を相手に裁判を闘っている。

 仮放免中のジャックさんは、当然、働くこともできない。リンガラ語教室は、そんなジャックさんの境遇を心配した人々によって開かれている。

 最初に立ち上がったのは私の友人、文筆家・イラストレーターの金井真紀さんだ。

 金井さんとジャックさんの出会いは2021年春。連日、入管法改悪案に対する抗議運動が展開されていた永田町で、ふたりは知り合った。抗議のシットインに参加していた金井さんに、ジャックさんが話しかけたことで縁ができた。LINEを交換し、その後も抗議運動の場で顔を合わせる機会が増えた。

 ある時、金井さんはジャックさんのスマホに収められた母親の写真を見せてもらった。

「うわあ、きれいな人」

 笑顔で反応した金井さんに、ジャックさんは「オカアサン、シンダヨ」と返しながら、自分の手で首を斬る仕草をした。

「なにを、どう理解してよいのかわからなかった」と金井さんはその時のことを振り返る。

「ただ、もっと知らなければいけないと思った」

 コンゴの歴史を学んだ。ジャックさんの境遇を聞いた。

 理解を深めていく過程で、ジャックさんにとって目下の一大事が、働くこともできず、強制退去や入管収容の恐怖にひとりで脅えるしかない“孤独”であることに気がついた。

 難民として認められなかったジャックさんは、前述したように就労資格を奪われている。本当にふざけたシステムだ。仮放免中は生活保護や健康保険などの福祉も適用されない。帰国か、飢えるか。そんな選択肢しか与えられないのだ。死ねと言わんばかりの政策は、様々な国際機関から批判されている。

 そもそも、日本は1981年に国連が定めた難民条約を批准している。「国が守ってくれない人を、国際社会で助ける」というのが、難民保護の基本的な考え方だ。にもかかわらず、ジャックさんのようにどれだけ迫害の証拠を提出しても難民認定を拒み、追い出そうとする。就労を認めず、生活支援もしない。こうした政策は同じく日本が批准している国際人権規約にも反するものだ。

 こうして日本に逃れた人々は追い詰められる。失望と後悔を重ねる。

 だから――祖国から逃れたひとりのコンゴ人と「知り合ってしまった」金井さんも、もう、後には引けなかった。「何もすることなく、ひとりで家にいるのがつらい」とこぼすジャックさんに、金井さんはあなたはひとりではないのだと伝えたかった。

「支えることなんて、できないかもしれない。助けるなんて、もっと無理。でも、一緒に時間を過ごすことはできるかも」

 そうして始まったのが、ジャックさんを囲むリンガラ語教室だった。

 身近な人に声をかけた。真っ先に駆けつけたのはスポーツライターの熊崎敬さんと、テレビディレクターの野溝友也さん。金井さんを含めた3人でジャックさんを招き、最初のリンガラ語教室を開いたのは2021年6月だった。辞書も教科書もない。ジャックさんの口から出た単語に意味を当て込み、想像力と経験値で言葉に仕上げていく。初めて耳にするリンガラ語に魂を吹き込んだ。

 それから1年。リンガラ語を学ぶ仲間は増えた。覚えた言葉も増えた。ジャックさんの教え方もさらに上手になった。でも、ジャックさんは仮放免のままだ。裁判も終わらない。

 国は何もしてくれない。だから、みんなでジャックさんとつながる。それしかできない。

 政府はウクライナから避難してきた人々を「準難民」として保護する制度の創設を進めている。なにが「準」だと言いたくもなるが、戦争から逃れた人を受け入れるのは大歓迎だ。当然じゃないか。帰りたくとも帰ることのできない人がいる。ならば助け合って、共に生きていく。それが社会というものだ。

 ならば、ジャックさんは――。

 弾圧から逃げてきた。家族を殺された。祖国はまだ不安定なままだ。そこに帰れと日本は言うのか。助けてほしいと願う人に、出て行けと言うのか。ジャックさんだけじゃない。様々な国の様々な人が、日本に助けを求めては拒まれる。

 その日、私たちは“授業”の合間に、芝生の広場でサッカーボールを蹴って遊んだ。

 太陽がまぶしかった。私は力いっぱい、足を振り上げる。「モコ!」。芝生の上をボールが不器用に跳ねる。「ミバレ!」。ボールに追いついたジャックさんが笑顔で蹴り返す。きれいな放物線を描いてボールは私の足元に落ちる。「ミサト!」。今度は正確に、狙いを定めて蹴り上げる。

 私たちはつながっている。笑って、走って、追いかけて、ぎこちなく言葉も紡ぎながら、一緒に生きている。

 そんな日常をいつまで続けることができるのだろう。誰も口にしない。考えたくない。

 だが、入管に収容され、強制退去させられるジャックさんの姿を想像しないわけじゃないのだ。

 この先、どうなると思う? ジャックさんに質問するつもりでいたけれど、やはりできなかった。

 いまは、いまを生きるしかない。そして、社会を変えていくしかない。

 くそっ、なんなんだよ、この国は。

 私はもう一度、大きく足を振り上げる。

東京出入国在留管理局


 外国人実習生を初めて取材したのは2005年だった。21世紀の日本で、人権も人格も無視された低賃金労働者がいることを知って、私は憤りでからだが震えた。

 その後も実習生をめぐって様々な事件が起きて、多くの法令違反が発覚した。

 そのたびに政府は見直し策を打ち出してきたが、いずれも制度の根幹にメスを入れたものではなかった。制度を維持させるため、小手先の改善提案を繰り返してきただけである。

 同じように、日系南米人の労働者も、人手不足のために「利用」され続けてきた。派遣や請負といった不安定な働き方を強いられ、企業の都合で、時に放り出される。

 日本は、外国人を雇用の調整弁として扱ってきた。いや、いまもそれは変わらない。

 必要ないと思えば即座に排斥へ動くのは、国の政策でもある。

 その前線で機能しているのが入管だ。

 2021年、政府は入管法を改正し、入管当局の権限をさらに強化することを企んだ。改正の目的は、日本が「不必要」だと判断した外国人を、より迅速に国外へ追い出すことにあった。

 これに反対する市民の闘いで一度は廃案に追い込まれたものの、法案そのものが葬られたわけではない。いま、政府は再度の提出を狙っている。

 あえて強調したい。こうした政策を支えているのは、いや、呼応しているのは、日本社会の中に居座っている「排他の気分」だと私は思っている。

 長きにわたり、日本社会は内に差別と偏見を抱えてきた。外国人を貶め、時に「敵」だと認識し、差別を正当化し、それを政策にも盛り込んできた。

 いま、様々な場所で問題となっているヘイトスピーチも、急に生まれたわけではない。差別の形は時代に合わせてリニューアルを繰り返してきただけだ。

 私たちは、私たちの社会は、いまだ差別を克服していない。