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「なぜ、穴を見つけるとのぞきたくなるのか?」子どもの素朴な疑問に学者が本気でこたえた本【築地川のくらげ読書感想文】
新刊が出る度に、広告を作り、POPを作り、チラシを作る。宣伝課のしがないスタッフである築地川のくらげが、独断と偏見で選んだ本の感想文をつらつら書き散らす。おすすめしたい本、そうでもない本と、ひどく自由に展開する予定だ。今回は、明治大学教授の石川幹人さんの著書『なぜ、穴を見つけるとのぞきたくなるの? 子どもの質問に学者が本気でこたえてみた。』を嗜む。
![なぜ、穴を見つけるとのぞきたくなるの? 子どもの質問に学者が本気でこたえてみた。](https://assets.st-note.com/img/1642664397901-qb2o01gx6n.jpg?width=1200)
寄せてはかえす波のように凍りつくほどの寒気にさらされる今日このごろ、穴を見かけたら、なんとか入って冬眠できないものかと本気で考える。暑いのも寒いのも勘弁。ああ、日本には四季があってよかった。それなのに未来は春と秋がなくなるかもしれないという。お願いですからやめてください。
穴といえば、最近手にした本に『なぜ、穴を見つけるとのぞきたくなるの?』というものがある。いまどきの都会には穴なんて滅多にない。ホントにのぞくのか。ためしに自宅の駐車場に穴を掘り、子くらげがどうするか実験してみた。
くらげ「あれ、なんだなんだ、あの穴」
下手くそな芝居で子くらげを誘導する。
子くらげ「なになに、穴って」
見つけるやいなや、のぞきにいき、手を突っ込んでいた。秒殺である。
穴なんてたいていはなにか生き物が掘ったもの。奥にどんな生き物がいるか分からない。無防備に手を突っ込むとは、やっぱり我が子くらげは都会っこだ。
『なぜ、穴を見つけるとのぞきたくなるの?』では、明治大学の石川幹人教授が子どもの素朴な質問に本気でこたえている。これが本気すぎて、ためになる。というか、我々大人も知らないことばかり。知らなくても大人にはなれるが、知らないまま終わっちゃつまらない。書物とは知の源。ネット検索も便利だが、検索すればいいじゃんではつまらない。
さて、いくつか大人のくらげも共感できる子どもの疑問をあげてみよう。
●どうして宿題を後回しにしたり、「勉強しなきゃ」と考えるだけでつまらなくなったりするんだろう?
→そうだよねぇ。仕事しなきゃと思うと、どんどん鬱になる(コラ)
●雨の日が寂しい雰囲気に感じられるのはなぜ?
→古来より雨は悲しみの象徴、トレンディドラマの別れの場面はだいたい土砂降りだった。
●クラスメイトが活躍したり、ほめられたりすると、なぜ、ねたましい気持ちになるの?
→だれかさんの仕事ばっかり褒めるのはねぇ、感じ悪いよね。
共感してないで、これらにちゃんと答えられる大人でありたかった……。気を取り直して、著者によれば、こうした気持ちには、人間のルーツ、狩猟民族だったころが関係しているという。人間にとって大切なのは、子孫繁栄も含め「生き抜く」こと。狩猟生活で必要だったのは、運動能力と集団作業をこなせるスキルだった。勉強がそれに置きかわったのは、文明社会になってからで、人類の歴史からすれば、つい最近のこと。
だから、本能レベルでは、未だに狩猟生活時代の生き抜く力を磨くことに自然とひかれる。体を動かしたい衝動(くらげは皆無だが)はそういった能力を伸ばせるから生まれる。つまり、「遊び」が「勉強」に勝つのは、これぞまさに本能からくる現象。ということは、私がいまいち仕事に前向きになれないのも本能ということなのか。
雨で気分が下がるのは、もちろん低気圧で頭が重くなるのもあるが、これ、人間が狩猟中心だったころ、雨の日は狩りでもなんでも、作業効率が悪かったため、一斉に休んだことからきている。集団生活では、てんでバラバラ、好き勝手動くより、みんなで一斉に働いたほうが効率的。こういった規律(?)を徹底するため、雨が降ると憂鬱になることで、狩りへ行く気持ちにならないよう変化していったのだとか。雨が悲しみや寂しさを表現する背景、知らんかった。知らないくせに、まるで雨が外出する私を引き留めるかのように降っているとか、さも文学めいた表現で、さぼる言い訳をするとは。
ねたみという感情もまた、狩猟採集時代から。みんなで協力して大型動物を狩り、それをみんなで分けあう。そんな公平感が根っこにある。ひとり占めはいかん、手柄はみんなで公平に分ちあおうぜというある種の警告がねたみのもとだという。
そうだね、褒めるときはみんなを褒めないとね。って、お前はそんなたいした手柄あげてないだろって。そんなことないですけどね。地味にね、いや、堅実ね。目指せ、職人です。にしても、世の中の公平感って狩猟採集時代からあるのね。その後、朝廷から武家政権へと、移りゆく歴史、騒乱や事件の裏に潜む人間のねたみ。根は深い。
そんなこんな詳しい内容は本書をじっくり読んでいただくとして、最後にひとつ。
●「ふつう」って誰が決めているの?
これは質問されるともっとも困るやつだ。「ふつうってのは、ふつうってことだよ」という禅問答じみた謎の答えではぐらかした記憶がよみがえる。本書では、ふつうとは、時代や状況によって変化するものと答える。んだんだ、オイラたちのふつうは、もうふつうじゃないんだ。彼らには彼らのふつうがあり、未来には未来のふつうがある。大事なことは、その時々のふつうを肌で感じ、それを知ることだ。
若い子は家にテレビがないという。信じられんと目をむいてリアクションするようではいかんのだ。家にテレビがないという「ふつう」にどうアプローチするか、大切なのはそこだ。
現代の我々の行動原理も、突き詰めれば狩猟採集時代に答えを求められるのも事実だが、同じように現代を生きる我々には我々だけの「ふつう」が存在する。その積み重ねによる未来が見えそうな見えなさそうな、そんな一冊だ。
(文・築地川のくらげ)