モデル女性と営農男性カップルが移住先に選んだ千葉・内房エリアの魅力【「理想の移住」を実現させた3家族の暮らし方①】
最初に紹介するのは、千葉県の都市部から内房エリアに移住し、自分たちの暮らしをていねいに紡ぐ下道千晶さんとパートナーの龍一さん。二人の移住のキーワードは“農業”と“子育て”だった。
千葉県内房エリアは、海と里山に囲まれた豊かな自然がある一方、新しい商業施設も続々オープンし、暮らしやすさがアップ。近年移住地としての人気が急上昇している。ともに都市部で育った二人は、20代で運命的な出会いを果たした。
千晶さんは大学生のときにモデルデビュー。ファッションそのものが好きだったことから、卒業後はアパレル会社に就職し、モデルとデザイナーという二足のわらじをはき、多忙な毎日を送っていた。
「でも、最先端ファッションを追いかける生活は目まぐるしくて、だんだん疲弊してしまって。体調も崩し、自分の生き方を考えるようになりました。誰かの決めた価値を追いかけるよりも、自分がいいと思うものを選べるような生き方がしたいなあと」
そのとき彼女の頭をよぎったのは、山形の祖母の暮らしだった。農家を営む祖母の家は昔ながらの民家で、遊びに行くと、軽トラックに乗って畑に野菜を採りにいき、それを食べるなど、自然のサイクルに沿った生活が楽しめた。いつかあんな暮らしがしたいと思い始めていたころ、とあるコミュニティーカフェで出会ったのが龍一さんだった。カフェを運営しつつ、街おこしとオーガニック野菜づくりをする龍一さんと話をするうち、考え方の方向性が同じだと気づいたという。
龍一さんが農業に興味を持ったのは学生時代。2カ月ほど滞在したインドでの体験が大きかった。
「インドの集落の暮らしは貧しいけれど、とても豊かでした。たとえば牛乳屋さんは牛を連れて家の軒先まできて、乳を絞って売るんです。テレビも携帯もないけど、本当、豊かだなあと思いました。じゃあ日本の良さってなんだろう。自分に問い直したとき、たどり着いたのが“里山文化”でした。人と自然が調和する里山での暮らしこそが、もともと日本人が守ってきたもの。よし、里山や環境をテーマに活動しよう。そう思いが定まり、茨城県の環境保全活動をしているNPO法人で1年間インターンシップ(就業体験)に参加して、農業経験を重ねました」
大学卒業後は地元で運営する新規就農者を育成する研修事業で1年間、市内の農家の元で農業研修に従事。その後、畑を借りることができ、無事、営農生活をスタートさせた。龍一さんもまた、農業に憧れる千晶さんの思いを感じ取り、二人はすぐに意気投合。ほどなく、新婚生活をスタートさせた。
当初、龍一さんは地元での営農に志を持っていたが、環境は野菜づくりに最適とは言い難く、別の場所でもっとオーガニック農業を勉強したいという思いが高まっていった。そんなとき、内房エリアにある「株式会社耕す」の農場長から「一緒に働かないか」と声がかかる。その環境やコンセプトには十分納得ができ、就職を決意。同時に内房エリアへの移住も決めた。
「農業をやるだけなら、ほかにも選択肢はあったんですが、いきなり全く知り合いのいない別の県に行くのは、あまり現実的ではない。友達も親もいる県内のほうが安心だろうと思ったんです」と龍一さん。一方、千晶さんはモデルの仕事を続けていたので、東京に通える場所がよかった。内房エリアからは高速バスが15分に1本出ており、東京や横浜までは1時間前後。内房線も使えるなど交通の便はよく、移住に異存はなかった。
話が整い、二人が内房エリアにやってきたのは2016年のこと。初めての土地だったため、最初は賃貸住宅で様子を見ることにした。
「借りたのは木造平屋の50平米の家で、賃貸料は月5万円。駐車場と庭も付いていたので、かなり格安でした。暮らしてみると、スーパーに並ぶ魚も野菜も新鮮で安いので、おのずと自炊が増え、外食費を抑えられました。生活費全般が安く済むし、暮らしやすい街だったので、これなら定住しても大丈夫と確信できました」。
そして2年後、長男のふうた君が誕生したことをきっかけに、定住を視野に入れ、大きな家に引っ越そうと夫婦の意見が一致。チラシなどを頼りに古民家を見て回り、今の家と出合った。売りに出る直前まで前の住人が住んでいたため傷んでいるところもなく、2階建ての5LDKと広さも申し分ない。母屋のほかに離れもあり、庭と駐車場が付いていた。ただし、快適な住まいにするには少々手を入れる必要があり、リフォーム代はかかった。
「私も夫も背が高いので、キッチンを10センチ高くしたり、床暖房を入れたりしました。でも、うん、住みやすい家になったので満足です」とほほ笑む千晶さん。
立地は内房エリアでも少し奥まったところ。幼い子どもを連れた若い夫婦に対し、近隣の反応が心配だったが、思いのほか好意的だった。わざわざ梅干しを携えて訪ねてくれたり、庭の手入れ方法を指南してくれたりと、周囲の人たちがどんどん距離を縮めてくれた。
「伐採した庭の木の処理に困っていたら、近所の人が『俺の山に捨てればいいよ』って、軽トラックで運んでくれたときはびっくりしました。山を持っていらっしゃるんだ、スケールが違うなあって(笑)」
子育て環境という意味でも、この町はすでに離れがたい場所になっていた。
「ふうたが幼いときから、市内にある保育園に通わせているんですが、シュタイナーを主体にした里山保育をやっていて、とてもおもしろい保育園なんです。自由度が高くて、たとえば、お絵描きの時間は題材も色も自由に選んでいいし、席も決まっていません。子どもたちがケンカしていても、大人は介入せず、子どもたちに解決させるのが園の方針。親同士も理解しているので、もめることもありません。とてもいい園なので、ここを辞めさせたくなかった。その縁もあり、ここで暮らしたいと思えたんです」
さらに、子どもの足で通える範囲内に小中学校があり、将来、ふうた君が東京の大学に進学したいと考えたとしても、ここならぎりぎり通学範囲。ふうた君の選択肢を狭めない場所、という視点からも、都市と田舎の中間にあるこの家は合格だった。
内房エリアに移住して5年目。二人は、新たな挑戦を始めた。龍一さんは、青果の流通を行う会社に転職し、農場の立ち上げに関わる。
「もともとフルーツを扱っている会社で、今、千葉でブドウをつくろうと計画しています。農地買収から関わり、これから形になっていくので、楽しみです」
千晶さんも、長年やりたかった藍染めの染め直し活動をスタートさせた。
「自分の大切な1着を、手をかけて長く着続けるのって、豊かですよね。シミができたり、色あせてしまった服も、染め直せば長く着られます。“捨てない”という生き方を考えるきっかけになればと思い、この活動を始めました。今、計画しているのは、我が家で染め直しをして、マクロビオティックのお弁当を食べて、ヨガをやる、という一日かけた"サスティナブルなワークショップ"。お弁当もヨガも、ママ友にプロがいるんです。だから、彼女たちと連携して、地域ともコラボして、やれたらいいなと思っています」
それぞれの生きがいを持ち、ふうた君ものびのびと暮らす毎日。そんな生活が手に入ったのは、やはり都市に近く、里山もあり、住民もおおらかな内房エリアに移住したからこそ。肩ひじ張らず、自然に沿った生活に、満足そうな二人の笑顔が印象的だった。
(構成/生活・文化編集部 清永愛)