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“親ガチャ”と遺伝の関係 本来の意味を超えて広がった背景とは

 ここ数年耳にするようになった「親ガチャ」という言葉。「双生児法」を用いた研究の第一人者で、行動遺伝学や教育学を専門とする安藤寿康さんは、人間のさまざまな能力に、遺伝と環境がどのように影響するかを調べている。『教育は遺伝に勝てるか?』(朝日新書)の著書があり、「親ガチャ」を説明するために自身の研究がしばしば引用されるという安藤さんに、遺伝と教育の関係について話を聞いた。

安藤寿康著『教育は遺伝に勝てるか?』(朝日新書)

■「ガチャ」というなら、遺伝も環境もすべてガチャ

 数年前、「親ガチャ」という言葉がはやった。どんな親や家庭環境のもとに生まれるかは運であり、生まれの不遇さは自分ではどうにもできないことを表現するインターネットスラングである。

 この「親ガチャ」を説明するのに、安藤さんの研究がしばしば引用された。

 安藤さんの研究は、双生児法によって人間の能力やパーソナリティーへの遺伝の影響を明らかにするものだ。双生児法とは、一卵性及び二卵性のふたごを被験者として、その心身・行動などの特性の類似性を比較し、遺伝的要因・環境的要因の影響を調べる行動遺伝学の手法のこと。例えば、知能における遺伝の影響はおよそ4割から7割で、大人になるほど遺伝の要素が強く出る。

 知能と比べると、学業成績のほうが環境の影響が大きい。特に日本では算数や数学の科目の遺伝率(遺伝で説明できる割合)が低く、中学校の数学の成績の遺伝率は2割に満たない(見方を変えれば、遺伝の影響が2割もある、とも言えるのだが)。一方、環境要因は7割近くある。算数や数学においては、親が公文やそろばんなど、数学に特化した勉強に力を入れているかどうかが成績に表れやすいことがうかがえる。

 という具合に数値化されるのだが、前提になっているのは、どのような遺伝子を持って生まれるかも、どのような環境に出合うかも、いずれもランダム(偶然、無作為)だということである。ランダム、つまり「ガチャ」だ。

 当時、安藤さんのところに「親ガチャ」についての取材が多数舞い込んだ。

「僕の知らないところで、『親ガチャ』の話と絡めて、『知能やパーソナリティーへの影響は、遺伝が何割、環境が何割』というグラフがあちこちに出回ったらしいんですよ。それで、ガチャというなら、環境だけでなく、遺伝がそもそもガチャだよね、という話として伝わったみたいです」

「親ガチャ」という言葉は、もともとは、親から虐待を受けているなど、過酷な家庭環境で育った子どもたちが、その状況を乗り越えるために、ある種の自虐として使い始めたと言われている。

「僕自身は、自分の研究とは無関係な他人事だと思っていたんですよ。というのは、行動遺伝学的にみれば当たり前のことなので。その当時は、『何を今さら』と思いました。でも、同時に、このような軽く響く言葉だからこそ、深刻な問題を現実的に、軽妙にかわしていけるのかもしれないとも思いました。誰が言い出したのかわかりませんが、うまい言い方ですよね」

「親ガチャ」はなぜ、もとの意味を超えて広がったのか。

「考えてみると、僕は行動遺伝学をやっていたので、ランダム性というものにリアリティーを持っていた気がするんです。逆にいうと、『人生とは設計して遂行していくもので、自己決定によってコントロールできる』という人間観のなかで生きている人にとってみると、遺伝や環境による不平等に、理不尽さを覚えるのでしょう。その理不尽さを言い表すのに、『ガチャ』という言葉がうまくはまった。そういうことだと思います」

安藤寿康さん(撮影/写真映像部・高野楓菜)

■遺伝を知ることで、呪縛から解き放たれた

 自分はなぜ、この親の子として生まれたのか。「出自」は偏見や差別につながることがあるので注意が必要だが、「この私」を受け入れて生きていくために重要なものでもある。

 安藤さんは、著書『教育は遺伝に勝てるか?』を出したあと、読者から意外な反応を受け取った。

「僕としては、『あんな親のもとに生まれたから、私はこんな人間になって苦しんでいるのだ』という呪縛から解き放たれることを願って、『遺伝的に親子というのは必ずしも似ていない』ということを、ポリジーンのモデルに沿って強調したつもりでした。ところが、『やはり自分はあの親の子であったことが科学的に示された』と受け止めて、なんとそう“科学的に”認識することで、逆に呪縛から解き放たれたという感想を、複数の人から聞いたんです。現実に立ち向かう力を得たということなのでしょうか」

 安藤さんの本を読んだ人が前向きになれるのは、「遺伝」という言葉のイメージが変わるからかもしれない。

 英語で「遺伝」にあたる言葉には、geneticとheredityがある。

「heredityは、まさに『受け継ぐ』という意味。geneticは、generateと同じ語源で、『つくり出していく』というニュアンスが含まれます。だから本当は、起因としてのgene、つまり『生命の源』という意味も、遺伝にはある」

 geneとは、遺伝子のことだ。

「もちろん、親と顔かたちが似るとか、そもそも人が人の形になるとかいうことも(遺伝の作用として)あるけど、生命というのはもっとずっとダイナミックなもので、どんな環境でも、必ずどこかで生き延びるものが出てくる。生命の源としてのgeneは、40億年前からずーっと受け継がれているんですよ。ということをイメージすると、遺伝の捉え方がちょっと変わってくるんじゃないかなと思います」

安藤寿康さん(撮影/写真映像部・高野楓菜)

■不平等な現実を、前向きに生きるには

 安藤さんによれば、人間が自由意志によってなんでも自分で決めていけると考えるのは、科学的にはあまり正しくないらしい。脳科学の知見によれば、自分がなんらかの意思を持ったと思うより先に、脳が動いているという。

「脳の神経ネットワークの配列はものすごく遺伝性が高くて、一卵性のふたごだったらほとんど同一人物のような形をしているんです。そりゃ同じような心の動き方になるよね、ということなので。脳科学も遺伝学もどんどん複雑になっていますが、もともと持っている生物学的条件が、人間が意思だと思っているものを構成していく」

 だとしたら、この「ガチャ」に満ちた不平等な現実を、前向きに生きていくにはどうすれば?

「自由意思という概念はまったく意味がないかというとそんなことはなくて、どれだけ脳が科学的に解明されようが、人間が楽しいとかうれしいとかきれいだと感じるのは変わらないのと同じように、自分が自由に意思決定しているという感覚が大事であることは変わらない。だから、自分のなかにあるこだわりとか、好きだな、気になるなということを手がかりにして、ちょっと何かやってみる。そうすると、自分なりに手応えを感じたとか、ほかの人が評価してくれたということが一定の確率で起こって、それがうまくつながっていくと、その人なりの居場所と出合っていけると思うんです。そのなかで自分の能力を育てたり、あるいは育ててくれる人と出合ったりする。教育とはつまりそういうことで、そうやっていくうちに、楽しく食べていけるようになるのがいいんじゃないかなと思うんですよね」

 自分のなかに芽生えるポジティブな感情に素直になること。遺伝と環境をめぐる安藤さんの研究は、そんなメッセージに行きつく。安藤さんの著書『教育は遺伝に勝てるか?』は、幸せになるための本でもある。

(構成/長瀬千雅)

安藤寿康(あんどう・じゅこう)
1958年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒業後、同大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。慶應義塾大学名誉教授。教育学博士。専門は行動遺伝学、教育心理学、進化教育学。日本における双生児法による研究の第一人者。この方法により、遺伝と環境が認知能力やパーソナリティー、学業成績などに及ぼす影響について研究を続けている