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「日本の遅れ」と「同調圧力」をスタンフォード現役教授が分析!日本の未来を切り拓くキーワード「バナキュラーライゼイション」とは

 世界に名門大学は数あれど、スタンフォードのブランドは際立っている。なぜ、スタンフォードは常にイノベーションを生み出すことができ、それが起業や社会変革につながっているのか。スタンフォード大学で学び、現在さまざまな最前線で活躍する21人が未来を語った新刊『未来を創造するスタンフォードのマインドセット イノベーション&社会変革の新実装』より、スタンフォードで現役教授として活躍する中内啓光、筒井清輝両氏の対談の一部を抜粋で紹介する。

『未来を創造するスタンフォードのマインドセット イノベーション&社会変革の新実装』(朝日新聞出版)
『未来を創造するスタンフォードのマインドセット イノベーション&社会変革の新実装』(朝日新聞出版)

■バナキュラーライゼイションという発想

筒井:前回の記事で人材の循環性や流動性の話をしましたが、日本は敷かれたレールの上を歩いていくのがベストだと多くの人が考えている社会、アメリカは自分で新しいレールを敷いていくことに価値を見出す社会という違いがあります。その違いがスタートアップに人材が集まるかどうかに顕著に表れていると思います。

 本書『未来を創造するスタンフォードのマインドセット イノベーション&社会変革の新実装』に登場するスタンフォード大学出身の日本人には、いくつかの共通点があります。一つは自ら新しいレールを敷いてきたこと。全員、これまで述べてきたような日本的な考え方や教育のあり方にとらわれず、挑戦を大事にしてきた人たちです。つまり、コンフォートゾーン、自分の慣れ親しんだ世界、敷かれたレールの上から飛び出して新しいことにチャレンジして、今の地位を獲得しています。

 もう一つは、価値観の多様性に加え、論理性を大事にしていること。スタンフォードには世界中から優秀な人たちが集まっています。それぞれの価値観は実に多様です。しかし、優秀な人たちなので論理的に話せばだいたいわかり合えます。それが同じ学生や同僚と長く続く関係を作るうえで大事になってきます。つまり本書に登場する人たちは、みんなスタンフォードで多様な価値観を受け止め、論理的に説明して相手を説得する技術を磨いたわけです。

 強い積極性で新しい出会いを作るというのも共通点です。スタンフォード及びシリコンバレーのエコシステムのなかには、有名な研究者や有名な起業家がたくさんいます。そういう人たちにどんどん話を聞きに行って、アドバイスをもらうことが可能だし、とても大事なことです。本書に登場する人たちは遠慮しないで、全員が積極的にドアを叩いています。

 全員から前へ前へ進む精神がすごく感じられます。この制度は変わらないだろうと思われているものを変えようとしたり、科学的には難しいだろうということを研究したり、とにかく常識を破ることに挑戦しています。それも大きなスケールで、世界を相手にして考えていたりする。いろいろな意味でスタンフォード出身者らしい発想、行動だと思います。

中内:なかには、スタンフォードで学んだことを日本で実践しようと思ったけれども、組織の壁に阻まれて起業できなかったという苦労人もいます。その点に関連して、筒井先生にぜひお聞きしたい。日本の社会はまだ「追いつけ」という発想が強くて、アメリカやヨーロッパの制度を日本に取り入れれば、社会が良くなると考えているケースが多く、特に行政官にはそういう人が多いと感じます。

 しかし、失敗例がたくさんあるわけです。中途半端に欧米のシステムを理解して、それをそのまま日本の社会に持ち込もうとするからうまくいかない。先ほどのJIC(経産省が主導し2018年にできた官民ファンド「産業革新投資機構」)の話もそうでしょうし、たとえば、NIH(アメリカ国立衛生研究所)をまねしたと言われるAMED(国立研究開発法人 日本医療研究開発機構)など、見かけをまねしているだけで、中身はあまり有効なシステムになっているとは思えません。

 欧米に限らず、他国の進んでいる制度、システムを日本に持ち込む際には、やはり社会的あるいは文化的な違いをよく理解したうえで、専門家がしっかりと吟味、あるいはアレンジして、日本の社会でもちゃんと通用するような形にして制度改革をしなければいけないと思います。こういう当たり前のことが、どうして日本にはできないのでしょうか。
筒井 日本は近代化後発国として、明治維新以降欧米の進んだ制度を取り入れて、大きな成功を収めてきました。ところがバブル期以降あたりから、日本型の政治経済モデルが成熟してきたなかで、自分たちの成功体験に囚われてか、外のモデルをうまく取り込むことが苦手になってきたのかもしれません。

 たとえば、日本の企業は1990年代後半、アメリカをまねて成果主義の賃金体系を導入しようとしました。しかし、年功序列を完全に打ち破ることはできず、賃金体系は今もほとんど変わっていないという状況です。

 実は、アメリカは相当特殊な国なのです。だから成果主義に限らず、アメリカでうまくいっている制度だからといって、それをそのまま日本にもっていってもうまくいかないことはたくさんあります。私のような社会科学者の仕事は、そういう制度改革の種を分析して、どういうふうに微調整を加えればうまく日本に根づくのか考えることだと思います。

 他国でうまくいった制度を取り込むことの難しさは、なにもアメリカと日本の間に限りません。新制度論と呼ばれる社会学の分野での重要な知見は、外から取り入れたシステムはその国のそれまでの慣習や実際の社会的要請などとの間に齟齬を起こしやすく、「デカップリング」と呼ばれる制度と実践の乖離が起きやすいというものです。

 たとえば、人権の仕組みです。第二次大戦後の国際社会では、人権が世界共通の普遍的なものだということで、世界のどこにでも同じ考え方をもっていかなければ駄目だという発想でずっとやってきました。それで多くの政府が国際人権条約を批准したり国内人権機関を作ったりするわけですが、ただ国際的な人権規範をそのまま当てはめようとするだけでは、社会のあり方が違う国・地域では、うまくいかないことが多いわけです。女性の権利や子どもの権利に対する考え方が違う国・地域で、国際基準を押し付けてもうまくいかない。そういうことがようやくわかってきました。

 そこで、今よく言われているのは「バナキュラーライゼイション(vernacularlization)」というやり方です。バナキュラーとは「その土地の固有の様式」といった意味。つまり、人権という考え方を地元の言語にうまく落とし込んで、地元の人に受け入れられやすくするというものです。「シュガーコート(砂糖の膜で包んで飲みやすくする)」と言ったりもします。

 たとえば、「この国は女性蔑視の酷い国だ、女性の権利を向上しろ」とアメリカ人がいくらうるさく言っても、ジェンダー関係についてアメリカと全く違う理解をもつ国はなかなか受け入れません。現地の女性自身も反発したりします。それをうまく地元の人たちが受け入れやすい言葉にするわけです。

 その際は、地元のリーダーに受け入れてもらうことが大事です。地元のリーダーはたいてい年を取った男性です。「あいつが諸悪の根源だ」と既存のリーダーを排除するような発想をもちやすいのですが、発展途上国で成功した例を見ると、そういう人を説得したほうが結構スムーズに人権の改善が進んでいます。

 日本の制度改革もそれと似ているところがあると思います。もちろん、「日本は後れているからこれを変えなければ駄目だ」と言って聞いてもらえる分野もあるでしょう。たとえば、経済の分野は「このままでは危ない」という実感をもっている人が多く、聞く耳をもつ人が増えてきていると思います。ただし、そうだからと言って、たとえば「老害で年を取ったトップが良くない」と強く叩き過ぎると、そこから反発が出て、うまくいくものもうまくいかなくなるでしょう。

 要するに、制度としてこれはうまくいくだろうというものを適切に選び取って、日本の社会や政治、経済のあり方に根づかせる努力を重層的にしていく必要があるわけです。

中内啓光(スタンフォード大学医学部教授)
中内啓光(スタンフォード大学医学部教授)
スタンフォード大学医学部 幹細胞生物学・再生医療研究所・教授。東京医科歯科大学高等研究院 卓越研究部門・特別栄誉教授、東京大学名誉教授1978年に横浜市立大学医学部を卒業。在学中にサンケイスカラシップ海外奨学生として1年間ハーバード大学医学部へ留学し、マサチューセッツ総合病院やブリガム病院等で臨床研修を受ける。1983年に東京大学大学院医学系研究科より免疫学で医学博士号を取得後、スタンフォード大学医学部遺伝学教室博士研究員として留学。帰国後、順天堂大学、理化学研究所、筑波大学基礎医学系教授を経て2002年より東京大学医科学研究所教授に就任、2008年より東京大学に新しく設置された幹細胞治療研究センターのセンター長並びに東京大学iPS研究拠点リーダーを務める。2014年からStanford大学教授を兼務。2022年3月で東京大学を定年となり4月より東京医科歯科大学高等研究院に移動し、引き続き日米両方の研究チームを率いて研究活動を行っている。大学院時代より一貫して基礎科学の知識・技術を臨床医学の分野に展開することを目指している。

■日本を外から眺めないとわからないことがある

中内:これだけインターネットが発達して、SNSでいろいろな情報の交換ができるようになると、ずっと日本にいても、世界のことを十分理解できると考えがちです。しかし、本当はほとんどわかっていない。私自身、10年前にサバティカルでケンブリッジ大学とスタンフォード大学に半年ずつ滞在して、そのことを痛感しました。

 それまで毎年、何度も海外に出て、いろいろな国・地域を訪れていたので、世界の大学のことをよくわかっているつもりでした。ところが、実際に英米の大学で研究する、生活するという経験を1年間したことで、はじめて心の底から「日本の後れ」を理解できたのです。

 ただ、今の若者たちには「日本はいい国だし、別に海外に出なくてもいいか」という風潮がすごくあると聞きます。

 日本のマスコミはどこも同じようなニュースを流しています。しかも、日本の国民が喜ぶようなことしか発表しません。インターネット経由の情報にしても、いろいろなバイアスがかかっています。そういう情報環境では、どんどん井のなかの蛙状態になって、危機感がもてず、「日本はいい国」としか思えないのも、ある意味当然かもしれません。

 しかし、先に述べたように、危機感がないと社会は良い方向に変わらないでしょう。だからメディアは日本の良いところだけでなく、悪いところも積極的に発信しないといけない。そして、若者たちは積極的に海外に出て世界の状況を実際に見聞きして、「日本の後れ」をよく理解してほしいと思います。

筒井:日本のメディアの体質は、いわば同調圧力の一種なので簡単には変わらないでしょう。たとえば、成功した人の足を引っ張るような言説がワイドショー的なメディアで受ける傾向は、かつてのホリエモン叩きなどの頃から、ずっと続いています。日本の社会では、相変わらず「出る杭は打たれる」わけです。

 アメリカにも、たとえば、イーロン・マスクへの反発はありますが、ホリエモン叩きのように成功者に対するジェラシーがものすごく強いかというと、それほどではないと思います。

「日本の後れ」の理由としては、行政と民間に壁があって風通しが良くなかったことも挙げられるでしょう。専門知識をもっている官僚は、外の話をあまり重視しません。しかし新しい制度を作る時には、現場でやっている民間のステークホルダーたちの意見が大事になってきます。その風通しが悪いと制度改革は良い方向に進みません。

 ただ最近は、官庁が民間の識者の意見をしっかり受け止める場面も増えていますし、専門の分野をもっている若手の政治家も増えてきています。それもあって以前よりは風通しが良くなっている傾向はあると思います。ステークホルダーたちと対話を重ねる「アジャイル・ガバナンス」の意識も出てきていると思います。

 たとえば、スタートアップ税制の改革では、政府がちゃんと民間と対話しながら制度を直そうとしていることを、官僚の側からも民間の側からも聞きます。危機感をもつ人が増えれば、さらにいい方向に行くことが期待できます。

中内:外国にいると日本のことが非常に心配になります。残念ながら日本のなかにいる人にはそういう危機感がないように見える。そこが実に歯がゆいところです。

 私がはじめてスタンフォードに留学したのは30年以上前です。そのころは日本人がたくさんいて、他のアジアの人はあまりいなかった。今はまったく様変わりして、日本人が非常に少なくなって、中国人とインド人が大勢います。中国から来た学生も優秀ですが、特にインド人は、IT産業が大学のまわりにあるので、学内だけでなく学外にもたくさんいて、非常に優秀です。

 シリコンバレーには、世界中から優秀な人たちが集まっています。私は以前、日本人は優秀だと思っていましたが、最近は非常に自信をなくしています(笑)。日本人は言われたことをきちんと丁寧にやるという点では、今でも優秀です。しかし、たとえば大学で本当にイノベーティブなトップクラスのサイエンスをやっているかと問われると、まったく影が薄くなってしまいます。文化的な背景もあるとは思うのですが、とても残念なことです。

 日本という狭い国から出て、いろいろな国を訪れ、いろいろな人に会い、いろいろな経験をする人がもっと増えてくれたら、日本の社会は少しずつ変わっていくと思います。数日の観光旅行では無理でしょうから、外国の学校でも会社でも何でもいいので、ある程度長い期間日本から出て、日本を外から見て、外国に人脈を作ってほしいと思います。

筒井:私も人材交流が日本の閉鎖性を打ち破る一番のきっかけになると思います。日本からの留学生を増やす、日本への留学生を増やす。留学生だけではなく研究者もそうです。

 特に日本では社会の制度、システムは簡単に変わりません。若者たちのマインドセットを変えるのもそんなに簡単ではないでしょう。

 しかし、リスクをいとわず、今ある壁をぶち破る気力のある若者は、必ず一定程度出てきます。そういう人たちをどんどん応援してほしい。やる気と才能のある若者が、たとえ失敗したとしても温かく見守ってほしいと思います。

 もし、そういう若者たちがなにかで成功したら、日本人みんなが得をするはずです。日本だけでなく世界もそうです。すごい発明で世界が救われるかもしれないし、特許で日本全体が恩恵を受けるかもしれません。とにかく頑張っている人の足を引っ張らない日本社会になってほしい。そう願っています。

筒井清輝(スタンフォード大学社会学部教授)
筒井清輝(スタンフォード大学社会学部教授)
2002年スタンフォード大学Ph.D.取得(社会学)、ミシガン大学社会学部教授、同大日本研究センター所長、同大ドニア人権センター所長などを経て、現在、スタンフォード大学社会学部教授、同大ヘンリ・H&トモエ・タカハシ記念講座教授、同大アジア太平洋研究センタージャパンプログラム所長、同大フリーマンスポグリ国際研究所シニアフェロー、同大人権と国際正義センター所長、東京財団政策研究所研究主幹。専攻は、政治社会学、国際比較社会学、国際人権、社会運動論、組織論、経済社会学など。著書に、『人権と国家:理念の力と国際政治の現実』(岩波書店・2022年。第43回石橋湛山賞、第44回サントリー学芸賞受賞)、Rights Make Might: Global Human Rights and Minority Social Movements in Japan (Oxford University Press 2018:アメリカ社会学会三部門で最優秀著作賞受賞)、Corporate Social Responsibility in a Globalizing World (Cambridge University Press 2015、共編著)、The Courteous Power: Japan and Southeast Asia in the Indo-Pacific Era (University of Michigan Press, 2021、共編著)。

中内:サッカーや野球、バスケットボールなど、日本人選手が海外で活躍しています。彼ら彼女らは日本のプレゼンスを上げていると思うし、その存在は妬みの対象ではなく、若者たちにとって格好のロールモデルになっていると感じます。

筒井:科学もスポーツと同じ面があります。ここ15年ほど日本人がノーベル賞をかなり取っています。これは中内先生がおっしゃったように、かつて日本の研究者が大勢海外に出ていたころの成果といえるでしょう。裏を返すと、日本から海外に出て交流する研究者が減ると、重要な研究を発信できる日本人が減ってしまうということです。ビジネスも同じでしょう。やはり海外の舞台で挑戦してみることが大事だと思います。

中内:日本の若者には東京大学や京都大学を目指すのではなく、ぜひスタンフォード大学を目指していただきたい。優秀な人は優秀な環境で教育を受ければ、さらに優秀になります。日本で教育を受けることが本当にいいのかどうか。日本の超一流大学も常に考えないといけない問題でしょう。

筒井:多様な考え方に触れるという意味では、日本とアメリカの大学には大きな差があります。特にスタンフォードには選りすぐりの精鋭たちが集まっています。私たちが勤めている大学なので、どうしたって一番のお勧めになりますね(笑)。


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