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“悟る前”のブッダの人生にこそ老いを楽に生きるヒントが 老病死が近づく「林住期」の重要性

 超高齢社会を迎えた日本。そんな現代だからこそ、ブッダの人生、特に古代インドの四住期で考えた「林住期」の生き方から、老いのヒントを学ぶべきと教えてくれるのは、宗教学者の山折哲雄氏。国際日本文化研究センターの所長なども歴任してきた山折氏の著書『ブッダに学ぶ 老いと死』(朝日新書)から一部を抜粋、再編集して解説する。
(タイトル画像: ๋J88DESIGN / iStock / Getty Images Plus)

山折哲雄『ブッダに学ぶ 老いと死』(朝日新書)
山折哲雄『ブッダに学ぶ 老いと死』(朝日新書)

■「悟る以前の釈迦」と「悟った釈迦」の二分法では見えてこないもの

 私たちの生き方のヒントは、悟る前の釈迦、俗人釈迦の生き方にこそあるというのが私の主張です。

 仏教は今から約2500年前に釈迦によって説かれるようになりました。その頃、インドのいわゆる知識人の間ではバラモン教(ヒンドゥー教)が主流を占めていました。つまりインドでは、仏教以前から出家者によって重要な人生観が説かれていたわけです。

 その代表的な人生観は「四住期」です。これは人生を四段階のライフステージに分ける考え方です。

  • 第一段階「学生期」

  • 第二段階「家住期」

  • 第三段階「林住期」

  • 第四段階「遊行期」

 このように分ける考え方で、釈迦の人生観、つまり生老病死観と表裏の関係にあります。

 もっと端的に言うと、釈迦はこの四住期を意識して生きた知識人でした。だから釈迦の人生、あるいは釈迦の教え、釈迦の言葉を本当に理解するには、まず四住期というインド古来の人生観を知ることが不可欠なわけです。

 ただ一方で、釈迦の教え、釈迦の言葉は悟りを開いたのちに唱えられたものが中心になっています。つまり釈迦は、悟った結果、つまり賢者になってから自分自身の体験などを語ったということになっています。それが仏教として受け取られてきたわけです。

 もちろん悟りを開く以前のことも、神話のようなかたちで悪魔の誘惑や遊女の誘惑、あるいは赤子の釈迦が「天上天下唯我独尊」と言ったという話、14歳の時に老人、病人、死者、出家者を見て人生に迷い、悩むようになったという「四門出遊」の話などが伝えられています。

 ただしそれは、さまざまな苦しみから離れて、悟りを得て、釈迦の本当の人生が始まったという二分的なかたちになっています。つまり、悟る以前の釈迦の人生は神話的な物語として、克服されるものとして語られているわけです。

 要するに仏教者にとって、悟り以前の釈迦の人生、あるいはその人生観は仏教以前という位置付けでしかありません。

 近代的仏教学も、釈迦は仏教以前のバラモン教、つまりインド古来の知識人たちの人生観を否定して、出家をして悟りを開いたという前提に立っています。釈迦は悟ることによって、それ以前にインド社会の一般的な知的な人々が考えていた人生観を抜け出たと。

 しかし釈迦の人生は、仏教以前からある当時の知識人たち、あるいは一般のバラモン教徒たちの人生観と対比しながら考えないと、悟ったあとの釈迦、賢者の釈迦の姿しか見えてきません。そこに至るまでに苦しんだ釈迦のライフステージが隠されてしまうからです。

 つまり、近代的仏教学のように悟り以前と悟ったあとの釈迦を真っ二つに分けて考えると、釈迦の80年の生涯を全体として捉えることができないんですね。

 だから仏教以前からインド社会の中にある知識人から文字の読めない庶民までを含んだ広範な人々の人生観、死生観を明らかにする必要があります。そして、そこに生まれ育った釈迦が徐々に苦しみから抜け出ていくプロセスを捉える必要があるわけです。

 インドの歴史やインドの哲学者、賢人たちが説いた教えなどを総合的に見渡すと、そこには共通して流れている人生観があります。それが初めに述べた四住期なんですね。人間というものは四つのライフステージを経て最期を迎える。それが非常に理想的であるという人生観です。

 四住期という考え方が釈迦のはるか以前から説かれていたことは、たとえば、バラモン教の教えをまとめた『マヌ法典』を読むとよくわかります。

『マヌ法典』は紀元後に知識人によって文字化されたものですが、その内容は古来、口頭で伝承されてきた事柄であって、仏教以前から広範な人々に受け入れられてきた教えです。つまり四住期は、インドの普通の庶民が自然に受け入れていた人生観なんですね。

■林住期とは「家出」をして自由になる時代

 さて、四住期の中身は何か。

 第一期の学生期は日々学び、親や教師に従う生活を送る、文字通り「学生の時代」です。

 第二期が家住期、家に住むです。仕事に就いて結婚して子どもを作り、「経済人・家庭人として活動する時代」です。

 そして第三期の林住期。当時のインドは家父長制の社会です。家庭を持ち、子どもを社会的人間に成長させたあと、父親は息子に家長を譲ります。そして家を一時的に出て旅をしたりしながら本当にしたかったことをする。つまり、「自由を享受する時代」です。

 旅に出て音楽の世界に入ったり、森に入って瞑想にふけったり、いろいろな人々と交流したりと、それまでの世俗的な生活を抜け出て自由気ままに生きる。場合によっては女に狂ったり、酒に溺れたりもする。とにかく一時的に家や家族の縛りから逃れ出て、自由な生活を送る時代が林住期です。

 これは要するに「家出」なんです。家を出るといろいろな発見があります。世俗的な心の疲れもリフレッシュされる。場合によっては自由に溺れて失敗して、のたうち回るような思いもする。林住期には人それぞれ、さまざまな人生的な経験をするわけです。今でもインドに行くと、そんなふうに生きている人たちがたくさんいます。

 林住期は中途半端と言えば中途半端ですが、自然の中での生活と旅暮らしの時代、あるいは瞑想と遊びの時代です。

 ただし、ほとんどの人間はやがてお金が尽きます。年も取るし、病気にもなります。家を出ているから、このまま死んだらどうしようと不安になります。つまり林住期は、だんだん老病死が近づき、その苦悩が深まる時代でもあるわけです。

 そういうプロセスの中で、さて、どうするかと考える。その意味では、林住期は自分の晩年に思いを巡らす自由な時間でもあるんですね。

 こういう時期をライフステージに組み入れたインドの賢人たちの人生観はなかなかのものです。私が知る限り、林住期のようなカテゴリーを人生観の中に取り入れた民族、文化はインド以外にあまりありません。

 林住期の中で死が近づいてきた人間はどうするか。ほとんどが世俗に、自分の妻のもと、家族のもとに戻ってきます。

 ただ、世俗に戻って元の木阿弥かというとそうじゃない。林住期で別の世界をさまよい歩いた、その結果、さまざまな人に出会って、さまざまなことを学んできた。そのいわばリフレッシュの蓄積が、再び始まる家族、あるいは共同体の暮らしの中で活かされます。つまり林住期は、ある種の成熟の時間でもあるわけです。

■遊行期に進んだほんのわずかな人が釈迦でありガンディー

 林住期の次が最終のライフステージ、第四期の遊行期です。日本のいわゆる生き方本には「それまで得た経験や知識を、世間に伝える時期」といった説明も見られますが、本来の遊行期は違います。生き方本にある説明は先ほど言った林住期を経て世俗に戻ったあと、つまり林住期のいわば延長の話でしかありません。

 実は最終ライフステージの遊行期に進めるのは、ほんのわずかの人間です。遊行期に進んだ人間は、もはや家族、共同体のもとには帰りません。帰らずにどうするか。現世を放棄して、一人の遁世者、聖者として全く別個の人生を歩み始めます。

 要するに現世放棄者、遁世者、聖者になった最も代表的な人物が釈迦なんです。現代においてはガンディーが遊行期を生きた一人と言えます。

 私は俗と聖を行き来する林住期にこそ、「人生100年時代」を生きる今日の私たちが、老病死に対する不安にどう立ち向かうかという問題を考えるヒントがあると思っています。

 ともすると私たちは、老病死から遠い人生の前半を明るい50年、老病死に近づく人生の後半を日陰の50年と二元的な対照に考えがちです。

 しかし、人生の後半の50年を林住期と捉え、俗と聖を行き来するような生き方ができれば、決して日陰にはなりません。現に92歳の私は林住期を生きていて、極めて明るく老病死に立ち向かっているつもりです。