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1万組以上のふたごを調査してわかった「遺伝の誤解」 子の“適性”の見つけ方

 30年以上にわたり、1万組を超えるふたごを調査し、人間の行動に遺伝がどのように影響するかを研究してきた安藤寿康さんの著書『教育は遺伝に勝てるか?』(朝日新聞出版)では、5組の一卵性双生児の事例を取り上げた。まったく同じ遺伝子を持つ2人は、それぞれ独立した人格でありながら、まるで遺伝子に導かれるように、類似した人生経験を選び取る。遺伝とは何なのか? 子育てにおいて重視すべきこととは? 安藤さんに話を聞いた。(タイトル写真:bee32 / iStock / Getty Images Plus)

安藤寿康著『教育は遺伝に勝てるか?』(朝日新書)

■なぜ今「子育て・教育と遺伝」なのか

「講演会にいくと、『子どもの適性(遺伝的素質)をどうやって見極めればいいでしょう』と必ず聞かれるのですが、それが一番困る質問なんです」

 安藤さんはにこやかに答える。安藤さんの研究は子育てに正解を与えるものではない。それなのに注目が集まるのは、人間の能力やパーソナリティーに対する遺伝の影響が十分に語られてこなかったからだ。

 安藤さんは「双生児法」という手法で、人間の行動への遺伝の影響を研究している。ざっくり説明すると、遺伝子と家庭環境のどちらも共有する一卵性双生児と、遺伝子は同じではないが家庭環境を共有する二卵性双生児、両方のふたごをたくさん集めて、知能やパーソナリティーについて比較する。一卵性のほうが二卵性よりも類似の度合いが大きければ、遺伝がかかわっていると判断できる。一卵性も二卵性もどちらも同じくらい類似していれば、それは遺伝ではなく、環境によるものと推察できる。

 安藤さんによれば、一卵性双生児がよく似たライフコースをたどるケースはめずらしくない。同じ職業に就いているとか、同じ時期に同じ病気をしているといった逸話には事欠かない。

 研究によって明らかになったのは、「あらゆる能力には遺伝がある」ということだった。

 例えば、知能には4割から7割弱が遺伝の影響がある。大人になるほど遺伝の割合が増える。学業成績は、学年や科目によるが、1割強から5割強が遺伝で説明できる。知能に比べれば、学業成績のほうが環境の影響が大きい。ただ国や年齢によっても割合は異なり、イギリスでは子どもの時は知能より学業成績の遺伝率の方が大きいという報告もある。

 ちなみに、集団内での差異(=個人差)を遺伝要因と環境要因に分けた時に、遺伝で説明できる割合を「遺伝率」と言う。

 内向的か外向的か、勤勉であるかといったパーソナリティーの遺伝率は3割から6割ほど。おもしろいのは、家庭環境の要因がほぼ見られないことだ。じゃあ残りの4割から7割は何かというと、「非共有環境」といって、ふたごがそれぞれ異なる影響を受けるものを指す。例えば、友人関係や部活動、アルバイトなど、ふたごであっても別々の経験をすれば、それらが非共有環境となっていく。

 子どものパーソナリティーに、親の育て方は影響しなかった(繰り返すが、親や家庭以外のさまざまなできごとは非共有環境として影響する)。「こう育てればこう育つ」式の子育てマニュアルがすべての時代に、安藤さんの主張は新鮮に響いた。

安藤寿康さん(撮影/写真映像部・高野楓菜)

■教育を語る時に、遺伝のことを誰も語らなかった

 遺伝の影響はなぜ、ほとんど顧みられなかったのだろうか。みんな本気で「早期教育を正しく行えば子どもの能力はどんどん上がっていく」「親が育て方を間違えなければ必ずいい子に育つ」と信じていたのだろうか。

「というより、遺伝については誰も語らなかったということだと思います。もちろん、教科書には最初に『遺伝と環境』というチャプターがあり、遺伝と環境どちらも大事という話が載っている。でも、どういう教え方をすれば学力が伸びるかとか、どういう家庭環境だと子どもがどうなるかという研究をしている人が、教育学や心理学では圧倒的に多く、その中に遺伝という変数を入れようとは考えなかったんです。そういうリサーチクエスチョンを持たずにすむ知的風土があったし、今もあると思います」

 その背景には、遺伝に対するある種のタブー感があったと考えられる。巨大な負の歴史があるからだ。

「社会科学で遺伝を扱おうとすると、優生学が頭にちらつくどころか、『お前は虐殺を正当化するのか』と言われることすらありました」

 優生学とは19世紀に誕生した“人類を遺伝的に改良する”ことを目的とした学問だ。ナチスは優生思想に基づいたさまざまな政策を押し進め、ホロコーストを引き起こした。日本も無縁ではなく、遺伝性とされた病気や障がいのある人たちに強制不妊手術や中絶を強いる優生政策は戦後まで続いた。

「今でも遺伝という言葉は、差別や偏見に容易に結びつきます。教育の話でいえば、本人の思いや行動と関係なく『頭がいいのはあの親だから』と決めつけられることもあるし、逆に本人が『親は頭がいいのに自分は違う』と傷つき思い悩むこともある。決してうれしい話には結びつかない。だから、『この人がこのような人間であるのは、遺伝もあるかもしれないけど、やっぱり環境だよね』と考えることが正義だと思われていたんだと思います」

安藤寿康さん(撮影/写真映像部・高野楓菜)

■なんらかのバイアスがないと人は選択できない

 多くの人が抱いている遺伝に対する最大の誤解は、「親と似ること」が「遺伝」だと思われていることだ。この捉え方は、科学的に正確ではない。

 一つの形質にかかわる遺伝子の数は膨大で、しかも親から子へどのような遺伝子が伝わるかは完全にランダムだ。だから同じ両親からも、違った遺伝子の組み合わせ、違った素質をもつきょうだいが生まれる。その組み合わせはどちらの親ともちがう。あることについては他人より優れていながら別のふつうのことについてはとても苦手というアンバランスな素質を抱えて生きづらさを感じている「ギフティッド」がしばしば生まれるのも、おそらく遺伝子伝達がランダムな組み合わせを生むためだろう。一つの遺伝子が複数の形質にかかわっていることも明らかになっている。

「今回の本で強調したかったのは、同じ親からでも、ものすごく多様な子どもが生まれうるということです。それはほとんど、私たちが住んでいるこの社会全体の遺伝的なバリエーションと同じくらいの確率です。つまり、親と似るのが遺伝だと思われているけれども、似ないのもまた、遺伝だということです」

 ここで、最初の問いに戻る。多くの親は、できれば子どもが持っているものを伸ばしてあげたいと思っている。受験にしろ習い事にしろ、向いていないことを強制したくはない。ただ、今ここで諦めてしまったら、将来のよりよい環境を逃すことになるのではないかと思って迷う。

「適性を見つけることは、依然として難しいと思います。ただ、少なくとも、できないのは本人の努力不足とか、学習方法や指導の仕方が悪いと言って、心がすり減るほど無理をするのは合理的ではないということは、わかると思います。さらに言えば、適性の萌芽は、必ずしも期待した通りに現れるのではなく、本人すら気づいていないうちに、その人にしかないような、まさに“個性的”な形で発現することもありうる。それが、(『教育は遺伝に勝てるか?』に書いた)写真家になった一卵性双生児の実話で示したかったことです」

 彼らは、自分に自信が持てずこのままでいいのだろうかと迷う、ふつうの青年だった。別々のタイミングで写真と出合うのだが、その衝撃を語る言葉は不思議なほど似通っている。

 安藤さんによれば、そもそも自分が持っている素質にぴったり合う環境に出合うことは理論上あり得ない。

「たいていの人は、どの環境もちょっとは合うけど、完全には合わないという状態をずっと続けています。幼い頃にパッとひらめいてしまう人もいれば、一生さまようことだってあるのが現実だと思います」

 親がどのような環境を与えたところで、子どもは子どもなりに反応する。好きなら夢中になるし、嫌いなら反発する。それぐらい遺伝の力は強い。

「子どもにどのような環境を与えるかは、基本的に親の趣味と子ども自身の趣味をそれぞれ前面に出してぶつけさせればいいと、僕は思っているんです。親がロックを好きなら、徹底的にロックのすばらしさを教えればいい。裏切られることがあるのを承知の上でなら、受験に邁進してもいいと思います。子どもが嫌だと思うこともあるかもしれないけど、嫌だと思わせることも教育だと思っているので。そこがあやふやで、いつまでたっても親が何をやっているかわからず、最終的に『全部きみの自由だよ』と放り出されるほうが、子どもには酷だと思う。なんらかのバイアスを作ってあげないと、人は選択できないですから。そのバイアスというのが、一つは本人の好みで、もう一つが親の持っている“本物”の社会です。親が経験してよかったと思うこと、自分にしっくりくるものを、多少意図的に示してあげてもいいんじゃないか。そうすると、自分自身を振り返ることになる。親にとっても恩恵になるのではないでしょうか」

(構成/長瀬千雅)

安藤寿康(あんどう・じゅこう)
1958年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒業後、同大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。慶應義塾大学名誉教授。教育学博士。専門は行動遺伝学、教育心理学、進化教育学。日本における双生児法による研究の第一人者。この方法により、遺伝と環境が認知能力やパーソナリティー、学業成績などに及ぼす影響について研究を続けている。