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「虐待の連鎖ではなく、苦しみへの共感」女優・作家の中江有里さんによる丸山正樹著『キッズ・アー・オールライト』書評を特別公開!

 丸山正樹さんの『キッズ・アー・オールライト』が話題です。『ワンダフル・ライフ』『デフ・ヴォイス』シリーズなどで、社会の片隅に存在するマイノリティたちの声なき声を掬い上げる著者が選んだテーマは、在日ブラジル人やヤングケアラーといった「子供たち」。中江有里さんが「週刊朝日」10月7日号でご執筆くださった書評を掲載します。

丸山正樹著『キッズ・アー・オールライト』(朝日新聞出版)

ヤングケアラーたちの心の叫び

 大人は子を守るもの──その前提に立てば虐待される子やヤングケアラーは存在しないはず。

 しかし近年は子供の人権を損なう事例が多く、社会問題となっている。世の中は性善説では成り立たない。

 本書には様々な問題を抱えた子供の事情が描かれるが、その子供を庇護する大人、逆に追い詰める大人たちの物語でもある。

 子を庇護する側の河原はNPO法人「子供の家」の代表。子供を守るためには子供たちの声なき声を聞き取っていくしかない。ある日ネットに書き込まれたつぶやきが気になり、発信元のヤングケアラーと思しき子の行方を追い始める。

 行き場のないストリートチルドレンの元締め・シバリは、「ガイジン」と呼ばれて周囲から差別される日系ブラジル人の少年ダヴィと知り合う。孤立するダヴィを救うために日系ブラジル人のグループと関わっていく。

 一方、少女の「パパ活」(売春)を仕切る半グレ集団、身寄りのない日系ブラジル人を犯罪に利用しようとする輩、老母の世話を娘に担わせる両親……彼らは生きるために子供を犠牲にする。

 特にヤングケアラーの少女・真澄の声が印象深い。彼女は老いた祖母の世話をすることが自分の役割だと信じている。大好きな祖母を放っておけない真澄の優しさ、健気さは嘘ではない。周囲に祖母のケアを強制されているわけではないがそうせざるを得ない状態に追い込まれていることに無自覚だ。

 子供にとって安寧の場所であるはずの「家庭」は、同時に「しつけ」という名目の暴力、虐待などが起こる場所でもある。それらは外からは見えにくく、エスカレートしがちだ。子供が抱える問題は暴力やネグレクトだけでない。大人が担うはずの家事や介護を担う真澄は閉じられた「家庭」の被害者といえる。

 SNSは人々のつぶやき、自己アピールであふれているが、危機を伝えるツールでもある。真澄が「おばあちゃんころしちゃうかも」と書き込んだのは追い詰められた者の心の叫び。河原は通称「うさこ」を通じて真澄に連絡を取ろうと試みる。「うさこ」はかつて幼い弟、妹の面倒を見ていたヤングケアラーだった。

 詳細には描かれていないが、子供を救おうと奔走する大人たちもまた「うさこ」と同様、見えない問題を抱えた子供だった(著者の既刊『漂う子』に詳しい)。

 河原と妻のあおいは、親からの虐待を受けて預けられた施設で出会っているし、シバリも父からネグレクトされ、同じ施設で知り合った日系ブラジル人のミゲルにBJJ(ブラジリアン柔術)を習い、父から離れて生きることを選んだ。

 虐待をされて育った人間は我が子を虐待するのを恐れる、と聞いたことがある。しかしこの作品に描かれるのは虐待の連鎖ではなく、苦しみへの共感だ。

 河原やシバリたちがかつての己のような子供たちを救おうとするのは義務でも、単に仕事としてでもない。自分にしかできないことだと感じているから。

 子供には希望がある。可能性がある。子供の元に希望を取り戻すのもまた大人の役割だ。

 子供の抱える問題は、本書に描き切れないほどあるだろう。その一端を知ることには大きな意味がある。子供を追い詰めるのは周囲の大人だけではない。無関心、あるいは無関心を装う大人がそう。子供たちの声は聞こえにくいから、耳を澄ます必要があるのだ。

 本書のタイトルを直訳すれば「子供たちは大丈夫」。逆説的にとらえれば、苦しむ子供たちがいなくならない社会を構築できない大人たちの問題を指しているのだろう。


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