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【書店員さん絶賛!】敗戦、バブル崩壊、コロナ禍――。その共通点を描き出す社会派ミステリ『そして、海の泡になる』著者・葉真中顕さんインタビュー

2020年11月7日に発売となった葉真中顕さんの新刊『そして、海の泡になる』は、発売前にプルーフ判を読んだ書店員さんから「真摯な問いかけに溢れる力作」「現代社会の闇に触れつつも、ミステリーを楽しめるとても贅沢な内容で推さない理由が見つからない」「『真の幸福とは何か』を問いかける作品」と絶賛の声が寄せられていました。

※書店員さんたちの声はこちら↓↓↓
https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=22325

発売後にはホラン千秋さんによる書評が産経新聞に掲載されるほか、週刊朝日、週刊現代、週刊新潮、週刊文春、AERAおよび共同通信でインタビュー記事が配信されるなど、各誌紙の書評などでの紹介が続いています。

魅力溢れる本書をより多くの方に手に取っていただきたく、「小説トリッパー2020年冬号」に掲載となったロングインタビューを全文公開いたします。

■バブルの後遺症

――新作『そして、海の泡になる』は、バブル期に個人史上最高額の4300億円もの負債を抱えて自己破産し、さらに詐欺と殺人の容疑で逮捕された朝比奈ハルという女性の話です。といっても、本人は故人なので登場せず、アマチュアの物書きの“私”が、生前の彼女を知る人たちから証言を集めていくという構成です。それを通して、ハルの人生やバブルという時代が見えてくる。朝比奈ハルには実在のモデルがいるそうですね。

葉真中:尾上縫さんという女性です。参考文献に挙げているノンフィクション作家の井田真木子さんの『フォーカスな人たち』で描かれているのですが、バブル期にハルと同じ手法で資産を増やしていって、投資詐欺で逮捕された人物です。作中でうみうし様という神様のお告げに従って、ハルが投資をしていたと証言する人物が出てきますが、尾上さんもガマガエルを祀って占っていたらしいです。作中に登場するエピソードで、四大証券のトップ営業マンがハルにむらがっていたことや、彼女が年末にメガバンクに呼ばれてスピーチをしたというのは、尾上さんのエピソードを翻案したものです。ただ、尾上さんはハルのように殺人罪は犯してはいません。彼女については、井田さんの著書以外にも、バブルを象徴する人物として、いろいろな書籍で名前を見かけていて、かなり前から興味を持っていました。

 今回はバブルという時代への関心と、モデルとなった尾上縫さんという、あの時代を象徴する人物について書きたいという、両面がありました。

 バブル崩壊後、日本は自殺率も上昇して生きづらさが加速していく時代に入りましたが、私は団塊ジュニアの世代で、90年代中頃の就職氷河期にちょうど社会に出て、バブルの恩恵を受けないまま後片付けだけをずっとやらされている感覚があります。同世代の人たちはみな、バブルの後遺症の割を食っているのに、なんの手当もされていないという共通感覚を持っているのではないかと感じています。

 それで、いつかバブルとはどういう時代だったのか、尾上さんをモデルにした作品を書きたいと思っていたところで、書くチャンスをもらえた、という流れです。

――朝比奈ハルは昭和8年に和歌山の海に面した村で誕生。少女時代に家族を失ったのち、なぜ大阪で高級料亭を営み、投資家として知られるようになったのかが少しずつ明かされていきます。彼女の関係者の証言だけでその人物像に迫るという作りは、最初から決めていたのですか。

葉真中:いわゆる証言小説というジャンルですよね。証言小説の元祖が何になるのかは分かりませんが、有吉佐和子さんの『悪女について』といった名作もあるし、私は読者としても、この形式が好きなんです。中心となる人物を直接描くのではなく、まわりを描くことで不在の中心が見えてくる。

『そして、海の泡になる』はミステリー小説として書いていますが、証言者それぞれが自分が見たり考えたりした朝比奈ハル像を話しているので、主観が入っているし、嘘をついている可能性もある。それによって生じる食い違いというのは、ミステリー的にさまざまな仕掛けを演出しやすい。語り=騙りというミステリーとして、証言小説を書いてみたいと思いました。

■偏りのある登場人物

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――たしかに、語る人によってハルさんの印象が少しずつ違うんですよね。全員が信用できない語り手の可能性もあるわけですし。

葉真中:証言小説のいいところは、いろんな主観が書けることですよね。この作品の中では偏りのある、おかしなことを言う人もいっぱい出てくるけれど、あらゆる面がすべて標準的で正しい意見を持った人なんて、この世に一人もいないはずで、一人一人それぞれに偏見やゆがみや、逆に善良すぎるような部分があり、簡単には整理できない。そういう人間の複雑さを、多様な主観を重ねることによって、描き出せると思いました。

 証言者一人一人について、作中には書かないキャラクターの来し方というか、バックボーンも作りこんでいます。労力のいる作業ではあるけれど、楽しくもありました。

 これはあくまでも私の小説観なんですが、ある特定の立場だけを肯定するのではなく、さまざまな主観から描くことで、主観と主観の関わり合い方やぶつかり合いが発生する、そこから読むべきものが生まれてくるのではないかという気がしています。

――それは、作者自身がさまざまな主観的意見を検証しておく必要があるのでは。

葉真中:私の小説は、ミステリーという形式を選択する以上、おおよその作中で人が死にますし、殺人を犯した人物が罰されないこともあります。倫理的に正しい人物が主人公とも限らない。でも、作品全体として、この著者は殺人を奨励しているとか、差別を煽っていると思われたら困ります。なので普段から小説を書く時に、エージェント方式と呼んでいる手法を取り入れています。自分の中で葉真中Aとか葉真中Bなど、意見が違う人間を何人か作り、彼らと合評しながら原稿を添削するんです。そうすることによって、登場する人物、それぞれが言うことには偏りがあったとしても、作品全体は偏らないように注意していて、この検証方式はデビュー作から行っています。

 今回は証言小説なので、このエージェント方式をそのまま文章に落とし込めるという意味では、書き方として手に馴染む感覚が、とくに強くありました。

――確かに、作中人物で考え方やものの見方が古いと感じさせる人もいますね。

葉真中:問題のある発言をする人が何人も出てきます。が、当時の感覚は、今の感覚とは当然違う。今だったら許されないようなことを言う人もいたはずです。すべての人が今の感覚にキャッチアップしているのは逆に奇妙です。おかしいことはそのまま言わせないといけない。ただ、作品全体を眺めた時に、それを肯定してはいないんだ、ということはきちんと示したいんです。小説というメディアのひとつの強みとして、書いてある通り読まれるわけではないということがあると思っています。むしろ、読ませてはいけない。差別的な人物ばかり出てくる作品であっても、全体としてはそれを肯定してはいないと、うまく読者に伝えられるように描きたいと思っています。

 もともとそういう考えを持っていましたが、この作品に向き合っていく過程で、ますます強くそう思うようになりました。

■「時代」をどう反映させるか

――本作では朝比奈ハルがどうして莫大な負債を抱えたのか、彼女がどういう人だったのかという謎、それに加えて、彼女が罪に問われた殺人事件の真相、さらに取材しているこの“私”という聞き手がどういう人物なのかという、謎もあります。

葉真中:証言小説は聞き手を特に設定せずに証言者の問わず語りにする形もあれば、聞き手の人物像が明確になっているものもある。さらに、聞き手は誰なんだというところで、ミステリー的な味わいを加味することもできる。今回は、聞き手が小説を書くために取材しているということだけを最初に明かしています。証言を集めていくなかで、ハルという不在の中心の人物像とはまた別に聞き手の輪郭も作られていくというような構造が面白いだろうと思い書き進めたのですが、最後の加筆修正の段階で、聞き手がどうして今になってバブル期の小説を書こうとしたのかという動機そのものが、まさに現在のコロナ以後の状況に結びつくと気が付き、こういう着地になりました。

――じゃあ、あの驚きの結末は、最後の最後に決まったんですか。

葉真中:結末を思いついたのは修正原稿を提出する約束をしていた前々日くらいで、それまではふんわりとした状態だったんです。

――本作が証言小説としてユニークなのは、朝比奈ハルと刑務所で同房だった、宇佐原陽菜という若い女性の証言がひとつおきに出てくる点です。彼女は生前のハルから話を聞いていたので、それを語ってくれる。Aさんが言っていたことについて、ハルはこう言っていた、と検証できるんですよね。

葉真中:何人もいる証言者の言っていることが食い違ったり一致したりしていますよね。それぞれが自分の主観で話しているから、正解はないんです。だから最終的に朝比奈ハルがどういう人間だったのか、解釈は読者に委ねています。もうちょっと複雑にして読者を迷わせるやり方もあると思いましたが、読みやすさを優先しました。解釈は委ねるにしても、大筋に関しては、読んだ人全員にこれがどういう小説なのかすんなり分かってもらえる形にしようと思って。私が書いているのは、いってみればエンタメ小説ですから。

――巧みだなと思ったのが、最初に陽菜が、まず自分の来歴を語る点です。両親がとある宗教団体の信者だったので彼女は戒律に従って制限のある貧しい環境で育ち、恋人とともに家出してようやく自由を手に入れるものの、また新たな苦悩にぶつかる。それを読ませて「自由ってなんだろう」「お金ってなんだろう」という疑問を読者の心に植え付けてから、朝比奈ハルの物語へといざなう。

葉真中:今回はお金の話だというのが大前提でしたから、お金を通じて、自由ってなんだろうとか、もっというと、幸福って何だろうということを問いかけたいと考えました。

 それが是か非かは別として、ものすごく単純な構図として、この資本主義の社会はお金があればあるほど選択肢が増え、選択肢が増えれば増えるほど、自由になったといえる。そういう社会の前提のなかでは、ハルさんは資産を増やして、自由を獲得した人だという見方ができる。そんなハルさんと対比させるために、まったく逆な存在、お金がなくて不自由だった人物として宇佐原陽菜を登場させました。

 今の世の中でなんらかの形で強烈に自由を制限されるといえば、まず宗教があると考えました。陽菜の家族が入っていた『メギドの民』は世間的にはカルトと呼ばれる架空の団体です。実在する団体の特徴をいくつかミックスして設定しました。詳しい人が読めば「この部分はあの宗教だな」「これはあそこだな」などと分かると思います。また、陽菜が刑務所に入らないと朝比奈ハルと出会えないので、彼女がなぜ罪を犯したのかという、その理由を考えていきました。

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――陽菜は、自由を手に入れたと思ったのに、結局刑務所に入ることになってしまったわけですよね。

葉真中:不自由より自由がいいと思っていても、その自由とは一体どういうことで、本当にいいことなのか。当たり前の話ですけれど、本当に好き勝手にやるのが人類共通の善きことなら、戒律のある宗教なんて生まれていないはずです。僕はカルトと呼ばれる集団と関わりたくはないし、そういう集団ができあがる過程を傍から見ていると常軌を逸していると感じるけれど、それでも彼らには彼らの合理性があるのだとも思います。この世のありとあらゆるコミュニティや、さらに枠を大きくすれば国家だって、カルト的な側面があるとも思うんですよね。戦前の日本なんて、傍から見たら巨大なカルト集団にも見えたかもしれない。でも戦前に生きていた人たちには彼らなりの合理性が間違いなくあった。戦前の人たちに常識としてインストールされたものは、今の我々とは違うというだけです。

 また、ある人物に対して、その人がインストールされていた戒律や常識を抜き取ったときに、果たして、その人物は本当に自由を謳歌できるのかという疑問もありました。人は、何でも自由に選んでいいと言われたほうが苦しいこともあるのではないか。選択に失敗したくないし、選ぶ責任を重く感じることもあります。人間というのは、自由を放棄したくなることもある。エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』という有名な本もありますが、“自由の不自由さ”というのは間違いなくあります。近代社会の大きな論点だと思うものを様々に絡めて語るために、宇佐原陽菜という人物を練り上げていきました。

■「怒り」という感情

――彼女にとってハルさんの「ワガママに生きる」という姿勢は刺激的だったのではないでしょうか。そのハルさんが投資に走ったのは、「お金を儲けて贅沢したい」という願望からではなく、「自分で稼ぎたい」という思いと、世の中の不公平に対する怒りに根差していた。

葉真中:「怒り」というのは、時代のキーワードではないかと思っています。今作のハルさんは、自分の中の怒りに気づいた人物として描いています。

 人はネガティブな感情を避けたいと思いがちですが、要所要所で怒ることは大事なのではないか。怒るとは、理不尽さに気づくということでもありますから。世の中には耐えなくていい理不尽さがたくさんある。いつの時代にも「世の中そういうもんなんだよ」「そういう世界に合わせていきなさいよ」と、抑え込もうとする空気があります。けれど誰かが「この理不尽さには耐えなくていいんだ」と気がついて、怒りという感情を発見し、行動することで、世の中は変わっていく。

 ハルさんも自分の人生の理不尽に気づいて「どうしてこんな目に遭うんだ」と怒りの感情を発見する。だから彼女が口にするのは、「自由」というきれいな言葉ではなく、ちょっとトゲのある「ワガママ」という言葉にしたんです。ハルさんの「ワガママに生きる」という姿勢には、世の中を挑発するようなニュアンスも含ませたかった。

――ハルさんの怒りのなかには、男女格差に対するものも含まれていますよね。本作が女性の生き方の話でもあることは意識されていましたか。

葉真中:意識していたんですけれど、私は男性作家なので、自分でそれを言うのは憚られるというか、ことさらには強調しづらいです。特に今回は女性の身体性にも踏み込んでいる部分があるので、身近な女性にも聞いたりしましたが、やはり私は男なので。女性のことを書くのは低くないハードルがある。でもチャレンジしてみたかった。男女格差を改めて問い直すことは時代の要請だと感じています。

――ハルさんは少女時代からひどい目に遭い、努力を認められず、成功を収めたら「北浜の魔女」と呼ばれ……。巻頭に引用されるのが大衆誌の記事で、ハルさんについてちょっと下品に書かれている。それもあえてなんだろうな、とは思いましたが。

葉真中:ハルさんは「魔女」と呼ばれていますが、大衆誌に象徴される男社会においては神秘性を持たせた褒め言葉として使われているし、実際にうみうし様を祀って神頼みをしていると言っていた、という理由もある。と同時に、能力を正しく評価しないで化け物扱いしているという側面もありますね。

 今回は、男社会が作り上げた女性像みたいなものを問い直したい気持ちがありました。自分がいろいろ読んだり書いたりしてきたなかでの反省もあるんです。私のこれまでの作品にも、ファムファタルみたいな存在は登場するんです。結構無邪気に魔性の女を書いていたけれど、それはフィクション上の、強い偏見の混じった女性像でもあるんですよね。

 ある女がある男と出会って恋愛みたいなことになって男の人生が狂う、それ自体はサスペンスとしてあると思う。じゃあどうして女性にそういう役割を背負わせるのかというと、いわゆる悪女ものという類型があるから。ならば新たに悪女ものを書くのなら、みんなが持っている固定観念を更新してみよう、という気持ちがありました。

 こうした問題についてはいろいろ迷うところではあって。「じゃあお前は男のことが本当に分かるのか?」と訊かれたら、正直、他人という意味では男も女もないので答えられない。けれど、自分はシス男性という、今の社会では既得権益のある立場にいるので、現代の女性を主人公として書くにあたってはいろいろ考えなきゃいけないこと、越えなきゃいけないことがあるんだろうなとは自覚しています。

――そうですね。業突く張りの悪女の素顔は……というと、あるステレオタイプな展開を想像してしまいますが、この作品は浮かび上がってくる人物像がいい意味で、そのステレオタイプと違っていて、痛快でした。

葉真中:口幅ったいけれど、毎回小説を書く時に自分の考え方や描写というのを何か一個アップデートしたいと思っているんです。今回は、詐欺を働いて人を殺した、非常に分かりやすい悪女が一人いて、彼女は本当に世間が思うような人間だったのか、という話を二〇二〇年の感覚で書けないかと思っていました。もちろん不十分なところもあると思います。それはまた今後の小説でアップデートしていかなければいけないし、それをしつづけない限り小説を書いてはいけないと思っています。

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――陽菜以外の証言者も、必然性から決めていったとは思いますが、なかには名村敏哉のような、ハルとは直接会ったことがない若い世代も出てきますね。

葉真中:朝比奈ハルの人生を語るために、どういう人物を登場させるかについては、わりとテクニカルに決めていきました。郷里にいた頃を知っている人、大阪に出てきた頃を知っている人、料亭を経営した頃について知っている人、彼女の投資に関わった人……。ハルの人生のこの時代を語るならこういう人だな、と。ただ、どうしてもハルを直接知っている人となると年代のバリエーションがなく、中年よりも上の世代になってしまう。それで、ハルと直接面識はない名村という男性を登場させました。名村みたいな、氷河期に非正規雇用になって世の中を恨んでいる、いま四〇代あたりの人間を私はどうしても書きたくなるんです。なぜなら、私の恨みつらみを言わせたいから(笑)。今回も「あーまたこういう人を書いているよ」と思いながら書きました。

 ただ、どうしてもバブル後のデフレの時代の悲惨さを経験した人を出したかったんですね。ハルに関わった人は資産家か、すでにリタイアした人が多くなるけれど、現在進行形でバブル崩壊の影響を受けている人、ハルに対してまた違う印象を持っている人を出したかったんです。

――ハルがどうやって資産を増やし、なぜ破産したのか。ワリセーといった金融商品のことや詐欺のからくりなども、興味深く読みました。

葉真中:作中ではワリセーですが、実際にはワリコーですね。日本興業銀行が発行していた割引興業債券のことです。当時はそうした債券を大量に購入して貯蓄していたサラリーマンが多かった。あの頃は六パーセントや七パーセントという高利回りの金融商品があったんですよね。

――プラザ合意からのバブルの流れも改めて学べました。

葉真中:僕も門外漢だったので、参考文献で挙げている書籍以外にも、かなりの資料を読みました。当時の新聞も読みましたが、様々な人がいろいろ書いていましたね。どうしてバブルが起きたのかは、この小説に書いてあることがおそらくもっとも標準的な考えだと思います。プラザ合意からの金融緩和という流れです。今作は金融の話が中心ですが、バブルというともちろん土地の話もあるし、いつ始まっていつ終わったのかについてもいろいろな説がある。書きながら実態がつかみづらいと感じました。だから「バブル」なんでしょうけれど。

 九〇年代後半以降に生まれた人に「あの頃はこうだった」と言っても信じないだろうというようなことがたくさんある。隔世の感がありますよね。

■コロナ禍の影響

――ところで、この小説は2019年の夏号から2020年の春号まで連載されたものですが、作中にはコロナ禍への言及も多いですよね。書籍化にあたり加筆されたのでしょうか。

葉真中:この作品は、敗戦期からバブル崩壊までの昭和史を描くというのもテーマのひとつで、敗戦のショックとバブル崩壊のショックを共鳴させて描いていました。連載を終えて修正を始めたころ、コロナは中国のことで、遠い出来事のように感じていて、作品内で触れるつもりもありませんでした。ですが、コロナ禍がどんどん無視できないものになって、ニューノーマルという言葉も出てきて人々の日常もがらりと変わってしまった。今年の初めと夏とでは明らかに人々の感覚や価値観が違っていて、不可逆的な変化が起きている。それが、敗戦やバブル崩壊後のインパクトに通じるものがあるように感じ、コロナ禍のことも入れたほうがいいな、というよりむしろ、入れないわけにはいかないと思うようになっていったんです。それで、加筆していくうちにどんどん作中のコロナ禍の比重が大きくなっていきました。

――バブル崩壊の時もコロナ禍も、最初は「たいしたことにはならないだろう」と楽観的だったのが、気づけば大ごとになっていましたよね。だからこそ、今このタイミングでこの小説を読むと、いろいろ気づかされることがあります。

葉真中:バブルに関する書籍に描かれている当時の人々の反応と、今回のコロナ禍に対する我々の反応がとても似ているように思えました。バブル崩壊の時も、最初は楽観していて、「ひと月ふた月で株価も戻るだろう」という雰囲気があった。安全バイアスとか正常性バイアスといって、大きなトラブルが起きる時、序盤の状況がよく分からないうちは「自分は大丈夫」と思いがちという心理的作用がありますよね。でも、どんどん状況は悪化していくという。崩れるまでにバブルの時は年単位、コロナ禍は数か月という時間経過の違いはあるんですけれど。人は同じような状況で同じような反応を見せるんだと目の当たりにして、それもコロナ禍を積極的に盛り込みたいと思った理由のひとつです。

――その一方、別の面では当時と今では人々の感覚が変わっていると感じます。たとえば、当時は人々の物欲がすごかったけれど、今の若い人はそうでもない気がしています。

葉真中:人の価値観は時代によってインストールされている、という考え方と、単に今はお金がないから消費欲がなくなっているという考え方とがありますよね。今だってお金があるなら消費欲が刺激されるかもしれない。ただ、確かに今の若い世代は謙虚で真面目だなというのは僕も感じます。

――宇佐原陽菜が、「あきらめろ、受け入れろ、我慢しろ」という声に支配されていると感じていますよね。そういう声が実際、今の世の中に漂っている気がします。

葉真中:デフレ経済が20年続くと、そういう刷り込みはあるかもしれません。

 話がそれますが、最近感じるのは、傍若無人に振る舞うユーチューバーなんかを崇め奉る人が多い一方で、自分と同じ土俵にいると思う相手や、下から上がってこようとする人のことを蹴り落とそうとする人が多いということです。生活保護バッシングなんて、まさにそうですよね。ルサンチマンの出方やひがみ根性の出方というのが、弱いところ、叩きやすいところに向かっている。何か大衆の大きな保守性みたいなものがあって、それに異を唱えている人が叩かれやすい感じもしています。この、人の怒りの矛先のアンバランスさというのは、社会が貧しくなったからなのか、我々にインストールされている考え方の問題なのか。ちょっと得体のしれない恐ろしさを感じますね。

――そうしたことも、今後小説に書いていきたいと思いますか。書いてほしいですが。

葉真中:書きたいですね。現代を舞台にして書くのか、『凍てつく太陽』のように過去の時代を舞台にして書くのかは分かりませんが。基本的に、「あ、これ気持ち悪いな」と感じたこと、世間の常識のように言われているけれども疑ってみたいことを小説にしていきたいと思っています。ですが、その問いは、ブーメランのように自分に帰ってくることもあります。そういうテーマに挑みながらも、まずはエンターテインメントとして楽しんでもらえるものを書いていきたいですね。

(インタビュー・構成=瀧井朝世/写真=加藤夏子)


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