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相模原障害者殺傷事件 死刑確定後、植松聖が記者に残した「餃子に大葉を入れたほうがおいしいです」という言葉

 神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」での大量殺傷事件で、死刑判決が確定した植松聖死刑囚。植松死刑囚と19回もの面会を重ね、取材を続けてきた朝日新聞の神宮司実玲記者は、事件の詳細をまとめた『相模原障害者殺傷事件』(朝日新聞取材班・著、朝日文庫)でも文章を寄せている。神宮司記者が事件を振り返る。(写真:朝日新聞社)

 植松死刑囚に対する死刑の判決が2020年3月に確定するまでに、19回面会して取材した。植松死刑囚は私の4歳年上。他愛のない雑談から、同時代を生きる普通の若者に見える瞬間もあった。なぜあれほどの事件を起こしたのか、最後まで不可解な部分が残った。

 事件直後のことだ。植松死刑囚は警察に出頭し、逮捕された。護送する車が新聞社やテレビ局のカメラマンに取り囲まれ、植松死刑囚はカメラに向かって笑みを浮かべた。短い金髪と不敵な笑みが強く印象に残っていた。

 2019年1月。私は初めて、横浜市港南区の横浜拘置支所に面会に行った。係官に案内されて狭い面会室に先に入り、護送中に撮られたあの顔を思い返しながら待った。

「きょうはありがとうございます」

 面会室に入ってきたのは、長く伸びた黒髪を後ろで束ねた青年だった。透明の仕切り板越しに深々と頭を下げ、こちらが席に着くのを見届けてから腰を下ろした。写真のイメージとはまったく異なる礼儀正しさに、あっけにとられた。

――衆院議長に手紙を出したのはなぜか
「いい考えだと思ったからです」

――返事はなかった
「はい。『いいひらめきだな』と思ったんです。ニュースを見る中で、お金が稼げるので株に興味があって、それで世界情勢とかをみていてひらめいたんです」

 植松死刑囚はこんな具合に、質問にすらすらと答える。だが事件に関する説明は飛躍が大きく、現実感に欠け、まるで録音が流れているような、あるいは、台本をそらんじているような感じがした。

 事件を起こした理由を尋ねると、「お金がもらえると思った」と言う。「結びつかないし、飛躍しているのでは」と突っ込むと、「深く考えていなかった」と返してきた。深く考えずにこれほどの事件を起こすことがあり得るだろうか。だが本心を隠しているというよりは、本当に深く考えていないように、私には思えた。

 植松死刑囚は、自分の命さえも、軽く見ているようだった。

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写真)植松聖死刑囚が当時、衆院議長公邸に持参した手紙の文面 (c)朝日新聞社

 裁判をめぐり、弁護側は心神喪失による無罪を訴える構えを見せていた。だが植松死刑囚は面会で「心神喪失なら無罪というのは間違っている」と主張し、死刑の判決を受けても控訴しないとも言った。

 自分の命をどう思っているのだろうか。初公判が2週間後に迫った昨年12月24日の面会。「生きたいという気持ちはあるか」と聞いた。

「もちろん、もちろん」

 こう言った後だった。植松死刑囚は私の指先に目を留めた。

「あ、神宮司さん結婚されたんですね。おめでとうございます。名字何になったんですか?」

 この日はたまたま、初めて結婚指輪をつけて面会にいった。重い話題の最中の思いがけない返答に、私はすぐに言葉を継げなかった。

 植松死刑囚はこんなことも言った。

「劣等感がある」「人の役に立ちたい」

 事件を起こす動機としてはあまりに短絡的で、飛躍が大きい。

 だが他の誰かと自分を比べ、落ち込むことは私もある。「人の役に立たなければ」という空気を、私自身も感じることがある。植松死刑囚は、自分と通じる、同じ時代を生きる人間なのだと思い知らされた。

 植松死刑囚は、事件を起こしたことで、自分が人の役に立つことができたと思ったのだという。いのちをふみにじる行為であること、悲しむ人がいることが、なぜ分からなかったのだろうか。今も理解することができないのだろうか。いのちの尊さを認めてしまうと、自分自身でいられなくなるこわさでもあるのだろうか。

 死刑判決が出て、控訴期限が迫った3月24日の面会。「控訴はしない。弁護士が控訴しても取り下げる」と語った。死刑判決が確定すれば、面会は難しくなる。私は、これが最後の面会になるかもしれないと意識した。

 30分の制限時間も終わりに近づいたころ、植松死刑囚(当時は被告)は急にこう切り出した。

「最後のお願いをさせてもらうと、餃子に大葉を入れて作っていただきたい」

 あまりに場違いな言葉だが、植松死刑囚は真剣だった。

 実際に最後の面会になったのは、判決が確定したあとの4月2日。「最後に伝えたいことは」。制限時間間際に尋ねた。

「餃子に大葉を入れたほうがおいしいです」

 植松死刑囚は変わらぬ口調で繰り返した。感情を高まらせることも、逆に落ち込むこともなく、別れ際には「お元気で」と言った。

 同じ時代を生きる普通の人間に見える瞬間がある一方で、言動はあまりに非現実的でつかみどころがない。何度会っても、心の奥底は見えないという思いが募った。

(朝日新聞横浜総局記者・神宮司実玲)


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