見出し画像

李王朝に嫁いだ日本人皇族女性の激動の生涯を描き切る 作家・深沢潮が到達した境地

 深沢潮さんの『李の花は散っても』が刊行されました。大正・昭和という時代、関東大震災に翻弄されながらも、「国家」と「血」をえて愛を貫いた二人の女性を描く、著者渾身の大河長編で、既に各紙誌等で評判になっています。「週刊朝日」2023年4月28日号に掲載されたインタビューを掲載します。

深沢潮著『李の花は散っても』(朝日新聞出版)
深沢潮著『李の花は散っても』(朝日新聞出版)

李王家の世継ぎと結婚した皇族の生涯をたどる歴史小説

 大磯の別荘で新聞を開いた14歳の梨本宮方子は、自分が朝鮮の李王家の世継ぎ、李垠と婚約したことを知り愕然とする。日鮮融和を名目にした政略結婚だった。皇族出身の方子の生涯を通して、韓国が日本の支配下にあった時代から戦後までを描く歴史小説だ。

「この時代のことは学校では日韓併合という言葉くらいで、私自身そんなに詳しく学ばなかった。方子のような人がいたことをわかってもらいたくて書きました」

 と、深沢潮さんは語る。

 方子に興味を持ったのは韓国旅行で王宮を訪れたときだった。ちょうど編集者から評伝の執筆を提案され、人選を考えていたところだった。調べるうちに方子の福祉活動を手伝っていた韓国の女性に出会い、話を聞くことができた。

 縁はそれだけではなかった。深沢さんは日本国籍だが、父方は李王家の傍系の子孫だという。

「親近感が湧きましたし、海を越えて日本に来た李垠とその妹がやはり韓国から日本に来た自分の父親に重なった。もう方子を書くしかないと思いました」

 特に参考になったのが日記と自伝だ。日記には実家を訪ねてきた李垠に初めて近づいたら体にビリビリと電流が走ったという記述があり、10代の女の子が運命を受け入れて婚約者に思いを寄せていったことがわかる。

深沢潮さん(撮影/朝日新聞出版写真映像部・戸嶋日菜乃)

 方子は1920年、18歳で李垠と結婚する。朝鮮半島では独立運動が起きていた。夫婦は互いが背負う国の事情に翻弄され、幼い息子を亡くす不幸にも見舞われる。

「家の中に宮内省の役人やお付きの人が常にいるので、表情ひとつ、言葉ひとつに気を遣わないといけなかった。自伝には喋らない癖がついたと書いてありました。二人が自由に話せたのは寝室ぐらいだったと思います」

 二人が住んだ邸宅は現在も千代田区紀尾井町にあり、結婚披露宴や会食に使われている。

 深沢さんは庶民の生活や朝鮮半島の状況も書こうと、マサという架空の女性を登場させた。関東大震災、終戦後の韓国などがマサの視点からも描かれている。

「ウクライナで戦争が続いていますが、侵略して植民地にすることがどれだけ人を傷つけ不幸な現実を生み出すのか、過去を知ることであぶり出されるのではないかと思いながら書きました」

 終戦後、李王家は韓国を日本に渡したとして厳しい目を向けられる。

「でも、その生き方を選ばざるをえない人にも苦しさがある。他の国に占領されたら自分は反発できるのか。命を顧みずに反発した人はヒーローになりますけど、ほとんどの人はそこまで強くない」

 独立運動に身を投じる男性は韓国の俳優チャン・ヒョクを思い浮かべて書いた。

 韓国の宮殿や日本人妻が暮らす慶州ナザレ園なども取材し、力を出し切ったと話す。原稿用紙約800枚分、構想から7年をかけた労作だ。

(インタビュー/仲宇佐ゆり)