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小説にはりめぐらされた、ドイツと日本の歴史、名作の読み直しを鮮やかに読み解く/多和田葉子さん著『白鶴亮翅』 早稲田大学文学学術院准教授・岩川ありささんによる書評を公開!

 世界文学を切り開く作家・多和田葉子さんによる、初めての朝日新聞連載小説白鶴亮翅はっかくりょうしが単行本として刊行されました。ベルリンで一人暮らしをする美砂は、隣人Mさんに誘われて太極拳学校へ。その土地に住む人びとと歴史が交錯する傑作を、「隣人小説そして魔女小説」として読み込んだ書評を、物語のかすかな声をとらえる気鋭の研究者が「一冊の本」に寄稿してくださいました。これまでも多和田葉子さんの作品を深く読み解いている、早稲田大学文学学術院准教授の岩川ありささんが本作品をどう読まれたのか。特別に公開いたします。

多和田葉子著『白鶴亮翅』(朝日新聞出版)
多和田葉子著『白鶴亮翅』(朝日新聞出版)

隣人小説そして魔女小説

 多和田葉子の最新作『白鶴亮翅』は、「朝日新聞」(2022年年2月1日から8月14日)に連載された、初の新聞小説である。私はこの小説を隣人小説として読んだ。

 ベルリンのある地区に引っ越してきたばかりの翻訳者・美砂は、コーヒーを飲もうとするが、煎れるための道具がどのダンボール箱にあるのかわからない。気分転換に散歩でもしようと出た裏庭でめぐりあったのが隣に住むMさんだ。勘が鋭く、優しいMさんとの、コーヒーをめぐる不思議な意思疎通がきっかけで、その日、美砂はMさんの家でコーヒーを飲み、話し込むことになる。近所の喫茶店で二度目に出会ったとき、Mさんは自分の子どもの頃の話をする。Mさんは、現在では、ポーランド領にも、ロシア領にも、リトアニア領にもなっている東プロイセンで生まれ、終戦後、ドイツに引っ越してきたという。戦後を生き抜いたMさんの物語に私は引き込まれた。この小説では、その街に住む隣人の誰しもに、それまでの人生があり、それぞれが歴史を背負っているということが描かれている。考えてみると、多和田の小説にはいつも、歴史という縦の糸と、同時代という横の糸が張りめぐらされている。

 新聞連載が終わったのちに行われたドイツ文学者の松永美穂との対談でも、多和田は、『白鶴亮翅』では「歴史」が重要な主題だと話している。1991年に群像新人文学賞を受賞した「かかとを失くして」以来、多和田は躓く登場人物たちを描いてきた。『白鶴亮翅』の語り手である美砂も、やはり躓きやすく、転びやすい。多和田は、松永との対談のなかで、「一歩一歩自分の立ち位置を確かめていく」(「朝日新聞」22年10月3日朝刊)ことが大事だと指摘している。誰がどの位置からどう歴史を語るのか? 過ちを犯し、躓いた過去を修正してしまってよいのか? 『白鶴亮翅』の美砂とMさんとのやりとりはそうした問いを思い出させてくれる。一歩一歩を踏みしめるように、歴史をひとつひとつ調べ、記憶してゆくことこそ、異なる背景を持った隣人と一緒に暮らしてゆくためには必要なことだ。

 それならば、隣人とは、同じ街に住みながらも、異なったルーツを持ち、異なったルートをたどって、いま、ここに共にある人のことだ。食べるものも、着るものも、話す言葉もみんな違っている。けれども、違っているからこそ尊重しあえる。世界各地で移民排斥や差別をめぐる過酷な状況はいまも続いている。だからこそ、他者が生きてきた経験や歴史を尊重することが必要になる。声高にではないが『白鶴亮翅』にはそうした生き方が書かれている。

 また、『白鶴亮翅』は女性たちが生きのびるための物語である。本書の題名になっている「白鶴亮翅」とは、太極拳の技のひとつ。作中では、「鶴が右の翼を斜め後ろに広げるように動かして、後ろから襲ってくる敵をはねかえす」動作として描写されている。『白鶴亮翅』では、チェン先生という小柄な女性が営んでいる太極拳学校が様々なバックグラウンドを持った人びとを結びつける大きな役割を担っている。読み進めるうちに、それぞれの人物がどのように生きてきたのかが伝わってくる。

 ある出来事がきっかけで魔女扱いされるようになったお菓子屋のベッカーさん、フィリピン出身で英語に堪能なロザリンデの家のバスタブにはある秘密があり、歯科医のオリオンさんと美砂は一緒にそれに対処しようとする。さらに、「若い人に資金を提供する仕事」をしているロシア人のアリョーナの挿話にははっとした。先ほど引用した「白鶴亮翅」の動作で、アリョーナはまるで魔女の太極拳のような技をふるう。美砂は、クライストの短篇小説「ロカルノの女乞食」を翻訳している。また、『楢山節考』の映画を観る場面もある。どちらにも、厄介払いされそうになった老齢の女性たちが登場する。この社会からふるい落とされそうになった彼女たちが、それでも生きられる物語が提示され、『白鶴亮翅』の登場人物たちの生き方と重なってゆく。そうすると、女性たちを魔女化してきた社会のほうが問われているのかもしれないと私は思うようになる。あまたの困難を、「白鶴亮翅」のポーズではねかえし、元気に生きてゆく女性たちは、年齢を重ねて、その生をまっとうするだろう。そこに希望と明るさを感じた。

 けれども、この小説は、物語がどれだけ危険なのかも示している。物語には虚構も入るし、語り手が門を閉ざすこともある。一歩一歩、慎重に確かめながら、歴史をたどり、いまの自分を知る。ゆっくりと進むよりほかないということをこの小説は教えてくれる。もちろん、多和田葉子の言葉への感性や遊びも健在。ベルリンの様子が伝わってくるのも多和田文学のファンにはうれしい。生き生きとした登場人物に触れてほしい一冊だ。


みんなにも読んでほしいですか?

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