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「こんな女の人がいたのか!」幕末の女商人・大浦慶の生涯を描いた、朝井まかて『グッドバイ』/文芸評論家・斎藤美奈子さんの文庫解説を特別公開!

 この度、朝井まかてさんの傑作評伝小説『グッドバイ』が文庫化されました。激動の幕末から明治へと駈け抜けた長崎の女商人・大浦慶の生涯をドラマチックに描き、第11回親鸞賞も受賞した大河小説です。文芸評論家の斎藤美奈子さんが巻末に執筆された解説を掲載します。

朝井まかて著『グッドバイ』(朝日文庫)

「こんな女の人がいたのか!」と思わせる、胸のすくような一冊――幕末の女商人・大浦慶伝

 図ったわけではないと思いますが、2010年代ころから、歴史に埋もれた有名無名の女性たちの業績を発掘し、再評価する動きが世界中で起きています。
 日本でも翻訳書が出ているレイチェル・イグノトフスキー『世界を変えた50人の女性科学者たち』(野中モモ訳)ほか「50人の女性」シリーズ(創元社)や、ケイト・バンクハースト『すてきで偉大な女性たちが世界を変えた』(田元明日菜訳)ほか「すてきで偉大な女性」シリーズ(化学同人)は、その一例といえるでしょう。
 いずれもイラストを多用した子ども向けのシリーズですが、ページを開くたびに「こんな女の人がいたのか!」という驚きを私たちは味わいます。ヒストリー(History)ならぬハストリー(Herstory)の発見といえましょう。
 日本でもやはり同じころから、実力派の女性作家による歴史上の女性の評伝小説が続々と出版され、注目を集めるようになりました。
 朝井まかてはその中でも突出した作家といえます。2008年のデビュー以来、歴史小説家として男女を問わず多様な人物を主役にした作品を彼女は発表してきました。
 ほんの一例をあげれば、直木賞受賞作『恋歌』(2013年)は樋口一葉の師だった歌人の中島歌子を、『眩』(2016年)は葛飾北斎の娘で「江戸のレンブラント」の異名をとる葛飾応為ことお栄を、『輪舞曲』(2020年)は松井須磨子に憧れて舞台を目指した大正の名女優・伊澤蘭奢を、それぞれ描いた作品でした。
 歴史のド真ん中から少し脇にそれたところにいる人物に光を当てる。それが朝井まかて流評伝小説の共通点かもしれません。

 さて、本書『グッドバイ』は、そんな数々の朝井流評伝小説の中でも、とりわけ「こんな女の人がいたのか!」と思わせる、胸のすくような一冊です。
 主人公は日本ではじめて茶の貿易を手がけた女貿易商・大浦慶(希以。1828~1884)。女性ビジネスパーソンの草分け中の草分け的な存在です。
 物語は嘉永六(1853)年6月、浦賀沖にペリー提督率いるアメリカの黒船が現れたのと同じ年の同じ月からスタートします。もっとも希以がそのとき立っていたのは長崎の波止場。待っていたのは、オランダの商船でした。菜種油を商う大浦屋の跡目を継いで7年。26歳にして、すでに堂々たる女主人ぶりです。
 本書の魅力には、大きく三つの側面があるように思います。以下、物語に沿って、この小説の底に流れる思想をざっと振り返っておきましょう。
 本書の魅力のひとつめは、やはり主人公の卓越した人物像です。
 その傑物ぶりは序盤で早くも明らかになります。大浦希以は文政11(1828)年、長崎の生まれ。4歳で母を亡くし、店を支えてきた祖父も彼女が12歳のときに没し、4年後、婿養子だった父は火事で焼け落ちた店を捨てて出奔してしまった。17歳で迎えた婿も〈こげん性根のぐずついた男は、お父しゃま一人で充分ばい。養いきれん〉とばかり、離縁してしまいます。商人としての薫陶を祖父から受けて育った希以が老舗・大浦屋の跡目を継いだのは19歳のときでした。
 家格がすべての武家とちがい、当主の才覚が商売を左右する商家では、誰が跡目を継ぐかは大問題です。娘が家督を継ぐのはレアなケースではありますが、徳川期の家督相続は意外と融通が利いた。幼い頃から「惣領娘」として育てられた希以は、図抜けた才覚を持ち、次期当主の自覚も持っていたのだと思われます。
 とはいえ当主となった希以の周囲は石頭の男ばかり。希以が最初に思いついたのはオランダからの油の輸入でしたが、店の実権を握る番頭の弥右衛門には〈お控えくださりませ〉と釘を刺され、油商仲間には〈おなごの分際で一人前の主面しおって。生意気な〉〈おなごの浅知恵は聴くに堪えん〉とあしらわれる。
 初手からつまずいた彼女の脳裡に浮かんだのは、生前の祖父の言葉でした。
〈昔は自在に交易できたばい。才覚さえあれば、異人とでも好いたように渡り合えた〉。そして彼女の夢は固まります。〈私も交易に乗り出したか。ご先祖のように、海の外の物を扱う商いがしてみたか〉。ここからすべてははじまった。そして彼女の志は一点の曇りもなく、晩年まで維持されることになります。

 本書の二番目の魅力は、世界を股にかけた外国人貿易商らとの交友です。
 ヨーロッパとの交易に際し、希以は3人の外国人と出会います。茶の貿易に乗り出すキッカケをつくったオランダ人のテキストル、最初の商談相手となったイギリス人のヲルト(ウィリアム・オルト)、そして成功した後の希以と交友を結ぶ、イギリス人貿易商のガラバア(トーマス・グラバー)です。
 余談ながら、幕末を彩った人物の来歴を見て感じるのは、彼らの驚くべき若さです。ヨーロッパから遠路はるばる来た貿易商も例外ではありません。古写真などを見ると、彼らは髭などを生やし、スーツ姿ですましこんでおりますが、それは後々の姿であって、もともとは冒険心と野心に満ちた若者ないしは小僧だった。
 野心と冒険心なら、しかし希以も負けません。ひょんなことからイギリスには茶を飲む習慣があること、また茶葉が不足していることを知った希以は、裏ルートをたどってオランダ船に近づき、たまたま出会ったテキストルに嬉野茶のサンプルを託します。〈これを、茶葉が欲しかと言う人に売り込んでもらえませんか〉。
 このとき、テキストルはまだ15歳。中学生くらいの少年水夫にすぎません。が、彼は希以の望みを聞き入れ、知り合いの商人に渡してみるといってくれた。
 希以の無鉄砲な頼みごとは、3年後に実を結びます。その日、希以を訪ねてきたのはテキストルではなく、イギリス人貿易商のヲルトでした。希以は念願の茶の受注に漕ぎ着けますが、ヲルトが出した条件は千斤の茶を7日で集めろという無理難題だった(一斤は600グラム。千斤は600キロに相当します)。
 ヲルトすなわちウィリアム・オルト(1840~1908)の邸宅は現在、長崎きっての観光名所・グラバー園の中に、「旧オルト住宅」として残されています。オルトはのちに希以と組んだ製茶貿易で巨万の富を築き、若くして外国人居留地を仕切るまでになりますが、希以と出会った時点では16歳。高校生くらいの少年です、希以との最初の取り引きに際しては内心ビビったにちがいありません。
 3人目のキーパーソンとして登場するガラバアは、もちろんあのグラバー邸のグラバー(1838~1911)です。茶や絹の買い取りもさることながら、この人はむしろ薩摩藩や長州藩などの雄藩に西洋式の武器や弾薬、軍艦などを売って富を得た武器商人として有名です。生麦事件(1862年)に端を発する薩英戦争の際には五代友厚とともに和平調停に努め、犬猿の仲だった薩摩藩と長州藩が手を結ぶ薩長同盟にも関与したといいますから、むしろ政商と呼ぶのが妥当でしょう。
 ですが、そうした正史は後背に退けて、本書はあくまで希以の視点から、彼ら外国人貿易商との友好的な関係を描きだします。希以から見ると彼らは10歳ほど歳下です。物語の後半に入るとヲルトやガラバアの別の面も知るとはいえ、彼女にとっては外国人商人も同志に近い存在に思えたのかもしれない。とりわけ特別な恩義のあるテキストルへの眼差しは「お姉さん」に近いものがあり、微笑まずにはいられません。

 本書の三番目の魅力は、幕末の志士たちとの出会いと別れです。
 幕末の長崎は西洋近代技術の窓口であり、海軍伝習所、長崎溶鉄所、医学伝習所、英語伝習所、活版印刷所ほか、最先端の技術を学ぶ施設が揃っていました。そこを目指して集まってきたのも、冒険心と野心にあふれた若者たちです。
 佐賀藩士・大隈八太郎(大隈重信。1838~1922)と知り合った希以は、土佐藩を出奔してきた上杉宗次郞(近藤長次郎。1838~1866)や、才谷梅太郎(坂本龍馬。1835~1867)らとも懇意になり、やがて亀山社中(龍馬らが起こした日本初の商社)に集う若者たちの面倒を何かと見るようになります。茶葉を加工する大浦屋のファクトリ(製茶場)の二階は社中のたまり場。彼らもまた10歳ほど下の若者たちですから、希以には弟みたいな存在だったかもしれません。
 したがって、彼らの姿も、維新の志士というより、かつての希以と同様、海外への進出を夢見る若者として描かれています。
 とりわけ饅頭屋の倅から士族となり、土佐を脱藩してきた上杉宗次郞への思いは格別だったように見えます。〈「空も海もつながっとるけんね。いつか私も船を持って、世界を巡りたか」/「そんなら、わしが操船して進ぜます」〉/「ああ、よかね。皆を乗せて、大海原に漕ぎ出そう」〉。そんな会話を交わした宗次郞。
 それゆえにこそ、同じ夢を語り合った宗次郞の死が彼女には納得できなかった。なぜ前途のある若者が切腹しなければならないのか。〈逃げたらよかったとよ。逃げて生き延びて、海を渡ったらよかった。/一緒に大海原に漕ぎ出そうと、約束したとに〉。この一文に、希以(慶)の思想は凝縮されています。
 ですが、やがて彼女は気づきます。〈戦をしたくて堪らぬ者がいるのだ。武家はそれが家業であり、ガラバアやヲルトは軍艦や武器を手配りするのが生業だ。茶葉や生糸とは比べものにならぬ、莫大なビジネスが動いている〉。〈戦は儲かる〉のだと。

 こうしてみると、『グッドバイ』は大浦慶(希以)の一代記であると同時に、江戸ではなく長崎、士族ではなく商人の目から見た「もうひとつの幕末史」であることに気がつきます。黒船来航後の幕府にせよ、勤王の志士にせよ、あるいは明治政府にしろ、正史はおおむね政治史で、切った張ったの争いの歴史です。
 しかし、大浦慶はそのようには見ていない。江戸や京都の政情不安、尊王攘夷派の台頭、薩英戦争などの騒乱も彼女の耳には届いていますが、それはどこか遠い話で、大浦屋の手代から番頭になった友助のほうが政治には通じているほどです。
 長崎三女傑(あとの2人はシーボルトの娘で日本初の産科医になった楠本イネ、ホテル業などでロシア海軍兵に慕われた道永栄)のひとりに数えられる大浦慶には、さまざまな伝説が残っています。テキストルが乗ってきたオランダ船で茶箱に隠れて上海に密航したとか、勤王の志士を資金面から裏で支えて倒幕に一役買った女志士だとか、です。しかし『グッドバイ』は、この種の武勇伝を退けています。
 宗次郞に〈誰の手引きで密航したが〉と問われた際には〈ご冗談を〉と一蹴していますし、後年「女志士」の噂について尋ねられた際にも〈私には政についての志なんぞ、なかったですばい〉と一笑に付しています。
 希以の頭に浮かぶのは、もっとざっくりした思いだった。〈御公儀が国を開きなさったというとに、今さら異人を追い払えとはどがん料簡ばしとると。頭が遅れてるとしか思えん〉とか。〈戦を経ずして新しか世にならんものか〉とか。
 ここには武士中心の歴史観を相対化する視点があります。
 明治に入ってからの慶の人生は順風満帆とはいえず、煙草葉の商談をめぐる詐欺事件に巻きこまれて多額の借金を背負うなど、幾多の苦難に見舞われます。長崎港が優位を誇っていた茶の貿易も、静岡茶を商う横浜港に奪われて衰退していきます。
 しかしながら大浦慶が蒔いた種は、近代日本の礎となりました。
 静岡に主座を明け渡したとはいえ、茶葉は生糸と並ぶ日本の主要な輸出産業に成長しました。また、嬉野茶(佐賀県)、八女茶(福岡県)、知覧茶(鹿児島県)など、九州はいまでも日本有数の茶の産地です。もしあの日、ヲルトの求めに応じて希以が千斤の茶を集めるために奔走しなかったら、いやその3年前、若きテキストルに彼女が茶のサンプルを託さなかったら、こうはならなかったでしょう。
『グッドバイ』はしかし、日本の茶史に残るそんな大浦慶を「男まさりの女傑」ではなく、どこまでも夢をまっすぐに追いかける等身大の人物として描いています。「こんな女の人がいたのか!」という驚きが、読み終わるころには「よく知る友だちの物語」みたいに思えてくる。小説の力というべきでしょう。