【試し読み】10代向け新感覚小説「ナゾノベル」から、思考実験をテーマにした『悪魔の思考ゲーム1 入れ替わったお母さん』1章を特別公開!
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プラナリア、という生き物を知ってる?
まっぷたつにすると、上半身からは下半身が、下半身からは上半身が生えてきて、そっくりの個体が二つできあがるんだ。まるで、分裂したみたいにね。
おもしろいことに、下半身から生えてきた上半身にある脳にも、元の記憶が引き継がれるんだってさ。
もしも君がプラナリアで、何かのひょうしに体がちぎれてしまったとしよう。ちぎれた部分は再生し、やがてもう一人の君になる。体のつくりも、記憶さえも同じだったら、まわりの人は君ともう一人の君を区別できないかもね。
「そんなこと、ありっこない」って?
実は、強い再生能力を持つプラナリアは、人間の体をつくりだす「再生医療」という研究分野で大きな注目を集めてるんだ。
君が知らないうちに、どこかでもう一人の君がつくられていても、おかしくはないかもしれないね――。
一章 テセウスの船
限られた時間
「―お母さんは、もう治らないんだって」
そう言ったお父さんの目の周りは、赤くはれてる。きっと、病院でお医者さんから話をきいた時にたくさん泣いたんだろう。
嘘だよね、と言いかけて私― 在間ミノリは言葉をのみこんだ。嘘じゃないことは、お父さんのとなりでうなだれてるお母さんの表情を見ればわかる。こんな時、いつもなら「だいじょうぶよ」って顔してるはずなのに。今のお母さんは、元気なフリする余裕もないみたい。
私のお母さん― 在間綾子《あやこ》は、もう何年も前から難しい病気と闘ってる。
体中の臓器が悪くなって、やがて脳まで悪くなってしまう病気。
こないだの検査で、脳まで病気が達してることがわかったそうだ。これ以上は手術をしても薬をのんでも、意味がないんだって。
「お母さんは、あと……」言葉の|途中で、お父さんはお母さんに目をやった。
「伝えるべきだと思う」
力ない声で、お母さんは言った。
苦しそうな表情を浮かべながら、お父さんは私に告げた。
「あと少し……もって数か月だと言われたよ」
「そんな……」
数か月って、どのぐらいかな。三か月? 半年? きっと一年よりは短いんだろう。来年にはもう、お母さんは―。
ポロポロ、と、いつの間にか涙が出てた。
「ごめんね……」
お母さんは、私に向かって頭を下げた。
「なんでお母さんが謝るの……」
私はゴシゴシと涙をぬぐい、無理やり笑顔を作った。
私が悲しい顔をしたら、お母さんも悲しむ。
これ以上、お母さんを悲しませたくない。
誰より悲しいのは、お母さんのはずなんだから。
翌朝。
登校直後、私は同じクラスのナミちゃんに謝った。
「ミノリちゃん、合宿出られなくなったの……!?」
「ごめんね、ナミちゃん」
小学生の頃からスイミングをやってたナミちゃんは今、水泳部の副部長をしている。リレー種目のメンバーが足りなくて、ちょっと前に「少しの間だけ力を貸して!」と頼まれたの。
私は部には入ってないけど、よくこういう頼みごとをされる。ソフトボール部や陸上部に頼まれ、試合に出たこともある。
私は、勉強はビミョーなところだけど、小さい頃から合気道やダンスを習ってたから「体幹」が強いんだって。体幹っていうのは、体の軸を支える筋肉のことらしいけど。だからか、たいていのスポーツはコツをつかめばすぐにうまくなる。
水泳も、悪くないタイムが出そうだったんだけど―。
「そっか……」
ナミちゃんはうつむいた。人数の少ない水泳部を、ナミちゃんはがんばって支えてきた。
大会で良い結果を出してもっと人を集めたい、そんな考えもあったと思う。
だけど―。
(少しでも長い間、お母さんと一緒に過ごしたいから)
できることは、全部したい。残された時間は、多くないかもしれないから。
「全然、気にしないで!」
顔をあげたナミちゃんは、明るい声で言った。
「もともと、こっちが無理に頼んだんだし。ミノリちゃんの事情は、わかってるから!」
「……ありがとう」
申し訳ない気持ちを抱えつつ、私はナミちゃんの気遣いに感謝した。
そうして迎えた、連休初日の朝。
はね起きた私は、シーツと枕のカバーを勢いよくはがし、洗濯機に入れた。
リビングに向かった私はザザザッと掃除機をかけ、朝ごはんの支度にとりかかった。パンをトースターに入れ、電気ポットのスイッチをオンにすると、インスタントコーヒーの粉をマグカップに―。
手がすべり、せっかく掃除した床が粉だらけになってしまった。
(気にしない、気にしない……!)
慣れないことをしたんだから、失敗はしょうがない。
掃除機で粉をザザザッと吸い取ると、私はお湯の入った電気ポットを手にした。
「とと……」
予想以上にたくさん入ってて、重い。お湯が少しこぼれ、手にかかってしまった。
「熱……!」
「ミノリ……!」
騒がしい音をききつけたのか、お母さんがいつの間にか来ていた。
「すぐ冷やさなきゃ」
「大丈夫だよ、このぐらい」
「ダメよ」
お母さんは私の手をつかみ、流水に当てた。
「どうしたの、急に?」
キッチンを見回しながら、お母さんは尋ねた。
「お洗濯やお料理をしてくれるのはうれしいけど、一人でするなんて」
私がお母さんのお手伝いをすれば、お母さんが自由に過ごせる時間も増えるはず。そしたら、少しは長く一緒にいられるかなって思ったから。
(でも、そんなの―)
失敗した後では、気まずくて言い出せない。
私が何も言えずにいると、お母さんは困ったような笑みを浮かべながら言った。
「……ありがとね」
「え?」
「私のために、やってくれたのよね」
(バレてた……)
お母さんはどういうわけか、私の考えをすぐに見抜いてしまう。
「気持ちはうれしいけど、熱いものをさわる時は気をつけなきゃ。跡が残ったら大変でしょ?」
「うん……」
私はそっと、お母さんの腕に目をやった。
そこには長さ五センチぐらいの、赤黒いやけどの跡がある。
私が今より幼かった頃。私のせいで、ついてしまった跡。
オーブンからただようクッキーのにおいに誘われ、幼かった私は熱々のプレートに手を伸ばしてしまった。お母さんがとっさに手をつかんでくれたから、私はやけどせずにすんだ。
けれどその時、お母さんの腕がプレートに触れてしまった。ジュッと嫌な音がして、お母さんは顔をしかめた。
「お母さん、大丈夫……!?」
怖さと申し訳なさでべそをかいてた私に、お母さんは「あなたこそ、大丈夫だった?」
と尋ねた。
とっても熱かったはずなのに、自分のことはお構いなしに私のことを心配してくれたんだ。
そんな記憶もあったから。私は今まであまりキッチンには近づかなかった。
でもこれからは、少しずつでも慣れてかなきゃ。
「今度からは……一緒にやろっか?」
お母さんの提案に、私は勢いよく「うん!」と答えた。
連休中、私はお母さんとずっと一緒に過ごした。
一緒に洗い物もしたし、近くを散歩もした。クッキーを作ったりもした(オーブンには、もちろん近づかなかった)。今までお母さんは入院してることが多かったから、一緒にいられる時間はとっても楽しかった。
だけど、連休最終日の夕方。
お風呂掃除を終えた私は、「次何すればいい?」とキッチンに声をかけた。
それなのに、誰の返事もない。お母さんの姿も見えない。
(どこに行ったんだろう……?)
その時、カウンターの向こうからうめくような声がきこえた。
キッチンをのぞくと、お母さんがしゃがみこんでる。
「大丈夫!?」
「……大丈夫よ。ちょっとふらついただけ」
お母さんは、カウンターに手をかけて立ち上がろうとした。
だけど力が入らないみたいで、手が小刻みに震えてる。
自分の体を持ち上げることもできないみたい。
「大丈夫なわけないでしょ!」
お母さんの肩を支え、私はお母さんをソファに寝かせた。
私の声がきこえたのか、お父さんが駆けつけてきた。
「お父さん、お母さんのようすが……!」
横たわってるお母さんをお父さんは悲しげな目で見つめ、ため息をついた。
「早すぎる……」
「え……?」
お父さんはお母さんを寝室に運ぶと、リビングで私と向かい合った。
「お母さんの病気は、脳にまで達してると言ったのおぼえてるか?」
「うん」
「お母さんは病気が進むほど、体を動かせなくなるんだ。いずれは、話すこともできなくなるそうだ……」
「そんな……」
「最近は調子が良さそうだったから、もう少し元気に過ごせると思っていたけど……」
ショックで、考えがまとまらない。
お母さんがいなくなってしまう前に、一緒にやりたいことがたくさんあった。行きたいところも、食べてほしい物もたくさんあったのに。
あと少しで、話すことさえできなくなってしまうなんて。
それからしばらく。私は深い海の中で過ごしてるような気持ちだった。
いつも、胸がくるしい。周りには、光も見えない。
六月の湿っぽい空気みたいに、私の心もシトシトしてた。
そんなある日。
帰宅したお父さんは、いつもとようすが違ってた。
「なんとかなるかもしれない……」
興奮を隠しきれないようすで、お父さんは言った。
「なんとかって……?」
「お母さんが、助かるかもしれないんだ!」
私は思わず、息をのんだ。
お父さんはどちらかというと真面目なタイプで、こういう時にふざける人じゃない。
とはいえ、すぐには信じられなかった。
「……大丈夫なの?」
横になってたお母さんは、目だけお父さんのほうに向けて尋ねた。
「悪い人に、だまされたりしてない?」
「スクナ研究所って知ってるだろ? 昔からある『スグナーオ』って薬を作った研究所だよ」
その薬なら、私も知ってる。テレビで何度もCMを見たから。
『♪お腹が痛くなったなら~ すぐに治~る スグナーオ』
やけに耳に残るCMソングだったから、よくおぼえてる。
「その研究所が、新しい治療法のモニターを探してるそうだ。だから、お金はかからないんだ」
「そう……。それならだまされてるってことはなさそうね」
私もそう思う。だますなら、お金を取るはずだもん。
「問題なければさっそく応募しよう」お父さんは、お母さんの手を握りながら言った。
「元気になって、もう一度皆で遊びに行こう」
「私、がんばるね」
私たちに向かって、お母さんは笑顔を見せた。
それからすぐ、お母さんは入院した。
バイキンを持ちこむといけないから、面会には行けなかった。スクナ研究所のウェブサイトを眺めつつ、私は無事を祈るしかなかった。
一か月、二か月……。
梅雨が明けて、間もなく夏休みが始まる頃。
学校から帰って来た私を、なつかしい声が出迎えた。
「おかえり」
キッチンから顔を出したのは、お母さんだった。
しゃんと背を伸ばして立ってて、重そうなお鍋をしっかりと両手で抱えている。顔色も、以前とはくらべものにならないほど良い。
「お母さん……!」
無我夢中でお母さんに駆け寄ると、お母さんはお鍋を置いて、私を抱きとめてくれた。
お母さんの腕から、たしかな力を感じる。前みたいな、弱々しい雰囲気はどこにもない。
「もう大丈夫なの?」
「すっかり元気になったよ。これからはずっと一緒だからね」
信じられない。
少し前は、立てないぐらいだったのに。
でも、元気になったお母さんが目の前にいるんだから、信じるしかない。
お母さんは、治ったんだ。
それから私たちは、行きたくても行けなかったところに行って、やりたくてもできなかったことをした。 ハイキング、釣り、ショッピングにプール!
焼き肉の食べ放題にも、初めて行った。
「このハラミ、おいしいね~!」
お母さんはお肉を次々と網にのせ、焼けた順にさらっていく。
「そんなに急がなくても、いくらでも頼めるんだよ?」
「久しぶりだから、我慢できなくって」
お母さんの豪快な食べっぷりは、入院前とはまったく違う。あの頃は、水みたいなおかゆを食べるのさえつらそうだったのに。
帰り道。
お腹がはちきれそうなほど食べた私たちは、腹ごなしに散歩し、公園に立ち寄った。
ブランコに腰かけ、自動販売機で買った飲み物を飲む。
「よいしょっと」
空缶を手にゴミ箱に向かうお母さんに、お父さんが声をかけた。
「危ないぞ」
お母さんの足元を見ると、水たまりがあった。
「大丈夫よ」
水たまりを跳び越え、お母さんは向こう側に着地した。
それを見た時―。
(あれ……?)
私の心の中で、何かが引っかかった。
若い頃にひざを痛めてから、お母さんは足に気をつかって生活してる。お母さんが階段をかけおりたり、ジャンプしたりするところを私はほとんど見たことがない。
それなのに―今のお母さんは、少しも足が痛そうに見えない。
(ひざも、一緒に治したのかな?)
でも、お母さんの病気はひざとは関係なかったはず。
関係ないところまで、治すなんてことあるのかな?
謎な少年
その後も、お母さんは活発に動き続けた。パートの合間にジムに行ったり、友達とスポーツしたり。今まで動けなかった分、体を動かしたくなる気持ちはわかるけど。
(足は大丈夫なのかな……?)
やっぱり、気になってしまう。
そんなある日のこと。 合気道の稽古を終え帰宅中の私は、公園を通り抜けようとした。
そのほうが近道だからだ。
大きな遊具の脇を通り抜けた時、誰かが突然私の名を呼んだ。
「在間ミノリ……そうだろ?」
(え……?)
周囲を見回したけど、人の姿は見当たらない。
「こっちだ」
顔を上げると、トンネルの中から見覚えのない男の子がこちらを見つめていた。
夏場に似合わず、白衣のような服を着ている。サイズが合ってないのか、袖はまくってるけど。肌はだは少しも日に焼けてなくて真っ白。髪の毛も色素が薄い。目は灰色に近い色だ。
クラスにいるやんちゃでがさつな男の子たちとは、雰囲気が違う。
見知らぬ人から突然名前を呼ばれ、私は少しドキドキしながら尋ねた。
「……誰?」
「君にききたいことがある」
私の質問には答えず、その男の子は質問を返してきた。
「君の家族に、重病人がいたはずだ。その人は『新治療法』を受け、最近元気になっ
た。どうだ?」
「……何でそんなこと知ってるの?」
胸のドキドキが、さらに速くなった。お母さんが新しい治療法を受けたことは、誰にも教えてない。友達や先生には「入院した」としか言ってないし、お父さんも周りに詳しい話はしてないはず。
この人は、どうしてそんなこと知ってるんだろう。
(怪しい……)
私が背中を向け立ち去ろうとした時、彼は言った。
「君の家族は……別人に入れ替わってる」
足が、思わず止まった。
(入れ替わってる……お母さんが?)
「そんな訳ないじゃない!」
なんて馬鹿なことを言うんだろう。そんなこと、あるはずないじゃない!
「そんなことでも起こらなければ、病気は治らなかったはずだ。君も、本当はわかってるんじゃないか?」
頭が混乱し、喉がカラカラに渇いた。
「君の家族について、詳しく話をきかせ―」
男の子の言葉を無視して、私はダッシュでその場を立ち去った。
そのまま走って、家に着いた後。
少し離れたところから、私はお母さんを観察した。
(別に、あの男の子の言うことを信じた訳じゃないけど……)
最近のお母さんのようすに、私も気になるところはある。
それで、しばらく観察してみたけど―。
(別人とは思えない……)
どこからどう見ても、あの人は私のお母さんだ。
入院する前と後で変わったのは、元気になったことと、足が良くなったこと、それから肌つやが良くなったことかな。少し前には、口元のほうれい線が気になるなんて言ってたのに。
今はシワなんて、全然目立たない。まるで、写真に写ってた若い頃のお母さんみたい。
「どうしたの?」
私の視線に気づいたのか、お母さんが尋ねてきた。
「えっと、その……」
「何か、気になることでもあるの?」
(何か言わなきゃ……)
とっさに、私は尋たずねた。
「あのね……昔のこと、覚えてる?」
(馬鹿な質問しちゃった……)って私は後悔した。そんなの、覚えてるに決まってるのに。
「昔のことって?」
「私が……保育園に行ってた頃のこととか?」
お母さんは少し笑って、思い出を話してくれた。
運動会の時のこと。私が熱を出した時のこと。一緒にお料理をした時のこと。
私が覚えてるものと、ぴったり同じだった。
(やっぱり、別人なわけないよ)
もしも、双子みたいに顔がそっくりの別人がいたとしても、記憶までぴったり同じなんてことはないはず。
目の前にいるお母さんは、間違いなく私のお母さんだ。
「もっと話そうか? 小学校の入学式の時は―」
「ありがと。もう大丈夫だから」
「そう」
お母さんは微笑むと立ち上がり、洗った食器を片づけ始めた。
お母さんがお皿を持ち上げた時、袖から腕がちらりと見えた。
ドキン、と私の心臓がはねた。
あるはずのものがない。五センチぐらいの、赤黒いやけどの跡。
(君の家族は……別人に入れ替わってる)
あの男の子の言葉が、耳の奥でこだました。
体がぶるりと震える。
(まさか……そんなこと……)
何度か深呼吸をしてから、私はお母さんに尋ねた。
「……もう一つだけ、きいていい?」
「なあに?」
「私がオーブンを触ろうとした時のこと、覚えてる?」
「あの時は、ドキッとしたね」
「私のせいで、跡が残っちゃって―」
「気にしないで。あれは私の勲章だから」
お母さんは自分の腕をのぞき込むと、首をかしげた。
「……変なの。跡が見当たらないわねえ」
お母さんも、戸惑ってるように見える。お母さん本人も、知らなかったってことだ。
「時間が経って、目立たなくなったのかな?」なんて、お母さんは言ったけど。
(そうじゃない。入院前は、間違いなくあった)
もしも入院中に治してもらったなら、そのことを覚えてないのはおかしい。
(なんで覚えてないの? どうして傷がないの?)
ききたいけど、きけない。
「あなた、汗びっしょりよ?」
不思議そうに、お母さんが言った。
「……暑いからかな」
私はごまかした。
次の日。
何の予定もなかったけど、家にいづらくて私は外に出た。
どこに行くあてもなく、ぶらぶらと街を歩く。
気が付くと、あの男の子と出会った公園に来ていた。
「やっぱり来たか」
声のほうに顔を向けると、あの男の子はまたもトンネルの中にいた。
「なんでそんなところにいるの?」
「ここが日陰だからさ」
男の子は携帯用の扇風機で、顔に風を当てている。暑いなら上着を脱げばいいのに、その気はないらしい。
「『やっぱり来たか』って……私が来るのを予想してたの?」
「君の家族について調べたいなら、手がかりは僕しかないはずだ。そうだろ?」
男の子の言葉に、私は少しイラッとした。でも、彼の言う通りだ。
「……あなたは何を知ってるの?」
「あなたじゃない。思問考」
「シモンコウ?」
それが彼の名前らしい。昨日は、きいても答えなかったのに。
「私は―」
言いかけて気づいた。この人はすでに、私の名前を知ってる。私のお母さんのことも。
どうやって調べたんだろう。
「話せば長くなる。場所を変えよう」
エアコンのきいたフードコートで、私は思問と向き合って座った。
アイスクリームののった山盛りのかき氷を食べながら、思問は話し始めた。
「二か月ぐらい前かな。ある研究所が、難しい病気を抱えてる患者をさがしている―そんな話を耳にしてね。調べたところ、君のお母さんがモニターになったとわかった。それで、話をききたくてね」
何でそんなこと、この人は調べてるんだろう。
気にはなったけど、私はとりあえず話を合わせることにした。
「何から話せばいいの?」
「お母さんが入院する前から今まで、起こった事すべてだよ」
(家族の話を、よく知らない人に話してもいいのかな……?)
私は少し悩んだ。けれど今のところ、他に相談できそうな人もいない。
思問は、少なくとも私よりは何か知ってそうだ。
(それに……)
私はちらりと、思問の顔を見た。
クールな顔をしてるけど、口の周りにアイスがついてることにこの人は気づいてない。
(夢中になると、周りが見えなくなるタイプなのかな?)
抜け目ない人より隙のある人のほうが、安心できる気がする。
「とりあえず、拭いて」
ハンカチで思問が口をぬぐってる間、私はこれまでの出来事を話した。
「入院前、お母さんはもう治らないって言われてたの。脳まで病気が達して、立つこともできなくなっちゃって……」
「ふむ」
「だけどお父さんが、『新しい治療法』があるって言い出して。それでお母さんは入院することになったの」
「それで?」
「少し前に、お母さんは家に帰ってきた。入院前とはくらべものにならないほど元気になって……。というより、何歳も若くなったみたい」
「ほーう」
思問は身を乗り出した。私の話に興味を持ったのか、灰色の目がギラギラしてる。
「痛めてたひざも、退院後は治ってて。肌のシワも目立たなくなって。それから……」
「それから?」
「病気になる前からあったはずの、やけどの跡がなくなってたの。入院前は確かにあった、五センチぐらいの跡が。いつ治ったのか、お母さんも覚えてなくて」
私の話をきき終えた思問は、きっぱり言った。
「やっぱり、間違いないね。君のお母さんは、別人に入れ替わってる」
「……本当に、そう思うの?」
「病気とは関係ない部分まで治ってるんだろ? 患者がそのことを覚えてないのはおかしい。医者は普通、患者の同意なしには治療しないものだからね」
お母さんが、別人に入れ替わってるなんて。
まだ、信じられない。
でも、ここまで言い切るなら、思問はそれだけ自信があるのかな……?
「嘘みたいな話だけど……。もしもその通りだとして―」
私は、いちばん気になってることを尋ねた。
「今、元のお母さんはどこにいるの?」
思問の表情が、とたんに険しくなった。
「入院前、君のお母さんの病気はどのぐらいひどかった?」
「もって数か月って言われてたけど……」
「入院前に数か月……だとすると……」
突然、思問は弾かれたように立ち上がった。
「君のお母さんが入院してた研究所に行こう」
私は目をパチパチさせた。
「今から?」
「早くしないと、手遅れになるかもしれない」
「手遅れって……」
「急ごう。お母さんを助けたいならね」
そう言うと、思問は出口のほうに歩き出した。
「ちょっと、待ってよ!」
私はあわてて荷物を手に取った。
ききたいことは山ほどあるけど、今は彼を追うしかなかった。
思問と共にバスに乗り、私たちはお母さんが入院してたスクナ研究所に向かった。
思問はじっと窓の外を見つめてる。
「ねえ。お母さんが入れ替わってるってどういうことなの? お母さんはもともと、二人いたってこと?」
お母さんが双子だったなんて話は、きいたことがない。
「そうじゃない」
思問は首を横に振《ふ》った。
「じゃあ、どういうこと?」
「そうだな……」
思問は少し考えた後、不思議な話をし始めた。
「テセウスの船って話を知ってる?」
「え?」
「テセウスの船。想像上の実験―『思考実験』の一つだよ」
「きいたことないけど……。その話、お母さんと関係あるの?」
「大いにある」
「それなら、さっさと説明して」
思問は小さくため息をつくと、説明を始めた。
「大昔。ギリシャにテセウスという英雄がいた。彼が世を去った後も、テセウスが使ってた船は別の人に愛用された」
「死後も使われ続けたってことね?」
「そうだ。長い間使われる内に、船は少しずつ壊れていった。古くなった部品を新しい部品へと交換しながら、船は使われ続けた。やがて、船のすべての部品は、新しい部品へとすっかり入れ替わった。それでもその船は、テセウスが使ってた船と同じと言えるか?」
「……それで終わり?」
「そうだ。君はどう考える?」
「えっと……」
その船は、使われ続ける内に古くなった部品を新しい部品へと取り替えていったんだよね? その内、ぜんぶの部品が新しいものになっちゃった。それでも、元の船と同じものと言えるか、ってこと?
「うーん……」
テセウスの船、という名前ではあるけど、テセウスさんが乗ってた頃に使われてた部品は、もうないんだよね?
それでも、テセウスの船って言えるのかな?
「交換された部品の形や性能は、同じ?」
「そうだ。古い、新しい、という違いはあるけどね」
それなら、船の見た目や性能は変わってないってこと?
じゃあ、同じ船と言ってもいいのかな?
(だけど……)
テセウスの船、というからには、やっぱりテセウスさんが使ってたって事実が大切なんじゃない?
古い物を集めるのが好きなお父さんも、「◯◯って武将が使ってたんだ」なんて言って、ボロい刀や壺を集めてた(お母さんの治療費のために、ほとんど売っちゃったけど)。
ボロくても有名な人が使ってたから、そういう物は価値があるわけだよね?
(とはいえ……)
古い物は、修理されている物も珍らしくない。お父さんが持ってた壺も、割れた部分はツギハギされてたし、刀の柄やつばも、新しい物に交換されていた。武将が使ってた物とまったく同じ物ではないけど、それでも価値がなくなったりはしない。
「うん……」
考えるほど、わからなくなっていく。
「ふふ……」
窓の外に目を向けたまま、思問は口元に笑みを浮かべた。
「変なものでも見たの?」
景色の中に、特におかしなものは見あたらなかったけど。
「それだけ頭を悩ませることができるのは、すばらしいと思ってね」
「……?」
何を言ってるのか、よくわからない。
すぐに答えを出せないのは、良くないことなんじゃないの?
授業だと、先生の質問にパパッと答えられないと次の人をさされたりするし。
「せっかくだから、さらに頭を悩ませてくれ」
「えっ?」
思問は人差し指を立てた。
「もう一問だ」
「ちょ……」
前の問題の答えが出てないのに、追加で問題を出すなんて!
「今度は、テセウスの船の持ち主が、船から取り外した古い部品を保管しておいたとする。船のすべての部品が新しい部品に入れ替わった時点で、保管しておいた古い部品を使ってもう一つ船を組み立てたとしよう」
「えっと……」
必死に頭を整理する。
「船が二つになった、ってこと?」
「そうだ。新しい部品で造られたテセウスの船と、古い部品で造られたテセウスの船。―どちらが本物の『テセウスの船』かな?」
「えぇ……?」
ただでさえ、頭が混乱してるのに……!
しゃくだけど、考えをまとめてみる。
船が二つになった。一つは古い部品で造られた船、もう一つは新しい部品で造られた船。
どちらが本物か―。
(あれ……?)
古い部品で造られた船は、テセウスさんが使ってた船と同じなんじゃない?
それなら、そっちが本物じゃないの?
でも、そうだとするなら―新しい部品で造られた船は、偽物ってこと?
(本当に、そうなのかな……?)
新しい部品で造られた船は、少しずつ部品を取り替えていったんだよね?
じゃあ、どの時点で偽物になったの?
部品を一つ取り替えた時?
それとも、部品をぜんぶ取り替えた時?
それなら、最後の部品を取り替える一つ前の時点では「本物」で、最後の部品を取り替えた直後に「偽物」になったってこと?
そんなこと、ありえる?
「うん……」
「いいよ、実にいい」
頭を悩ませてる私をながめながら、思問はニヤニヤしている。
(なんか、腹立つ……!)
頭にきた私は、思問に食ってかかった。
「ねえ。この話、本当に私のお母さんと関係があるの?」
「あると言っただろ?」
「どんな風に?」
「―テセウスの船と同じことを、人間に対しておこなったらどうなる?」
「……え……?」
「人間の部品を少しずつ取り替えて、古い人間と新しい人間ができたとする。どちらが本物だと思う?」
「それって―」
強く叩きつけられたようなショックが、体を駆け抜けた。
「お母さんが入れ替わってるって、そういうこと……?」
思問はうなずいた。
人間の部品を、取り替える―悪くなった臓器を、別の人のものと取り替える手術がある
ことは私も知ってる。
人間の部品をすべて取り替えていったら、テセウスの船みたいに新しい人間を作り出せるだろう。
だけど―気になることが一つある。
「すべての部品を取り替えたってことは……脳も?」
「そうだね」
思問は平然と言った。
「嘘だよ! お母さんは、昔のことをちゃんと覚えてたよ?」
記憶は、脳に保存されてるはず。
脳を新しいものに取り替えたなら、昔のことを覚えてるはずがない。
「でも、君のお母さんの病気は脳まで達してたんだろ?」
「それは、そうだけど……」
「治すためには、脳も取り替えるしかない。そうじゃないか?」
「だけど、脳を取り替えた記憶はなくなっちゃうはずでしょ?」
「もしも― 記憶をコピーできるとしたら?」
私はあんぐりと口を開けた。
「そんなことできるの? どうやって?」
思問はちらりと周囲を見回した。私たち以外にバスに乗っているのは、運転手さんだけだ。けれども思問は私の耳に口を近づけ、小さな声で言った。
「ほとんどの人は知らないけど、この世界には不可能を可能とする装置がある。シコウジツゲン装置― 通称“マクスウェル・マシーン”だ」
「シコウジツゲン装置……?」
「思考実験レベルの現象を、実現する装置だよ。|離れた場所にワープしたり、時間の流れを遅くしたり……装置によってできることは違うけど、共通してるのは『今の科学技術では実現できないことを実現できる』ってことだ」
「そんな装置があるの? 本当に?」
「知らなくて当然だ。装置に関する情報は公開されてないからね。世に知られたら、大混乱になるだろうから」
それなら、どうして思問は知ってるんだろう?
気にはなったけど、今はそんなことを尋ねてる場合じゃない。
「お母さんの治療に、その装置が使われたの……?」
「シコウジツゲン装置の中に、生き物を複製し、記憶までコピーするものがある。今回治療―というより『実験』に使われたのはそれだろう」
頭がクラクラする。
もしも、そんな装置が使われたなら。
元のお母さんは、今どうしてるんだろう。
「研究所を調べれば、何が起こったのかわかるはずだ」
「……思問は、研究所を調べるつもりなのね?」
思問はうなずいた。
「シコウジツゲン装置を手に入れることが、僕の目的だからね」
ザワザワする気持ちをおちつけたくて、私は窓の外に目をやった。
元のお母さんは、無事なんだろうか。
『新しい治療法』って、何だったんだろう。
わからないことが、多すぎる。
(とにかく、行ってみるしかない……)
バスに揺られながら、私はお母さんのことを想った。
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■ナゾノベルとは?
「謎と不思議と、まさかの結末」
ナゾノベルは、朝日新聞出版がおとどけする新しい小説シリーズです。ミステリーやホラーなど、知的にワクワク、ドキドキできるラインアップで、小学校中学年以上のティーンエイジャーに、刺激的な読書体験を提供します。