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つながる短歌

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千年を経て愛される和歌と近現代の短歌。二首を比較しながら人々の変わらない心持ちや慣習に思いをはせ、三十一文字に詰まった小さくて大きな世界を鑑賞する『つながる短歌100 人々が心を…
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2022年2月の記事一覧

紫式部と清少納言が詠んだ「夜と友」

 11世紀初めの平安時代中期、王朝文化の盛期を彩る2人。日本文学の物語と随筆の分野を代表する、紫式部と清少納言が、宮仕えの合間の友との交わりを詠んでいます。  紫式部はあるとき、長いこと会っていなかった幼なじみと宮中で行き合います。その女友達も誰かに仕えている身だったのでしょう。彼女は慌ただしく去ってしまいます。本当にその人なのかどうかもわからない短い間のことでした。  その友を、雲に隠れてしまう夜中の月にたとえています。「めぐり逢ひて」という初句がまず人のことを思わせま

石川啄木の「はたらけど」誕生の背景と「ぢつと手を見る」の妙味

 5番目の勅撰集『金葉集』は、白河上皇の命により、1120年代に成立しました。「憂かりける」の歌人・源俊頼がその撰者。和歌に新風を吹き込んだとされていますが、上皇からのダメ出しが何度かあっての完成で、ニューウェーブとはそんなに簡単なものではないようです。 『後拾遺集』までは『古今集』の圧倒的な影響下にあり、いわば地続きでした。しかし、『金葉集』が編纂されたのは50年ほどのブランクののち。院政期がいよいよ最盛期に入る時期と重なる、12世紀のまさにポスト王朝時代なのです。歌集に

岡本太郎の母・かの子が詠んだ「多摩川」 歌と訣別してもなおその根底には歌が

 人間は「どこか」で生まれ、「どこか」に居ながら生きていくもので、土地や場所との結びつきを抜きにして過ごすことはない、と言ってもいいでしょう。その場に居ながらにして世界中とのやり取りが可能な時代に生きる私たちは、しばしばそのことを忘れそうになりますが、この身が「どこか」にあることに変わりはありません。『万葉集』の時代から、歌に地名がさまざまに詠み込まれてきたのは、根源的なことなのです。  歌に詠まれた名所は「歌枕」と呼ばれ、時代を超えて歌い継がれていきます。  歌枕は、都

在原業平の「都鳥」と若山牧水の「白鳥」 旅が育んだ歌の深み

 在原業平の生きた時代は9世紀(生没年825~880)。『古今集』の成立(905年頃)前夜といった感があります。漢詩が優先された時代に、業平は和歌を盛んに詠み、『伊勢物語』では東下り(関東地方への旅)をしています。立身出世に背を向けて都を離れ、仕事とは縁のない漂泊の旅を続けて、さまざまな恋愛経験を積む。ほかの人にはできないようなことができた特別な身分でもあったわけですが、生まれとか立場とかそういうものから自らを遠ざけて、業平は一人の歌詠みであろうとしたのではないかと思えます。