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怪物

感じたこと

この映画は、一言で表すと、深く観察しなければ理解できないほど複雑な映画。物語はさまざまな視点から描かれ、その中には物語を解釈するためのヒントが隠されている。笑ったり、泣いたりするような感情的な映画というよりは、新たな気づきを与えてくれる作品。少なくとも、私にとってはそうでした。

一番大きな気づきとしては、誰も自分の言動や物の見方で怪物になるということ。


怪物だーれだに対する答え

今作で一番気になるのは、怪物は誰だったのかということ。個人的にその答えは「全ての人」だと思う。登場人物から鑑賞者までの全員。


湊にとっては、無意識に普通を押し付けてくる怪物。学校にとっては、クレームを押し付けてくる怪物。

保利先生
母にとっては、息子に手を出す怪物。
星川くんにとっては、性的固定観念を押し付ける怪物。
(瑛太の男らしくねぇな。)
それゆえにいじめられていたことを言えなかった。


保利先生にとっては、自分を落とし入れる怪物。湊自身にとっては、自分にウソをついて本音を閉じ込めていた心が怪物。

鑑賞者
一つの視点でしか解釈することができない怪物。
(序章の母の視点で描かれたシーンのとき、先生が悪だと感じた物の見方)

一見すると非常に複雑に見えますが、現実の世界もまたこのように複雑なものである。映画を通じて、「誰もが自分の言動や物の見方によって怪物になる」ということを教えてくれているのかもしれません。


性的マイノリティ

二つ目の気づきは、性的マイノリティを直接的な描写でわかりやすく表現しなかった理由である。

視聴後まで知らなかったが、本作品はカンヌ国際映画祭のクィア・パルム賞を受賞している。そんなことは知らずに、視聴しているとと後半に、秘密基地で近づく2人の描写や校長との「好きな人がいるが嘘をついている、幸せになれないから」というような会話が登場。正直なところ、性的マイノリティを直接的に気付かせるポイントが少なくて最後の最後に取ってつけた感じだなと思っていた。実際、性的マイノリティ表象の少なさも指摘されている。

しかし、鑑賞後に振り返ってみると、前半の湊の行動から各セリフ、キャラクター設定にまで一貫して描写されていることに気がついた。

例えば、湊が車から飛び降りたシーン。この行動は、のちの湊視点で星川くんから電話がかかってきて会いたくて降りたことが明らかになるが、その前シーンでも湊の内なる気持ちを巧みに描いているのである。それは、母が語った「家族を持って普通の生活を送ることを願っている」みたいなセリフにある。湊はこの普通を押し付ける発言を聞いた瞬間、期待に応えられない葛藤から、飛び出したとも受け取れる。この時点で、直接的にではないが、性的マイノリティの心情について表現しているのである。

さらに、保利先生の「男らしくねぇな」発言。
父親を体育会ラガーマンとして設定した点。
星川くんがクラスメイトによってキスさせられそうになって、突如、湊が暴れ出した理由。(→嫉妬ではないかと推察)
湊が絵の具を拭いた雑巾を星川くんに返したときの「お前星川のこと好きなのかよ」というクラスメートの茶化したセリフなどなど。

是枝監督が受賞式の数日前に行われた記者会見で「LGBTQに特化した作品ではない」と断言した理由もわかる。おそらく直接的な描写が少なく、注意深く観察しないとわからないからだろう。誤解を招くこともよくないからだろう。

このように、直接的でわかりやすく描写せずに難解にしているのは、このような性的マイノリティは、目に見えるほど簡単にわかるものではないと伝え
ているのかもしれない。

ラスト

ラストの解釈は、大島さんの大島育宙さんのレビューが腑に落ちたので、ぜひ読んでください。


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