無駄かの判断はもう少しあとで


私には数えきれないほどの

だらしないエピソードがある

外ヅラからは想像してもらえないほどの

おそらくみんなそうなんだろうけど

綺麗にしている人を見ると

この人は美しい暮らしをしてきたんだろうと考えてしまう

本当にそういう人もいるだろうけど

大半の人は

人には言えない間違いをおかし

口に出せば幻滅されるかもしれない振る舞いをした過去があり

だらしなく過ごした日々がある

決めた事を最後までやり抜いた事のほうが少ない

始めては辞め、始めてはやめ、始めては辞めた


私も

なんの理由もなく

高校を留年し

なんとなくアルバイトを続けて

夜は帰らず遊びまわり昼間に眠る


今思い出しても、そんな事もあったな親ごめん、としか思わない

その時間はだらしなくても、無駄だったかどうかを考えた事はあまりない


そんな私も今は人様の上に立つ役職につき

その日を生き急ぐのに精一杯

だらしなさは健在だけど

どんな経験もそこから学ぶ事が必ずあって、無駄にはならないから

だらしなさを公開して良い時とダメな時の見極めはできるようになった


今が良ければ全て良しということわざには

今が良ければ今までの全てが無駄だったか無駄ではなかったかをわざわざ分類しなくて良し

という意味も含まれるのかもしれないなー



必要以上にゴロゴロしている時間は

私にとって最も無駄な時間だなと思うけど

まぁいっかとだらしなさを公開していい時間だとも思っている


もう少し時間が経ったら

あれは確かに無駄だったなフフフ

と言っているだろうけど

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?